11月17日
こころのスイッチ

「住之江方式と行政のあり方 (下)」


あした通信社

「いつでも笑って死ねるように生きる(高倉健)」  ゲスト:小田貴月さん


 俳優・高倉健。
 いつも疾風のようにかっこいい健さんを思い描いてきた私たち。でも、一人の人間としては、年を重ねながら、その「高倉健」を生き続けるのはたいへんなことだったろうと想像します。
 「南極物語」では耳が凍傷になるほどのロケ現場を体験したそうですが、それ以降も自分を「極地俳優」と称して、毎年寝袋を買い込み、次の現場に備えるため準備をしていたといいます。
 そんな健さんも高齢になり、病につかまります。悪性リンパ腫でした。
 「高倉健、その愛。」(文藝春秋)を著した小田貴月さんが、病気が判明した頃のことを語ってくださいました。
 最初の異変に気付いたのは2014年お正月のこと。お雑煮のお餅はいくつにしますか?と尋ねたとき「二つ」と答えた健さん。戦中戦後の思い出から、決して食べ物を残さない健さんが、そのときだけはお餅二個が食べきれなかったそうです。風邪か、と思って病院へ行くことをためらっていたそうですが、映画の次回作の話が具体的に動き始め、現場に備えるためにと診察を受けたのだそうです。
 死生観について、日頃から映画の感想を通して語っていた健さんは、ご自分の死への恐怖を口にしたことはなかったと言います。40代から決めていたのは「いつでも笑って死ねるように生きる」ということ。何より恐れていたのは、映画スタッフに迷惑をかけることだったそうです。
 いざというときに悔いが残らない生き方をする。
 これは私たち誰もが願うところですね。