2018年

3月25日

歓びの声が、作る喜びへ

先週に引き続き、ゲストはマツダ紙工業株式会社の代表取締役社長・松田和人さん。
ダンボールで作ったタンス、机などはもともと東日本大震災で求めらたものをボランティアで作り、後に一般の商品として広まりました。
改めてそれらの商品が生まれた背景にはどんな想いがあったのでしょうか?
「震災を見て日本の危機だなと思いました。
阪神淡路大震災の時に避難所にプライバシーがないということで、L字型の仕切りを父親が寄贈したことを思い出したんです。
1枚のシートを2つの足で立たせるものでした」。

阪神淡路大震災の時に寄付したパーテーション。
それが再び活躍することに。
「最初は4月8日に福島市の避難所に運びました。
現地に入った時はまだ下を向いておられましたね…。
言葉をかけるのも気を使う環境でした。
でもパーテーションでプライバシーが守られる。
食べるのもパーテーションがあると助かったみたいですね。
着替えも授乳もトイレでしていたそうで。
流石にトイレでの授乳は気の毒で…。
開発してよかったです」。

ベッドもあるそうですね。
「地べたに座るとエコノミー症候群になる可能性があります。
ベッドがあると腰掛けることができますから。
3分で組み立てることができるものなんですよ。
白のダンボールは値段が高いんです。
茶色ですると値段が安く上がるんですけど、でもそこは使う人のことを考えて清潔なイメージの白で。
喜んでいただきたいというこだわりです」。

今年で創業60年周年というマツダ紙工業株式会社。
創業当時は?
「父が創業した会社です。
これから紙器が増えてくるという時代だったそうです。
私は元々証券会社に就職していました。
バブルの頃も営業職をしていましたね。
30歳ぐらいに家業に就くことになります。
証券マンからダンボール。
お金の単位や規模などギャップはありましたね。
振り返ると今の仕事に就いて良かったと思います」。

松田社長の仕事の方向性はどういったものだったのでしょうか?
「証券マン時代から新規を起こしていくことをしていました。
自社もその方向にしなければと動いていましたね。
あと社会や人に役立つ仕事をと思っていました。
道徳的なことを学ぶに連れて、そういった考えになったのだと思います。
母からも“人が喜ぶことをしいや”と言われていましたから。
まだ当時は若いので、わからなかったのですが今の仕事に通じることを言ってくれていましたね」。

社員の皆さんは社長が打ち出す方向性をどう感じておられますか?
「東日本大震災の時に寄付したものを作っている時は、社員に寸志ほどしか渡せなかったんです。
それでもしっかりとやってくれていました。
実は被災地の方がそのパーテーションに絵を描いてくださいましてね。
さらにはお手紙もいただいた。
それがうちの社の宝物です。
社員はこの仕事の継続を認めてくれてボランティアにも参加してくれました。
ダンボールは最終的に廃棄されるものです。
作っても捨てることにやりがいのなさがあったんです。
しかし、被災地に届けることで、役に立てるところを見ることができてやりがいに繋がりました」。

生の声に耳を傾け、欲しいといわれるものを作る。
歓びの声が作る力になるのです。

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竹原編集長のひとこと

社会と地域に目を向け、それが自ずと結果につながる。
仕事の美しい姿ですね。