2018年

5月27日

食のニーズに応える、想いをつなぐ会社

先週に引き続き、淀川食品株式会社から代表取締役社長の田村隆さん、副社長の田村節子さんがゲスト。
食品サービス業として保育園から病院まで様々な食のニーズに対応する会社です。
淀川食品株式会社の歴史は?
「私が創業者の妻でして。
元々は栄養士として入社しました。
当時は栄養士は少なかったんですよね。
実は淀川食品とは別には電子レンジを宣伝する仕事が決まっていたんが、知らず知らずのうちにこっちに来てましたね(笑)」と節子さんが当時を振り返ります。

節子さんの入社当時から今のお仕事の基礎のような形はあったのでしょうか?
「主人が40年ほど前に日本地図を広げて、“九州全県に給食を出すんだ”と決意していました。
大企業が九州に行く時代でした。
それに伴って事業所を置くことができたんですよね」
会社の転機は?
「昭和45年に万博に和風レストランを出店しました。
もちろん不安もありました。
人もいない、資金もない…当時創業7年目でしたから。
それでも万博会場に毎日通って一生懸命でしたね。
おかげさまで大成功を収めることができて、私たちの自信に繋がりました。
世間と社員に認められた感じがしましたね」と節子さん。

九州への進出、そして万博への出店。
先代社長には先見の明がありましたね。
「事業拡大を頑張っていましたね。
夫婦でイケイケでした(笑)」

現社長の隆さんは先代社長の長女と結婚。
「当時勤めていた会社で私が技術部、のちに妻になる彼女が営業部。
ある時に先代社長であるお父さんに飲みに誘われたんですね。
人間的にとても魅力のある方でした。
本当にお人柄が素晴らしかったです」と先代社長を振り返る隆さん。

隆さんは31歳の時に淀川食品株式会社に入社。
先代社長が体調を崩された時だったそうです。
節子さんはその当時のことを語ります。
「男が男に惚れるといいますか…。
隆さんの真面目な姿勢、物の考え方。
先代社長は“間違いない”と言っていました」。

隆さんが入社してからはどんなお仕事を?
「入社してからお客様や現場に近い部署においてもらいました。
お客様の声を直に聞ける仕事は私に向いていたかなと思います。
最初は社員とコミュニケーションが取れなかったり、お客様に怒られたり…
でもあまり苦労を感じませんでした。
社長は男のロマンといいますか、やるからには人の役に立たねばならないと仰っていました。
仕事を進める中で意見のぶつかりなどはあったかもしれませんが、よく相談してより良くできる方向に進めるように努めました」。

現社長に替わって、ここ数年で売り上げは倍に。
介護施設などの増加も伴って仕事が増えました。
社長の引き継ぎを見ていた節子さんは、この様子をどうお感じになっておられるのでしょうか?
「先代は仕事一筋。
病にかかった時は悔しかったと思います。
現社長が仕事を継いでくれた時は安堵の気持ちでいっぱいで、治療に専念していました。
“任せるといったら任せるんだ”と言っていましたから。
その思いが結実しましたね」。

最後に隆さんからこの先のビジョンをお聞かせください。
「食に関することは多岐にわたります。
例えばアスリート食などもこれからの食ですよね。
食のニーズがあればどんなことでも実現してきたいと思っています」。

先代の想い、先代の想いを知る副社長、そして現社長のビジョン。
想いはつながって仕事もつながっていくのでした。

竹原編集長のひとこと

中小企業は後継者の問題は苦労されています。
仕事の内容だけでなく、意志を継いでいらっしゃいますね。