2018年

7月 8日

ものづくりの会社からファッションを生み出す会社へ

ゲストは株式会社ドゥ・ワン・ソーイングの代表取締役社長・土井順治さん。
先週の“1枚から作る既製品”のお話から、今週は会社のルーツのお話へ。
「私が子どもの頃はミシンの音が子守唄でしたね。
家業でしたから。
職人さんが30人ぐらい住み込みでいらっしゃいました。
私も役割がありましてね。
その職人さんのためにお風呂を沸かすことと、夜食を買いに行くことが日課でした。
コッペパン1つとリンゴを半分。
これを30人分。
寒い季節なんかはこの仕事が辛くてね」と当時を懐かしみます。
その“作れば売れる”という高度経済時代。
「“上げ終い”といってましたね。
500枚が出来上がった時が終業時間でした」。

そんな幼い頃を過ごした土井社長ですが、お仕事は継ぐつもりだったのでしょうか?
「継がないと思っていましたね。
一般の家族は家族団欒があるけどこの仕事のおかげでうちにはない。
なんてひどい家だなんて思っていました(笑)」。

しかし、現在はこのお仕事に…。
「そうですよね。
私には兄が一人いて私が次男。
当時から父も仕事を継ぐようにとは言わなかった。
職人さんは手に職をつけて独立することが目的のお仕事でそういう時代でしたから。
父は私たちに真っ当なサラリーマンになれと言っていました。
職人が独立して、兄弟で別の仕事をして…そのときに父が廃業するという話になったんです。
その時に会社勤めをしていた兄が仕事を辞めるというタイミングでした。
私にも兄から相談がありました。
家業が廃業に向かうかもということ、兄の辞職。
私も悶々としていた。
そんなタイミングが重なって、やってみるかという話になりました。
全くの偶然でしたね」。

父の代から息子の代へ。
その流れはスムーズだったのでしょうか。
「仕事には厳しい父でした。
父の元にはたくさんの職人さんがいて、彼らも仕事を快諾してくれました。
当時は土井縫工所といいましたが、そこから法人化して現在の名前に。
厳しい時代もありましたが、工場発信型のシャツアパレルにしました」。

お兄様ともいいコンビネーションで?
「最初はもめました(笑)。
兄は職人タイプで私はシステムを考えるタイプ。
ただいいものを作るだけでは売れないと思うんですね。
いいものを作りながら、世の中に市場を見つける。
我々が作れるもの、それを認めてもらえるお客さんとのマッチングなんですね」。

紆余曲折あった株式会社ドゥ・ワン・ソーイングですが、現在はいかがでしょう?
「プレミアムエブリデーをしているんです。
班ごとに目標を設定して、達成すれば何時だろうが帰って好きなことをしてくださいというものなんです」。
まさに現代版の“上げ終い”。
会社の歴史を感じます。

今後のビジョンはどうお持ちですか?
「私どもの製品は平均単価13,000円。
シャツでは高いです。
1日着ると洗うので10枚はいる。
でも気に入らないものを着るより気に入ったものを着ていただきたいんです。
私たちはシャツを売っているのではなくて、ファッションを売っていると思っています。
ものづくりだけでなく、ファッションづくりをしている。
この先の未来、日本で作ったシャツを本場のイギリスで広めて行きたいですね。
世界のビジネスマンをオシャレにしたいんです」。

一枚のシャツに技術とアイデアとプライドを込める。
MADE in JAPANシャツを世界のビジネスマンが着る未来はすぐそこです。

竹原編集長のひとこと

マーケティングとマネージメント。
職人の姿を見つつそれを広める姿勢と取り組みが実に素晴らしいですね。