2018年

9月 2日

リゲッタが歩むその先は…

今週のゲストは先週に引き続き有限会社シューズミニッシュの代表取締役・高本泰朗さん。
抜群の履き心地、独自のデザイン。
下駄がベースにあるオリジナル商品『リゲッタ』が大ヒットしています。
この会社のはじまりは…?
「私の父から始まって50年です。
生野区はサンダルの街でして、元々は靴の裁断をしていた会社です。
1階が仕事場で2階が住居。
夏休みは仕事の手伝いをしていましたね。
空気のように靴とは触れ合っていました」。

元々、この業界に就くことは想定されていたのでしょうか?
「幼い頃“お父さんと靴を作る”と言っていたみたいですね。
私は小学校の頃から絵を描くことが好きだったものですから、父もこの業界に向いていると思っていたみたいです。
18歳の頃に目を合わさずに父から“この仕事やってみるか”と言われたことがありましたね。
その時は軽い気持ちでやってみようかな、と。
その後、高校を出てから靴の専門学校に行きました。
95年に震災の被害の中、長田でデザインの修行をしていたこともありました」。

休みの日にも靴を見に百貨店や他のお店を巡るほど靴にどっぷりだったという高本社長。
「外での靴の修行後、入社しました。
実家に戻ってきた後、親の役に立ちたいと思っていたんですね。
そんな中でも敢えて失敗をさせてくれていました。
やりたいことを言うとやらせてもらっていました。
最初は放任だと思っていたんですけど、失敗も成功も見守ってくれていたということなんですよね」。

会社の転機はいつでしたか?
「震災以降、仕事が中国などにとって代わられるようになりました。
業界自体が厳しい時代に入ったんです。
24歳の時に下請けをしていた仕事の全てを中国に切り替えるという通達がありました。
当時、結婚するタイミングでして…。
売り上げがない状態、思い切って展示会をしたけれど注文が入らない…。
出口が見えないところにいました。
仕事詰めで新妻が待つ家に帰っていませんでしたね。
父は廃業も考えていたみたいです。
あの5年間は辛かったです。
でも最後までやりきろうと思っていました。
私がそう言うならば父も本気です。
30歳の時に第一子が生まれたんですが、思い切って作りたいものを作ったんです。
それが『リゲッタカヌー』でした。
一番しんどい時に自分で立ち上がれないと進めないと思います。
諦めないでよかった」

その後、手塚治虫作品とのコラボ、吉本芸人を会社に招いてのイベントやワークショップなど、制作・販売のみならず活動の幅を広げています。
これからのビジョンは?
「タイ、シンガポール、マレーシア、ドバイなどリゲッタは広がってきています。
将来はアメリカでリゲッタを売りたいと思っています。
日本から来た下駄をルーツにもつサンダルがアメリカで人気って楽しいなと思うんです。
ここ3年以内にアメリカに進出して世界で通用するブランドにしたいです」。

一歩一歩着実に。
その歩みの先はアメリカ。
有限会社シューズミニッシュとリゲッタは世界中で楽しく歩く人を増やし続けます。

<番組プレゼント> 有限会社シューズミニッシュさんからプレゼントをいただいております。
高本社長自ら「人生で一番よくできた」という自信作ルームサンダルをS・M・L・LLをセットで2人にプレゼント。

≪ 宛先 ≫
※ メール : akarui@mbs1179.com
※ FAX  : 06−6809−9090
※ ハガキ : 〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
       「 シューズミニッシュ プレゼント 」係
       *当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

逆境の中でもアイデアと工夫。
意志を強く持つということがいかに大切かわかりますね。

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