2018年

12月 9日

困難を乗り越えてたどり着いた、ものづくりへの想い

先週に引き続きゲストは進栄化工株式会社の代表取締役社長 竹内祐樹さん。
ユニークな商品、そして卓球大会を始め社員さんとの楽しい取り組みも聞かせていただきました。

この会社が生まれた経緯はどういったものだったのでしょう?
「サラリーマンを退職した父が創業しました。
そんな父が1980年にいきなりいなくなりまして…。
父が失踪してしまったんです。
私の記憶では1カ月いなかったような。
しばらくしてひょっこり現れたのですが、起業するためにお金を集めていたようなんです(笑)」

驚きのスタートから始まった会社ですが、その後は?
「ちょっとずつですが事業を広げていきました。
幼い頃は一緒に配達について行ったり、食事も社員と一緒にしたり。
そんな雰囲気でしたね」

竹内社長は学生時代を終えてすぐに入社?
「実はアメリカに行きたいという夢があったんです。
19歳のときにアメリカ留学しました。
英語もできないのに(笑)。
それで結局7年、アメリカにいました。
今から考えるとちょっと長いですよね(笑)」。

それで帰国してからすぐ入社?
「いえいえ、帰ってきてからすぐではなくて仕入れ先へ就職しました。
帰国して仕入れ先に10年。
私の性格上、数年勤めてすぐ辞めてしまうのは嫌だったんです。
その勤め先の10年を経て今の会社へ戻ってきました。
帰ってきたらショックでしたね。
このままだったら数年で潰れると思いました。
何せ時代と逆行した経営でしたから」。

そこから竹内社長の改革が始まります。
「若い社長が入ってきていきなりはやりにくかったですね。
でも創業の社長が全て容認してくれたんです。
普通はできないことだったと思うんです。
しかし、社員は40人の8割が退社しました。
たまたま毎年採用していたからうまく回っていたものの、平均年齢40歳弱が一気に20代に。
私自身も知らず知らずのうちにストレスをためていて、そのせいで目が見えなくなったこともありました。
緊急入院して髄膜炎を併発して視力もない。
目が見えるようになったのは半年後。
嫁の肘を掴みながら歩いていましたね。
その当時の社員が今も柱になってやってくれています」。
入社して2年で命がけの社内大改革。
さらに竹内社長への困難が続きます。
「脳の血管が詰まったりしたこともありました。
右脳の大動脈が詰まった状態。
でも奇跡が起こって、血管が別のバイパスを作ってクリアに。
あと甲状腺に癌が見つかったこともありました。
良性だったがのちに悪性に。
幸いにもそのまま摘出できたので良かったです。
しかし、嫁には苦労かけたなぁと思います」。

たくさんの困難を乗り越えてきた竹内社長。
どのエピソードも笑いを交えながらお話されます。
「実はもともとは恥ずかしがり屋でマイナス思考なんです。
でも仕事に対しては前向きなんですよね。
何かすることが好きなんです。
でもやりすぎはあかんなぁと思いましたね。
抑えぎみにしなければと思いました。
年ごとに目標を決めてやらねば」。

竹内社長のこれからのビジョンは?
「現在、新社屋建設を目指して頑張っています。
工場の横に建設予定なんですが、その6Fには託児所を作ろうと思います。
そして5、10年後には海外進出も考えています。
東南アジアへとイメージしているんですが、衛生面で何かができればと」。

困難を乗り越えた喜びを知るからこそ、それが次へ向かうエネルギーに。
進む栄える方向は常に前向きなのです。

竹原編集長のひとこと

二代目さんが社長になった時は差が生まれます。
社長は大改革をされていますが、現相談役は息子さんの応援をされました。
その懐の深さにも感動しました。

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