2019年

1月 6日

“私がやります” 転機から現在までつながる想い

あけましておめでとうございます。
昨年に引き続き、ゲストは株式会社アシスト 代表取締役会長 上西美智子さんと代表取締役社長 井東博子さん

百貨店や公共施設などの階段やカーペットなど、実はいろんなところで目にしていて役に立っているインテリア金具をお作りになっています。
今年は50周年を迎える年。
おめでとうございます。

株式会社アシストはどんな道を歩んで来られたのでしょうか。
その歴史の証人ともいうべき上西会長に伺いました。
「1969年に出発しています。
三軒長屋の真ん中から上西建装という名前からスタートしました。
81年には現在の社名変更にしました。
ご商売のお手伝いをするという意味です。
当時は新しい言葉に少し照れましたね(笑)」。

どのようなお仕事から始まったのでしょう?
「主人と私、主人の弟。
最初は問屋さんで買ってきたものを小売屋さんへという商売。
でもこれでは売上にならない。
次はオリジナルだということで、ステンレス製の引き戸のレールから作っていました。
でもそれでもなかなか売れないんですよね。
マットバーや玄関マット、ステンレスのマットを作って、これは少し当たりました。
それでもさらに…ということでインテリア関係の金物を作ってという流れです」。

そんなお仕事に転機があったとか…。
「実は仕事がやっと軌道に乗ってきた15周年の時に亡くなったんです。
当時は10数名の社員がいまして。
商品も増えてきて倉庫が狭くなってきた頃で、小さい倉庫から大きい倉庫に移ったその晩でした。
私が当時、コンピューターを習いに行ってたんです。
それが終わって帰ったら…。
主人が亡くなりましたが会社も仕事もある。
考えて一晩で決めました。
翌日、お世話になっている銀行や取引先に“私がやります”と宣言したんです。
みなさん、快い返事をいただきました」。

すぐに引き継ぎはできたのでしょうか?
「これができたんです。
私が会計をやっていましたから。
でも商品などは分からない。
社員と話し合って頑張りました。
当時、若かった社員が現在の重鎮です
主人が亡くなったのが3月だったんですが、その年敢えて初の海外社員旅行でグアムへ行きました。
辛かったんですけど行ったら社員も喜んでくれた。
これがあったから創業20周年の時のハワイへつながりました」。

聞けば世の中の動き、景気不景気によって社内行事をやめたことがないのだそう。
社員の皆さんから会長へのプレゼントもあったそうですね。
「還暦の時にホテルに呼ばれてついて行ったらオリジナルエンブレムが入った赤いブレザーをプレゼントしてもらったんです。
社員の気持ちがこもっていて、どれだけ嬉しかったことか。
70歳、80歳の時にもお祝いしてもらいました」とニッコリ。

現在は上西さんは会長へ。
三姉妹の長女が社長へ。
現在、さらに新しいブランドを作っているのだとか。
思いは引き継がれさらに新しいものが生み出されて行くのです。

竹原編集長のひとこと

会長から現社長へ。
会長の一歩下がってみるという世代交代が上手に進んでいますね。