2019年

7月 7日

技術を守り繋いでいく ものづくりの未来を考える

先週に引き続きゲストは株式会社片木アルミニューム製作所の代表取締役社長・片木威さん。
私たちの生活に身近にあるアルミニウムを作っておられます。
創業当時のことを伺っていきます。
「創業は70年ほど前の祖父の代ですね。
祖父は若い時に一旗上げてくると横浜から船でアメリカに渡りました。
1〜2年で帰国して今の工場の敷地を買ったそうです。
一般的には当時は農業をする人が多かったのですが、祖父は渡米の際に農地を譲っていったそうです。
戦中、戦闘機のジュラルミンを触ったことがあったそうで、最初は鍋や釜の生活用品を作っていたそうですが、それだけじゃしんどい。
アルミの圧延を取り入れて今の会社の原型ができた感じですね」。

現在の片木社長はストレートにこのお仕事を?
「私には兄がいまして、大学受験をする時に親父の会社を継がないと宣言したんです。
現在、大学教授になっています。
次男の私は兄の道もいいなぁと(笑)。
私は神戸商船大学へ行きました。
特徴のある大学に行きたいと思うのは血なのかもしれませんね
当時、父からこう言われました。
"商売は金の取り合いや。
だけども頭に詰め込んだものは誰も取りに来ない。
勉強するのは許すからどんどんやれ"と。
そういう環境を作ってもらったのはありがたかったですね」。

大手に負けない技術開発をしてきた株式会社片木アルミニューム製作所。
その後は?
「父が亡くなった時に大手企業が弊社の技術を取りに来たことがありまして。
祖父や父が遺してくれたそれは守らなければならない。
そこで"社員とその家族を守るのは私だ"と当時70歳の母が社長に就任するんです。
そこから10年間、社長を勤め上げるんです。
僕はその頃に阪神淡路大震災で被災。
実家に帰ってそんな母を見ているとなんとかしなければいけないと思いましたね」。

それまで会社の仕事を手伝ったことは?
「ないです。
でも母親の教育が上手かったのだと思います。
圧延の機械が入ると徹夜の作業があるんです。
母は差し入れとしておにぎりとお漬物、味噌汁を作って工場へ。
父は夜中まで飲んでいたそうですが、当時は母から"お父さんは夜中まで頑張っている"と刷り込まれていました(笑)。
こういう姿を見せてくれていたから会社や社員への向き合いができたのだと思います。
人がいないと会社が成り立たないと思うんです。
技術を守るために私が退職まで面倒をみるという覚悟があります」。

今後のビジョンはどう描いておられますか?
「以前していた大学の先生は一人でできます。
でも会社の技術は一人じゃできません。
個人の技術をどうあげていくかが大切だと考えています。
もしかすると時代と逆行しているかもしれませんが、日本のこれからには必要なことだと思います」。

人が会社を作り、人が技術を継承し磨いていく。
株式会社片木アルミニューム製作所の挑戦は続きます。

竹原編集長のひとこと

効率重視の経営が多い中、
社会に役立つことなど、もっと大事なものがある。
社長のお話を聞いてそう感じました。