2020年

1月 5日

博覧会のスペシャリストの道は2025年に続く

昨年に引き続きゲストは株式会社初亀の代表取締役・亀岡育男さん。
イベントの計画から人材育成もされている会社です。
今週は改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「1970年の万国博覧会に先代の亀岡商店にお仕事の依頼が来まして。
その頃は万博なんてものはどういったものか分かりませんから、親父の表現を借りますと"想像もつかへんような祭りが来るで"いうことでした。
当時、私が18歳。
フードビジネス企画を手がけて万博開催が20歳でした。
人集めから一生懸命やりましたね。
大変でしたけど、楽しいしおもろい。
いろんな方をお会いできました」。

70年の大阪万博の際は様々なことをされたと思いますが、印象的だったことは?
「史上最大の入札の様子は忘れられないですね。
見たことのないお金がバンバン入札されていました。
万博で麺類のご提供をさせてもらっていました。
それがゆかりで現在も万博食堂を出店させていただいています」。

万博以降はいかがでしたか?
「大成功に終わった1970年の万博のお店でしたが、親父は帳面をつけずにしてたんで儲かった分だけ税務署に支払ったぐらいでした(笑)。
時代の移り変わりと共に私が1971年に株式会社化しました。
その後は31歳の時のポートピアも大成功でした。
その後の1985年のつくば科学万博はいい経験をさせていただきましたね...」。

大規模なイベントならではご苦労があるのでは?
「つくば万博に関してはそれまでの経験実績はありました。
ノウハウを持っていたはずなのに結果的に私たちは大赤字に終わりました。
まずは博覧会の協会がトータルの入場者を予想するんです。
それを信じて良い場所にお店を構える。
いい場所と思えるところに入札するのですが、そこは万博、天井知らずの入札なんです。
2000万人来場と予想されていて実際はそれを上回る来場者...の予定でした。
それを信じて営業施設をたくさん作る。
しかし、予定人数は少ない...入札金額は高い...自ずと結果は良くないですよね。
本当につくば万博から帰れないかもしれないと思いましたから。
計画が適正でないと失敗すると学びました」。

失敗から多くを学ばれたわけですね。
「このままでは終わらんぞ、と(笑)。
営業計画が適正かどうかはその頃からとても気にします。
全体計画が適正でないと良くない結果が生まれる。
だから私は使命として積極的に情報を取りに行く。
博覧会専門フード業者の始まりですね」。

その後、2005年の愛知万博営業参加者会 会長に就任。
参加300社のまとめ役を務められました。
今後のビジョンはどう見ておられますか?
「営業に特化して貢献できた自負があります。
変わっていいものといけないものもあります。
それでも新しいものを取り入れて、2025年の"大きな文化祭"大阪万博に貢献できればと思います」。

現場で学んだノウハウ、そして人の繋がり、そして時代と人が求めるもの。
株式会社初亀の歩みは2025年大阪万博へ続きます。

竹原編集長のひとこと

他所とは違う何かそれを出すと成長につながる。
経験から裏付けられた確かなノウハウも強みですね。