2020年

3月22日

二度付け禁止 大阪のソウルフードを語り継ぐ

ゲストは株式会社一門会 串カツだるまの代表取締役会長・上山勝也さん。
今や全国的にも有名になった大阪のソウルフードを展開されています。
この『串カツだるま』誕生のきっかけは?
「出会いは2001年でした。
元々のお店は1929年からあったもので先代が三代目。
その店を閉めるという話を聞いたのが浪速高校のボクシング部の先輩で俳優の赤井英和さんでした。
当時、赤井先輩がすでに俳優として活躍していました。
先輩は"子供の頃からの味の串カツがなくなるのが辛い"ということで、これをなんとか復活させようとしたのが始まりですね。
先輩に言われたらNOとは言えませんから。
最初はボクシング部でなんとかしようというノリで始まりました。

その当時、上山さんは何をされていましたか?
「私はサラリーマンでしたね。
それを辞めて経営の道へ進みました。
家のローンもあるし、エライコッチャと思いましたけどね(笑)。
腹をくくりましたね」。

サラリーマンからいきなり経営の道へ。
戸惑いや分からなかったことも多かったのでは?
「学生時代、赤井さんの実家にも行ったりして土地勘がありました。
お店の仕込みは自分でもしましたね。
僕らは全く素人だけに自分で工夫をしなかった。
少しでも調理の経験があると良かれと思って工夫をしたと思うんです。
その経験がなかったおかげで先代のレシピをそのまま継承したのが良かったのかもしれませんね。
変えると赤井さんに怒られますし(笑)。
メニューで削ったものはありましたが、増やしたものはなかったです。
油とソースと衣は当時のレシピのままなんです。
味というのはブレます。
それをブレないように気を使いましたね」。

最初から考えると現在の展開は予想できましたか?
「当時3坪12席、カウンターだけ。
店が増えたら大きくなってきたら同じことができない。
人も増えるし、仕込みの量も増える。
アナログからデジタルへといった発想の転換が必要でした。
そうすることでだるまらしさを守らないといけないところが見えてきました。
ハナから一軒だけではなく、組織にしようと思っていましたから。
当時からボクシング関係者がいましたので、僕だけの力じゃなくていろんな人がつながりました。
縁と運ですね」。

ボクシング部のつながりは深いですね。
「うちのボクシング部は強烈ですわ。
学生時代は赤井さんに言われたら"はい"しかいうてませんもん(笑)。
厳しい練習で部員が少なくてね。
1年で半分ぐらい辞めていくんですよ。
根性も鍛えられました。
それが今も人生の根っこにありますね。
学生時代、ボクシング自体はそんなに真面目にしてなかったと思うんですよ。
でもその部活が好きで学校休んでも部活はいってたぐらい(笑)。
社名にある"一門"というのは、ボクシング部のOBで飲むときに"赤井一門や"と言ってた時がありました。
赤井さんはご自身のプロダクションで『赤井組』をされていまして、その後ろの『一門』をいただいたんです」。

串カツだるまといえば、名フレーズ"ソースの二度付けお断り"。
「二度付け禁止は新世界の文化なんです。
うちの会社はいち早くホームページを作りました。
お店もガラス張りにして若いコが頑張っている様子を情報発信をしたんです。
5年ほど前に安倍総理が新世界界隈を視察に来られたことがありました。
店に立ち寄ってくださったと時に、私が"お願いがあります"といって二度付け禁止をお教えしました。
するとそれが全国のニュースになりましてね。
すごい勢いで広まっていきました」。

会社の歴史は次週に続く...。 <プレゼント>
上山さんからリスナーのみなさまへプレゼント。
「 カレーセット(二度つけ禁止ソースカレー・どて牛すじ味噌煮込みカレー) 」
こちらをセットで5人の方にプレゼント!
※ メール:akarui@mbs1179.com
※ ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「 串カツだるま プレゼント 」係
*当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

食文化の継承をされていますね。
部活流れの連携、友情も素晴らしいです