2020年

7月19日

大阪生産、大阪加工 水なすはMADE in 大阪

先週に引き続き、ゲストは堺共同漬物株式会社の代表取締役 林野雅史さん。
大阪の伝統野菜のお漬物をいただき舌鼓を打った先週に続いて、今週は会社の歴史を伺っていきます。
「私の父が1971年に創業しました。
父はもともと会社に勤めていたんですが、その会社にいた時、限界を感じたいたようです。
父は元来、人に言われてする仕事より自ら考えて動く方が好きだったようですね。
香川出身だったのでうどん屋という候補もあったそうですが、漬物を始めることになります」。

林野さんはそうの創業当時を覚えていらっしゃいますか?
「泉北ニュータウンの方でお店がありました。
の小学校の高学年だったと思います。
両親は漬物を作って販売して、私はその手伝いをしていました。
少し前にこのエリアに引っ越したきたものですから、友達は元いたところにいるわけです。
その友達に会いに行くためには交通費がいる。
だから漬物屋で働いて1日50円のアルバイト代をもらっていましたね。
当時はお小遣い目当てでまだ仕事を継ぐ意識はなかったですね(笑)」。

お店はどうやって広がっていったのでしょう?
「父は真面目で他のことに手を出さなかったですね。
ある程度資金ができたら店舗展開をしていました。
それまではお店のバックヤードで漬物作りをしていたのですが、店舗が増えてくると工場を作ったり。
そこからメーカーに転身していきました。
高度経済成長期の後期で時代も良かったですね」。

どこから水なすのお漬物を始めることになるのでしょう?
「父が店に立っているときにお客さんが教えてくださったそうです。
"これ知ってるか?"とお客さんから見せてもらった水なすは裸電球のような印象だったそうです。
父はもともと香川の人間なので水なすを知らなかったんですね。
食べてみてその美味しさに驚いたそうです。
大阪以外の出身だからこそ、"この美味しさをもっと知ってもらいたい"という発想になったのかもしれません」。

林野さんはどんな経緯でこの道に?
「小さい頃から学校の先生になりたくて教職の道を目指すことになります。
その後、流通系の会社に就職もしました。
でもどこか心の中で"もしかしたら漬物屋をするかもな"という思いもありましたね。
およそ5年、関東で勤めまして妻を連れて大阪に帰ってきました。
今の会社に入ってからも元々の父の開拓的気質からか、僕に業務の方向を指し示したりということはなかったですね。
自由にさせてもらいました」。

大阪、そして名物水なす。
改めて水なすへの想いは?
「今の水なすの人気は私たちだけの力じゃないんですね。
平成7年に流通対策室から"Eマーク商品"に認定のお話があったんです。
大阪といえば食い道楽、代表的なものでいうとお好み焼きやたこ焼き。
でもその他にも大阪で栽培されて、大阪で獲れて、大阪で加工されたものはないのか。
そこで挙がってきたのが水なすのお漬物だったんです。
栄えあるEマークの第一号をいただきました。
大阪の漬物の組合があるんですけど、そこでみんなで水なすを盛り上げていこうとなりました。
水なすは大阪の宝になりましたね」。

その後、先代の夢のひとつだった水なすをはじめとしするお漬物の専門店『みずなす工房』の立ち上げ。
お漬物の可能性を広げていっていらっしゃいます。
将来のビジョンはどう描いていらっしゃいますか?
「漬物というと日本の食卓で食べ続けてこられたもの。
一方で発酵食品という側面、一方では余分に塩分を取ってしまうとも言われています。
それが悔しいんですよね。
今に漬物が残っているということは体にいいから残っていると思うんです。
"漬物を食べて健康"という切り口でアピールしていかなければと思います。
糠、乳酸発酵の力を打ち出していきたいですね」

大阪の宝は進化続けています。

<プレゼント>
林野さんからリスナーのみなさまへプレゼントを頂いております。
お漬物「 水ナスと本みず 」セットで5人の方にプレゼント!
≪ 宛先 ≫
メール:akarui@mbs1179.com
FAX:06−6809−9090
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「 水ナス プレゼント 」係 *当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

水なすは大阪の宝。
美味しさはもちろん、
地域や企業にもエネルギーを与えてくれますね。