2020年

12月20日

東京五輪で進化 21世紀の空間文化を創造する

先週に引き続き、ゲストは株式会社ユニオンの取締役社長・立野純三さん。
ホテルや美術館、商業ビルなどドアハンドルの製造を始め、社会貢献活動に至るまでお話を伺いました。
今週は改めて創業からの歴史を伺っていきましょう。

「父が創業しました。
戦後、丁稚奉公で勤めていた会社の後、立野商店を立ち上げました。
しかし、残念なことに1957年一度失敗しているんです。
そこから改めて1958年にユニオンというブランドにして再起業。
ハンドルだけではなくて蝶番などを取り扱っていました。
ちょうど復興の時期と重なってオーダー品の注文が多かったようです。
その流れからハンドルへ。
注文しても時間がかかるなどの問題をクリアすべく、最初から100種類ほど常備していましたね。
そこから選んでもらえるようなシステムでした」。

会社の転機といえば?
「東京オリンピックの特に父が海外へ。
当たり前ですが海外に行くとドアばかり。
日本も建物の様式が変わってくる時代でした。
生活様式も変わりましたね。
父はチェーンスモーカーだったのですが、ドイツのあるメーカーの方はタバコを吸わなかった。
それを見て父は帰国後禁煙しました。
うちの会社は早々と禁煙なんです。
私は少し吸っていましたけどね(笑)
東京オリンピックは時代のエポックメイキング。
パビリオンのドアハンドルも全て作りました
普通は商品を納めるだけですが、当時は取り付けまでしていたそうです。
かなりの忙しさだったそうですが、売り上げも伸びていったそうです」。

先代のお父様からどんなことを教えていただきましたか?
「会社を大きくしなくていい。中身を高めていけ"と。
さらに"業界以外のことはするな"。
"友人であろうとお金は貸すな"とも言われましたね。
お客様に対しての『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』も徹底するよう強く言われました。
こういた基本のことから一流ということにも拘った父でした」。

42歳で現在の社長に就任。
「バブルがはじけたときぐらいに就任でした。
その時は良かったのですが、後に売り上げは半分ぐらいに落ちますから...。
みんなが頑張ってくれました。
その当時、社員が減ることもなく頑張ってくれました
自分の会社の製品が建物に取り付いていることが誇りになっていたのかもしれません」。

株式会社ユニオンのキーワードで『ARTWARE®』というものがあります。
「創業35周年のときにアートとハードウェアを合わせた『ARTWARE®』という言葉を作りました。
21世紀に空間文化を作ろうというキャッチフレーズです。
ハンドルは触ると心地の良いもの。
1年間ぐらい社員と話し合って進めていきました」。
これからの先のビジョンを聞かせてください。
「多品種少量、さらにチャレンジ。
新しいものを作っていきたいです。
伝統工芸とのコラボレーションも進めています。
2025年には大阪万博も控えています。
健康とハンドルについて深めていきたいです。
触れると健康状態がわかるハンドルだとか...」。

オリンピックを機に進化した会社。
2025年の大阪万博にどんな進化があるのか。
株式会社ユニオンのドアハンドルが未来を開けます。