2021年

1月31日

"なりゆき"という道のりは人の縁がつなぐ

先週に引き続き、ゲストはヒグチ鋼管株式会社の代表取締役・樋口浩邦さん。
様々なパイプの加工をはじめ身近な製品手がけておられます。
今週は改めて会社の歴史を伺っていきます。

「父が創業者で私は二代目です。
父は香川県出身で高校卒業後、集団就職で大阪に来ました。
そこでお世話になった会社がパイプの卸問屋さんでした。
10年働きまして、28歳の時に今の会社を立ち上げました。
最初は切断をメインに行っていましたが、平成元年に材料販売に切り替えて今に至ります」。

どんなお父様だったのでしょう?
「父親は油まみれで仕事をしていました。
小さい頃に一緒に風呂に入りますと、腕の毛穴に油が染み込んでいるんです。
それを絞り出して汚れを落としていました。
父の車はカローラだったんですが、長年乗っていましてね。
最後は運転席の足のマットの下の鉄板に穴が開くほどでした。
文字通り乗りつぶしていました。
なんでも徹底していましたね。
創業者の産みの苦しみというか子供心ながらに覚えています。
私は大学卒業後、主要仕入れ先に5年間お世話になって、そこから家業にという流れです」。

お父様とのエピソードは他にも。
「工場でアルバイトをしている時ですが、夜中にどうしてもお客さんに材料を持っていかなければならないことがありました。
父と二人でトラックにパイプを積んでいたんです。
パイプは切断面がとても鋭利なんです。
そこで父が手を切りまして。
血が流れていたんですが、病院にいかずに搬入を優先していましたね」。

そんな創業者のお父様と仕事をすることではいかがでしたか?
「父親はワンマンなところがありましたから私が入った後、意見が合わないこともありました。
例えば伝票の電子化であったり、現場改善のための設備投資であったり。
父が壁になることもありましたね。
私が父を納得させられる方法ができなかったのかもしれませんね。
それを反面教師に私から社員に対しては意見を汲み取るようにしています」。

社長就任のきっかけは?
「父の病気です。
父が57歳の時、私は34歳。
仕事はもちろん借金も背負います。
でもやるしかないと思いましたね。
病床の父にどういうことに重きを置いて経営してきたのか尋ねたことがありました。
父は一言"いやぁ、なりゆきや"と答えたんです(笑)。
肩透かしというか、驚きましたね。
今から思うと現在の私自身の経営もそうです。
いろんなご縁をいただいてお仕事させていただているわけですから。
それが正しいなと思いますね」。

新型コロナウイルスの影響はいかがでしたか?
「社内ではうちのパイプを使って、社員自ら間仕切りを作ってそこにピニールを貼って作ってくれました。
仕事においてもそうなのですが仕組みや雛形は私ブレーンと共にしますが、運用するのは社員です。
自分で考えて自分で結果を出すというやり方。
これからの時代はそうでなければいけないと思います」。

これからのビジョンはどう見ておられますか?
「6年間の社内改革をしてきました。
会社運営は社員次第だと思っています。
インフラはうちの父の代から積み上げてきたものがあります。
その上に形あるものを作り上げていくか。
それが将来を大きく左右していくと思います。
社員が中心となって会社を動かして欲しいですね」。

社員の力が会社の力。
パイプのごとく社長と社員がしっかりと繋がっています。

竹原編集長のひとこと

会社を育てることに人生論があって
その思いや言葉が社員さんに浸透しているような気がしますね。
社員さんを大切に育てていらっしゃいます。