2021年

6月20日

治す、そして"支える"ことで医療現場を変える

先週に引き続き、ゲストは医療法人はぁとふるの理事長 島田永和さん。
スポーツ医学をルーツにお年寄りのリハビリやスポーツ選手との関わりなども伺いました。

障がい者スポーツにも関わりがあるそうですね。
「障がい者スポーツの歴史は戦争が関係しています。
リハビリの技術が進んだのは戦争で負ったケガを治そうというものでした。
ある時、師匠の市川宣恭先生がルートヴィヒ・グットマンという方の『身体障害者のスポーツ』という本を日本語に訳すことになりました。
私もスタッフのひとりとして参加しました。
グットマンさんはユダヤ人だったのですが、迫害を逃れてイギリスのストーク・マンデヴィルという公共病院のトップになります。
彼は障がい者の方に安静ではなくて動くことを勧めるわけです。
しかも社会復帰までを考えられていました。
そのストーク・マンデヴィルのスポーツ大会というのが障がい者スポーツ、パラリンピックのはじまりなんです。
私は本を携えてストーク・マンデヴィルにいきました。
1984年にグットマン先生に会いに行ったんですが、前年にお亡くなりになっていました...」。

島田さんは実際にアスリートとも近く接しておられます。
「長野オリンピックのショートトラックスピードスケート・男子 500メートルで金メダルを奪った西谷岳史選手。
次のソルトレイクシティオリンピックの直前に左足首を骨折したんです。
大晦日に島田病院で手術、2月下旬のオリンピックに間に合うかどうかというタイミングでした。
そんな状況にも関わらずスケート連盟は彼を代表に選ぶんです。
およそ50日では骨はくっつきません。ネジや針金で固定している状態。
じゃあ、いつから歩いていつから氷上練習する? 逆算をして決めていきましたね。
そういった経験をして当時の杉尾憲一コーチと深いつながりができましたので、そこからアスリートを職員にしたというのが始まりでした」。

障害を持つ方も働いておられるんですよね。
「BMXの朝比奈綾香選手、車いすバスケットボールの堀内翔太選手、フリースタイルモーグルの松田颯選手です。
共に働きながら世界と戦っています。
コロナ禍で活動機会が減少したこの3選手がもう一度世界と戦うためにクラウドファンディングで応援を募っています。
彼らの持つ前向きな力はすごいですよ。
えらい奴らです」。
https://readyfor.jp/projects/shimada-vigorous-athletes

アーティスティックスイミングの井村雅代コーチとも繋がりがあるそうですね。
「2004年にヘッドコーチを辞めて、2006年に電話がかかってきました。
"中国に来てるけどトレーニングコーチがいない"と。
うちの元理学療法士で世界に出ていった人がいまして中国チームのトレーニングコーチとして帯同しました。
私も気になるので何度か中国に足を運びましたね。
井村さんは厳しい指導でお馴染みですが、中国の選手が最初に覚えた日本語が"あほ"と"だめ"だったそうです(笑)。
彼女が中国チームを率いて素晴らしい成績を収めました」。

これからはどんなビジョンをお持ちですか?
「不都合によって失われたものを取り戻す。
治すという満足ではなくて"支える"。
時には公認心理士という専門家の力も借りながら別の角度から患者さんと向き合って。
医者がトップじゃなくてみんなで支えていければいいなと思いますね。
あと2025年には大阪・関西万博。
『いのち輝く未来社会のデザイン』がテーマです。
支えるということが今の医療現場では少し足りないというイメージがあります。
万博を契機に我々のやっていることを紹介しつつ、困っている方の顔を前へ向ける。
万博に何かの形で参加したいなと思います」。

竹原編集長のひとこと

アスリートと共に働く。
熱量から患者さんとスタッフさんとの関係性が伝わってきます。