2021年

8月 8日

創業70周年 原点回帰への想いとは

今週のゲストは株式会社池田泉州銀行 頭取CEO 鵜川淳さん。
2020年末に番組書籍『関西元気な経営者のぶっちゃけトーク2スタートで~す!』
を発売。
その巻末で鵜川頭取と竹原さんは対談をしました。
「あの時は新型コロナウイルスの第3波といわれていた時でしたね。
今の環境の中、色んな影響を受けられている方々には心からお見舞い申し上げます。
感染防止にご尽力いただいている医療関係者の方々にも感謝しております。
銀行もエッセンシャルワーカーに近い仕事です。
短期的には現金を手元にというお客様のためにも窓口は絶対に開けなければいけませんし、ATMも稼働させねばなりません。
事業者様におきましては不透明な環境の中、手元の資金を確保しておきたい方もおられますので相談窓口も設置しております。
春先からずっと皆様からご要望いただきます。
それに際して職員は大変頑張ってくれましたし、随分と苦労をかけましたけれど、銀行としての役割だとも思っております。」

経営者さんから銀行にいろいろと相談があるのでは?
「まだ新型コロナウイルスが収束しない中、これから事業をどう再構築していくかなどの相談がありますね。
新しいフェーズに入っています」。

企業との密接な関係を築いている池田泉州銀行。
新型コロナウイルスでどんな変化がありましたか?
「コロナの前は海外とのやりとりから製造、販売もインバウンドが盛んでした。
その仕事をされるにあたって金融機関に対する期待がというよりも人手不足、人材不足に対しての相談が多く寄せられていました。
訪問させていただく営業もそういった人材面のお話をさせていただくと、"実は..."となることもありました。
ところがこのコロナ禍でニーズがやはり"資金"だと。
銀行の本来業務が見直されるようになりました。

そんな中、今年は創業70周年です。
「2010年に池田銀行と泉州銀行が経営統合、合併しました。
2020年5月には、合併10周年を迎えました。
私がこの立場になりましてからマイナス金利などもあり、収益構造を立て直すことが当面の課題でした。
そんなわけで合併10周年を諸手を挙げてお祝いする雰囲気でもありませんでした。
経営統合の翌年には60周年もあったわけですが、その時は合併直後で、創業時に立ち返るなんてことはできませんでした。
この70周年では、合併当時を振り返るのではなく、銀行ができた創業当時を振り返りました。
その当時に書かれたものを読んでいったのですが、"こんな経緯でできたのか"と思うことも多く感慨深かったですね」。

鵜川頭取が歴史を振り返る中、お気づきになったところはありましたか?
「池田銀行と泉州銀行。
実は同じような経緯で設立されているんです。
泉州銀行は70年前の1月、池田銀行は9月。
なぜその時期に生まれたのか。
この2つの銀行も含め"戦後地銀"と呼ばれていました。
この戦後地銀、全国に12しかないんです。
それ以前からの銀行はもっと古く、明治・大正時代。
多い時で2,000数百の銀行があったそうです。
その後、一県につき一つの銀行という世の中の流れが生まれ、池田銀行の前身『池田実業銀行』もあったのですが、後に一県一行という中で昭和20年に都市銀行と統合して消滅しています。
南の方では阪南銀行も合併してなくなりましたね。
そこから終戦に...終戦したら復興資金が必要です。
しばらくは政府も一県一行を続けていたのですが、多くの人が銀行を利用する大阪のような都市部では地元の事業者に資金が回らない。
そこで1949年に後の首相で池田勇人大蔵大臣が地域にしっかりとした銀行を作ることができる計画があるなら一県一行の例外を認めてくれたんです。
そこで全国で一気に銀行設立の動きが出てきます。
そして1950〜52年に戦後地銀が生まれることになります。
大阪には4つ戦後地銀ができました」。

まさに歴史。そんな時代の流れがあったんですね。
「こういった経緯をもつ2つの銀行が統合してできた池田泉州銀行。
経営統合した時に思いを寄せるというよりも、銀行ができた地域の機運や当時の人々の想いや後押しで生まれた銀行だということ。
この歴史、そこにつながる想いこそが今、我々に必要なアイデンティティだと思いました。
70年は銀行内でも周知したいですし、お取引先様に対してもこういった経緯で70年を迎えていることを考えて原点に回帰して地元のお役に立ちたいと思っています。
歴史を紐解けば創業100年を超えている銀行はあります。
しかし私たちの70年は地元から必要とされて生まれた銀行だという地元の想い、私たちの想いが集まった70年。
これからも引き継いでいくDNAだと思いますね」。

池田泉州銀行は『地域共創』というテーマも掲げていらっしゃいます。
「この大阪ですと、地域金融機関が地域おこしとして牽引していくというのはイメージ的に合わないと思います。
この地域は人・もの・お金・情報が集積しており、相当ポテンシャルの高い地域です。
私たちはニーズや課題解決のお役に立つ。
それが私たちの立ち位置だと思っています。
"共創"という言葉の方が地域の銀行として、相応しいと思います」。

ビジネスマッチングもされています。
「別の会社同士が交わることがあればもっとシナジーが生まれます。
経営統合してエリアが広くなったおかげで、違ったエリアの企業様の引き合わせができます。
情報共有させていただければそれに相応しい提案をさせていただけますし、我々の存在価値だとも思います」。

地域、そして企業に寄り添ってこられた70年。
来週はさらに未来のビジョンを伺っていきます。

竹原編集長のひとこと

戦後地銀の生まれた背景は地域の要望から。
それがこの池田泉州銀行さんの70周年の想い。
地方銀行は地域のために。頼りになりますね。