2022年

6月 5日

先達が作った財産を今に活かす

今週のゲストは先週に引き続き飯田繊工株式会社の代表取締役社長 上田純さん。
改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「創業は1903年(明治36年)です。
創業の前に創業者の叔父さんが大阪でタオルのさらし工場を営んでいました。
創業者は中学校を出て、そこに丁稚奉公。
その際に染色整理業の仕事に惹かれて事業を始めたのが最初です。
当時は天神橋筋六丁目界隈でタオル工場を営んでいましたが、大正時代に事業拡大に伴って東淀川へ移転しました。
周りは田んぼでその中に工場があったそうです。
当時は乾燥機がなかったので天日干し。
したがって雨の日は製造ができなかったそうです。
竹竿にかけて干して畳んで出荷するんですが、何100mもある反物を手で畳んでいたそうです。
大きな敷地がないとできない仕事ですね」。

当時の日本の繊維産業は世界でもトップだった時代です。
「第二次世界大戦では戦災に遭いました。
会社、工場が全焼しました。
建て直すまでに2年ぐらいかかったそうです。
それまでにうどん屋をしたりして資金を貯めて、復員してこられた方ともう一度、会社を建て直したと聞いています。
そのままうどん屋を続けていたらどうなっていたのか...。
よく繋いでいただいたものです。
それが現在に繋がって広大な敷地の中で家業を継げています。
敷地がないと2018年設立の縫製部門も生まれませんでした」。

上田社長は早くからこの会社にお勤めだったのでしょうか。
「私は入社して30年ほどです。
元々は銀行系の情報処理システムの仕事をしていました。
そこから独り立ちをしようと考えていたり...。
ある時、会長から"情報処理システムを強化するから来ないか"とお誘いをいただきました。
では頑張ります、とお受けしました。
入社後"まずは営業から"と言われまして、そこから30年ずっと営業でして(笑)。
いつ情報処理の仕事をするんだろうと...(笑)。
今からやろうと思ってもできないですから。
あのお誘いの言葉は何だったのでしょう...今、思うとありがたいですね」

そうして2018年に代表取締役社長に就任し縫製部門が誕生。
「縫製工場を設立することで最終まで自分たちの商品を見ることができる。
顧客目線で商品開発ができる強みを得ることができました。
今のところ正解だったなと思います。」

製品の中には意外な素材を使ったものも。
「車の部品であるエアバッグを使った商品があります。
産業廃棄物のエアバッグを回収している業者さんとつながりました。
ジャンバーにバッグ、バッグの肩紐にはシートベルトを使用しています。
言わなければ元がエアバッグとは分からないです。
丈夫な商品ですのでアウトドアなどにも最適かと思います。
現在開発中です。
こういった商品を私たちの製品の中から発信できたらと思います」。

今後のビジョンはどう描いておられますか?
来年で120周年を迎えます。
それが通過点とするならば300年続く企業を目指して、環境イノベーションの確立と人々に喜んでいただける価値ある商品づくりを念頭におきながら、グローバル化を目指して世界に商品を展開できるような企業になっていきたいと思います」。

時代を超えた日本の繊維産業技術。
120年積み重ねたものづくりは世界へ。

上田さんからリスナーのみなさまへプレゼントを頂いております。
「キングコング西野亮廣さんのチムニータウン コラボTシャツ 」
Lサイズを1人、Mサイズを2人の方にプレゼント!

≪ 宛先 ≫
メール:akarui@mbs1179.com
FAX:06−6809−9090
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「  飯田繊工 プレゼント 」係
*当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

やり方次第で時代にあったものづくり。
技術とセンスはSDGsにも繋がりますね。