2022年

6月19日

"なんとかします"から始まった船出 その行き先は

先週に引き続き、ゲストは菱岡工業株式会社の代表取締役 岡田亜紀さん。
今週は創業から伺っていきましょう。
「1974年創業でもうすぐ50周年。
祖父が創業者です。
三菱電機さんで定年までお世話になりまして、定年後、同じく定年を迎えた方4人と立ち上げました。
和歌山の三菱電機さんでは業務用のミシンを作っていたそうです。途中から業務用の空調機・冷凍機を作られることになって、その過程でハーネスの加工や制御機器を扱うようになっそうです。
当時、まだ板金加工はやっていませんでした。
し始めたのは15、6年前です。
元々は外部から購入していました。
一番、多く仕入れているものだったので、それではやってみよう、と...というのは表向きの理由。
実は板金の業者さんの納期が遅れることがあったりしました。その遅れをこちらが賄うために倉庫業もすることに疑問がありまして、自分たちで始めた形ですね」。

いざ、板金をスタート。
すぐに始められるものなのでしょうか?
「まずは工場見学をしたり、展示会に行ったり。
そこからのスタートでした。
実は私、バンドをやってまして、ある総会で演奏を頼まれたことがありました。
その時にお取引先でもあるノーリツ鋼機さんの社長代理で来られていた当時の営業部長代理の方と出会いました。
何度かライブの度にお越しくださって、ある時にその方の早期退職のお話を聞きました。
その時に板金の話をしたんです。
するとその営業部長代理さんは元々技術者で板金が得意分野だということがわかりました。
全然存じてなかったので驚きましたね。
出会いからつながって今も西浜工場で工場長をしてもらっています。その方がおられることで板金部門に新たな職人さんに来て頂けたり」。

岡田さんご自身はこの会社に入るつもりだった?
「今の時代と比べると考えに差がありますが、父は"女の子は嫁にいって幸せになるのが1番や"と言っていましたね(笑)
実は16歳で出会った9つ上の男性と21歳で結婚したんです。
26歳のときに父が他界して、それがきっかけで解散するんですが...。
父の社葬が終わって、社員さんにご挨拶というタイミングで皆さんから囲まれて"これからどうする?"と言われたんです。
私自身がどうしたらいいかわからない時だったのですが、思わず"私がなんとかします"と言ってしまったんですよね。
周りの人からは社長の席にはお母さんに座ってもらって、周りの人間がやればいいと言われました。
でもそんなことをすると母を大切にしていた天国の父が怒るかと思いまして...」。

紆余曲折あって社長に就任。
様々な分野に事業展開をされています。
農業分野にも進出されているそうですね。
「将来やりたいことがありまして農業法人を立ち上げました。突然変異で生まれたものがありまして、どっちかというと野菜寄りのものです。
スーパーでも変異する前のものがあります。
変異の確率は1万株に1つぐらいですかね。
栄養価が高くて希少価値が高くて何より見た目も美しいんです。それを量産できるような体制を整えようと思っています。でも専門家の方のお話を聞いていると、突然変異で出来ているから突然戻る可能性もあると...。
どうやったら安定したものづくりができるか産学連携で頑張っています」。

未来のビジョンは?
「事業の1つ1つが今後のビジョンにつながっていくものです。最終的に目指すところは農業やチョコレートだったりしますが、その中で障害のある人たちが職業の選択ができるよう。男女平等に活躍の場はあるものの、まだまだ女性の方の年収が少なかったり。
シングルマザーの家庭の収入が低かったり、貧困家庭も多いと思います。
将来、シングルマザーのシェアハウス
障害のある人のグループホーム、
元気なお年寄りの集合住宅を作って、
お互いがお互いを支えあうようなコミュニティを作りたいです。そこでみんなで農産物を育てることで就労場所になって、小さい子どもたちの給食も一緒に作る。
そこに向けて一歩ずつ進んでいきたいですね」。

完成形へ向けて成長するピース。
全てが合わさった時が楽しみですね。

竹原編集長のひとこと

ものづくりをする町工場でも女性社長さんが増えてきました。
技術や品質の他に地域や人にまで目を心を配ることができるのは、女性社長さんならではですね。