2022年

9月11日

ものづくりのヒントは趣味にあり

先週に引き続き、ゲストは淀川電機製作所の代表執行役社長 二井愼一郎さん。

今週は改めて会社の歴史を伺っていきましょう
「創業は1948年、父が創業者です。
昔、SPレコードというものがありましたよね。
元々はその盤を回すモーターを作っていたんです。
でもそのモーター音を針が拾うんですね。
盤を回転させる時に音が出なくするために先代が苦労をしました。そのモーターを大阪・日本橋に売りにいきまして、後の現在で業界No. 1となれる、機械工具の会社の創業者さんとたまたま出会ったそうなんです。
"あんたモーター作ってるらしいな、みんなが欲しがっている送風機を作らへんか" と言われたのが始まりだったようです。作ったら売ると仰っいただいて、では作ります、と取引が始まりました。
最初はOEMブランドで出させていただきました。
そのきっかけをくださった企業さんはその後も成長をされて今は5000億企業になられていて、今も取引が続いています」。

現在の二井社長が入社されたきっかけは?
「入社前は商社に勤めていて東京に3年半ほどいました。
ある時、"帰ってこい"と...。
帰りたくなかったんですけど家業ですから(笑)
会社で親父の背中を見ながらやってきましたね。
私自身は元々工学部出身でものづくりが好きでして。
現在も半年に1度ぐらい大手模型メーカーさんの一番大きなラジコンのセットを買い求めまして、雨降りの日とか休日だとか、チクリチクリと作るが好きなんです。
半年ぐらいかかるんですがね(笑)。
そこからすごくヒントをいただきます。
このアイデアを出す社長さんがいらっしゃる。
それならば私も出さねばいけないなと思いますね。
切ったり、削ったりしてプラモデルを作るとプラスチックの粉が出ますよね。それが集塵の商品につながったり...」

社長自らものづくりのアイデアを出す。
「営業をしている時もありました。
でも早く製造の方にいきたいという気持ちはありましたね。現場が好きで毎朝、必ず工場内を回るんです。
各従業員さんと必ず挨拶をしたり、お話もします。
みなさんの会話、表情...花金やから元気やなと感じたり(笑)。工場の隅から隅まで回るのが大好きなんです」。

これまでのお仕事の中で苦境や辛かったことはあったのでしょうか?
「39歳で社長に就任しました。
先代が入院しまして、そこから3年間一切社長業ができませんでした。そして、亡くなりました。
私どもは株式会社じゃなくて個人会社なんです。
そうすると相続などが大変でした。
景気の波もありましたが従業員さんは理解を示してくださいましたね。業界No. 1の山善さん、そしてメインバンク池田泉州銀行さんには、"色々あるけど心配するな"と励ましのお言葉をかけていただきました。
私が修行時代に勤めていた会社の御子息も"大変やろ、ごはん行こうよ"と声をかけてくれました。
待ち合わせのレストランに行くと彼が目に涙をためて待っていてくれたんですよね。
私のことを察してくださっていたんです」。

未来へのビジョンはどうお持ちですか?
「私が古希、息子が40歳。常務をしています。
ちょうどバトンタッチの時期。
私もそのタイミングでしたから。
何かあった時に相続の苦労をかけてはいけないと思っています。今年7月1日付で法人を作りまして、 2023年1月から株式会社になります。
私は会長になって、息子が代表取締役になります。
私も先代が元気でいる間に聞きたいことがありました。
お墓に手を合わせながら電話繋がらんかなぁと思ったことがありました。
元気な間に色々とやってみたいんですよね。
なんで現場回ってへんねんと息子に怒ってみたりね(笑)。
だからゴルフも毎週行ってます。
会長になっても工場には参ります、趣味ですね(笑)」。

脈々と続く確かなものづくり。
時代は変わろうとも淀川電機製作所のものづくりは続く。

竹原編集長のひとこと

ものづくりの会社の真っ直ぐで真面目な姿勢。
他所にはないものを作り続ける力は社員さんとのコミュニケーションにありますね。