2022年

9月25日

継承される圧力鍋への情熱

先週に引き続きゲストは株式会社ワンダーシェフの代表取締役 伊藤彰浩さん
さまざまなタイプの圧力鍋を開発製造。
改めて会社の歴史を伺っていきましょう
「創業は昭和26年です。
祖父が独立をしました。
祖父が次男でして、長男の曽祖父が明治の末から銅の調理道具を作っていました。
時代的に『カルメ焼き』『ちょぼ焼き』を作る道具ですね。
ルーツからいうと100年以上の歴史があります。
戦後はアルミ製品に特化して、昔は伊藤アルミニウム工業株式会社という名前でした」

圧力鍋にシフトしたのは?
「今から24年前です。
実は圧力鍋の商品名が『ワンダーシェフ』だったんです。
気がつけば圧力鍋の方がお客様に喜ばれる製品が多くできまして社名にしました。
先代の時代でしたね」。

圧力鍋に注目されたのはなぜなのでしょう?
「"伊藤アルミ"でありながら最初からステンレス製の圧力鍋を作っていました。
当時、IHが熱源として増えてきた頃でした。
熱源としてIHを使うとなるとステンレス製。
その中でもステンレス製の圧力鍋は値段が高かったんです。
それをもっと多くの方に使っていただけるように頑張っていました」。

ワンダーシェフが生まれてからは順調だったのでしょうか?
「いえいえ、これが...(笑)。
圧力鍋はアフターサービスも必要ですし、使い方を間違うと危険なこともあります。
それまで調理小物しか作っていなかったメーカーがいきなり圧力鍋を作ったものですから、各所から厳しい言葉をいただきました。
当時、私は東京で営業をしていたものですから東京の言葉で捲し立てられたり(笑)。
それでもめげずに地方百貨店で実演コーナーに出ていました。
料理をして短時間でできることを実証して"何かあれば私に連絡ください!"と」。

会社に入ったのはどんなきっかけでしたか?
「大学を出てすぐ入社でした。
父はあまり言いませんでしたが物心ついた頃から祖父に"お前は将来の社長だ"と刷り込まれていしたね。
祖父はすごく厳しかったです。
会社に入った頃、仕事は楽しいかと聞かれました。
"楽しいです"と答えると"楽しいなら給料いらんよな"と。
そんな感じでしたね」。

厳しい祖父、それを継いだのは父親。
「父も厳しかったですし、真面目でしたね。
父からは直接的にどうこう言われたことがないんです。
でも改めて見ると父がしてきた社長業がとても正しかったと思いました。
社長は飛行機の機長。
従業員という人をたくさん乗せて操縦していく。
コックピットの計器は会社の数字。
私も今、学んでいますが父のやってきたことはその通りだったなぁと思います。
父は家では全く喋りませんでした。
父は当時社長、私は専務。
従業員からすると"社長と専務は家でしゃべって色々と解決していた"と思われていたそうですが、これが全く話しませんでしたからね(笑)。
聞きたいことがあれば当時は母親を通して聞いていたりしました。
自分が社長をして10年経って分かってきました」。

伊藤社長は圧力鍋協議会の会長も務めておられます。
「圧力鍋をもっと売ろう...という会ではなくて、安全性を高めていく仕事です。
日本のメーカーだけでなくフランスやドイツのメーカーさんも入っているんです。
海外のメーカーは本社の物事を動かそうと思うと大変です。
当社はオーナー企業で動きやすい環境にありますので、私が務めさせていただいています」。

未来へのビジョンをおしえてください。
「事業方針が"おいしくて、楽しくて、 しあわせな食卓を作る"。
世のため人のためになるような製品を作りたいと思っています。
当社の製品を使って作った料理。
その結果、笑顔が溢れる食卓を作ることができたらと考えています。
圧力鍋以外の製品も作っていきたいですね。
高級缶詰を今後開発予定です。
スペアリブを圧力鍋で作ると美味しいんですよ〜」。

美味しいを生み出す圧力鍋。
弛まぬ研究開発でこれからも新しい美味しいを生み出します。

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竹原編集長のひとこと

会社の歴史や想いから、後継者のお話。そして、引き継いでいくきっかけ。
とても参考になりました。