2022年

10月 9日

"チェンジ"から生まれる新しいアイデア

先週に引き続きゲストは第一大宮株式会社の代表取締役社長 松岡貴峰さん
お作りになっているプラスチック段ボール製の容器が様々なシーンで活躍しています。
今週は改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「1964年創業です。
『伊勢屋紙器』という名前で段ボールの付属の仕切り材を作っていました。
内職から始まったものです。
伊勢というのは父の生まれた場所。
後に父が加わって『第一大宮紙器』に。
従来の段ボールのお取り引き先に『第一紙器』という会社がありまして、そこが移転をするので"この場所で引き継いでやってみるか"とお声がけいただきました。
そこを借りて段ボールの打ち抜きを始めました」。

現在の松岡社長はどういった経緯で入社されたのでしょう。
「大学を出て他の道へ進もうと思っていたんですが、父から説得されました。
新しい仕切りを組む機械を入れたけど、現在の工場には入らない、別の工場を用意するからそこに就職してくれないか、と。
将来大きくなればいいなと思いながら就職したわけです。
しかし、その新しい工場に行ってみたらただのモータープールに機械がポツン(笑)。
流石に屋根はありましたけど、車を置くぐらいの感じのところでしたね。
机がひとつ、大学ノート1冊、電話が1つ。
これでやれ、って感じでしたね(笑)。
でも将来的に自分のものにするとしたら苦労も必要かなと思いました。
たったひとりで朝から晩まで仕切りを作っていましたね。
機械が壊れたら自分で直して、油まみれでした」。
形になり始めたのはいつ頃なのでしょうか?
「生産工場を工場長に任せることができてからですね。
人に任せて私が営業に回る。
大手のメーカーさんがうちを探してくれまして安定した受注につながりました。
ある時、素材を押し出している大手メーカーさんが、私の給料を払うから一緒に営業に行かないかと提案をいただきました。
素材のメーカー、商社、そして私の加工。
この三社で大阪のあちこちに飛び込み営業をしていました。
プラスチック段ボールが世の中になかった時代です。
まずは知ってもらうことからでした。
27、8歳の頃ですね」。

松岡社長のご苦労をお子様はご存知だったのでしょうか?
「子どもは4人いるんですが、お風呂に入れてやった記憶がないんですよね。
毎日仕事で、早く帰りたくても帰れなかったです。
息子は現在、会社のセールスプロモーション部にいまして、従来の形ではないもので、どう売っていくかを模索してくれています。
コロナ禍で営業に行けませんし、お客様アンケートで商品の説明をして欲しいというお声があります。
それならばYouTubeでということで息子が動画で頑張ってくれています」。

新しいものにチャレンジをして製品を生み出されています。
「私が常日頃、みんなに"チェンジこそが仕事"だと言っています。
変えることが仕事だと。
変えないですることが作業。
下りのエスカレーターを駆け登ってもホッとしたら下がってくる。
上になかなか到達していない。
現状維持は下がっているということなんです。
常に変えていくことが前に進むことですね」。

第一大宮株式会社のチェンジとチャレンジは続く。

竹原編集長のひとこと

じっとしているといけない。
絶えず前へ。時代に合った製品はそこから生まれてくるんですね。