2023年

5月 7日

遺物・発掘を身近に イベントにも積極参加

先週に引き続き、ゲストは株式会社島田組の代表取締役社長 岩立二郎さん。
今週は改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「1978年に法人になりました。
私の入社前ですが、1980年に地下鉄・八尾南駅工事の時に発掘調査をしました。
それまでは土木工事の会社です。
当時はバブルの真っ最中で業者が足らないような時代。
聞いた話ですが、どこの会社も発掘工事は面倒だしやりたくなかったそうなんです。
しかし創業者が"それでは私たちが"ということで始めたそうです。
さらに近畿道、そして久宝寺の再開発など立て続けに文化財発掘調査が続きました」。

現岩立社長はいつ入社されたのでしょうか?元々発掘調査に興味があって?
「98年に入社しました。
その頃も会社は継続して文化財の発掘工事をしていましたね。
興味でいうと元々は全然(笑)。
これは運命と言いますか、縁と言いますか...入社前、当時の私は配管工事の仕事をしていました。
ある時に私の妻の遠い親戚のお通夜があって車で送ったんです。
妻にはひとりで行って欲しかったんですが、渋々送りまして...。
そこである人を通じて、当時の島田組の会長を紹介してもらったんです。
それから3、4日経った時に会長を紹介してくれた人から連絡がありました。
"島田組の営業が辞めたからあの人どうや。うちで営業やらないか"と私のことを云っていただいていると。 現場仕事をしていて営業なんかしたことがない。
名刺も交換したことがない。
一度は断ったんですが、間に入った人の顔もありまして面接を受けました。
思い返すと現場仕事をして休日は寝てばかりで家族サービスをしていない。
当時は2人目の子供が妻のお腹の中にいました。
面接で話を聞いているとサラリーマンもいいかなと思い始めました。
平社員から入りまして、営業係長、営業課長、営業部長、営業本部長、専務取締役、そして今に至ります。
おかげで家族も円満になりました。
あの時にお通夜に行ってなければ、今はないですね」。

結果的に営業は得意だったんですね。
「いや、得意じゃなかったですね。
色んなところに行っていると、色んなところで声が聞こえるんです。
"近畿圏だけの仕事""大阪だけだろ"。
会社を馬鹿にされたりすると家族の悪口を言われているような、悔しい気持ちになるんですよね。
愛社精神なのかもしれません。
"それならばもっと仕事を広げよう、その会社よりも上に行こう"とそんな気持ちで取り組んできました。
それはやっぱり現場で動いてくれている人の力があってのことです。
街で島田組のユンボやバックホーを見かけたら発掘調査をしていると思ってください」。

営業というのはどういったところを回られるのでしょうか。
「自治体もゼネコンも全てですね。
さらに文化財センター、協会、市町村の文化財教育課などにも伺います。
これまで積み重ねた信用信頼が強みだと思いますね。
"文化財といえば、発掘といえば島田組"。
このイメージは大事だと思っています。
常にアピールをしています」。

子どもたちにとっても発掘という仕事は憧れになりそうですね。
「イベントに積極的に参加しています。
子供たちに発掘の体験をしてもらっているんです。
本格的な砂場を作って黒い土など層を敷いて、そこにレプリカの埴輪などを埋めて。
ハケとバケツとスコップを持って発掘してもらうんです。
高槻に今城塚古墳があるんですが、毎年11月に『古墳フェス はにコット』というイベントがあってそこに出たり。
泉大津市のイベントにも出たことがありますし、今度は藤井寺も。
発掘を体験してもらっています」。

スタジオにもレプリカを持ってきていただきました。
「『土器パズル』と云います。
壺がバラバラなったピースになっているんですが、マグネットでくっつくようになっています。バラバラのピースは発掘して壺の形にしていきます。 なぜか子どもたちの方が早いですね」。
最後に未来へのビジョンを聞かせてください
「大人から子どもまで、より広く、多くの方々に遺跡や考古学を面白く楽しく身近に感じてもらうこと。
これが島田組の宿命だと思います」。

発掘という夢のある仕事。その夢はいつか子どもたちの夢へ...。

竹原編集長のひとこと

社会に役立つお仕事ですね。発掘することで先につなげていく。
持続可能な社会を作っておられます。