2024年

1月14日

ルーツは鈴木商店 薄荷は創業100年へ向けて走り出す

先週に引き続きゲストは鈴木薄荷株式会社 代表取締役社長 高畑新一さん

今週は歴史を伺っていきましょう。
「ルーツは大正財閥の鈴木商店です。

第一次世界大戦の景気で日本一の売り上げにまで伸びて、10年足らずで事業停止になったという不思議な会社なんです。 拡大しすぎたのかもしれませんね。
元々は1874年に大阪の『辰巳屋』からの暖簾分け。
当時は砂糖商でした。
昔は三盆しかなかったのですが、輸入で砂糖が入ってきた時期です。
来港する船がだんだんと大きくなってきました。
大阪の遠浅の海では船がつかないので神戸に入港。
そこで神戸でも砂糖の取引をしたいということで鈴木商店がスタートしました。
事業が大きくなったのが『樟脳』でした。
昔、箪笥の防虫剤として使われたものです。
当時統治していた台湾から原料の樟を仕入れて、加工して、樟脳を取り出して。
樟脳がセルロイドの原料になっているんです。
砂糖も樟脳も天然のものから結晶で作るものです。
薄荷も同じ製法。
鈴木商店のスタートは砂糖、樟脳、薄荷という3つでした。
そこから日本が高度成長を控えていた中、神戸製鋼など重工業への事業投資をしていくことになります」。

日本が豊かになるため必要な企業へ投資をしていた鈴木商店。大企業には鈴木商店がルーツのところが多いのです。
高畑さんはどんなルーツがあるのでしょうか?
「第一次世界大戦時にイギリスの船がドイツのUボートに沈められました。
船を作るために鈴木商店は商社としてイギリス政府とやり取りをしていました。
当時の鈴木商店ロンドン支店の支店長が私の曽祖父でした。私が小学5年の時に亡くなりましたので、ちゃんと記憶がありますね。」。

高畑さんご自身の入社はいつからですか?
「日商岩井に新卒で入って、10年前はグループ会社にいました。
工場の現場で頑張っていました。
鈴木商店の関係でレアメタルやレアアースを取り扱っていた会社で出荷担当をしていました」。

商社、グループ会社を経て鈴木薄荷へ。
「30人ぐらいの会社ですが、とても雰囲気も良くて、社員も若くて元気な会社です。
"人と社会にさわやかな潤いを"をテーマにしています。
今は豊かな時代になりましたが、薄荷を通じて潤いを、という先人からのバトンを引き継いでいます。
薄荷は黒子的な素材です。
いろんなところに隠れて仕事をしている。
まだまだ新しい可能性があると思います」。

社員さんには鈴木商店の伝統は浸透しているのでしょうか?
「あえて社員教育のようなことはしていませんが、ブランド以上にとても社内の雰囲気が良いんですよね。
出入りで来られていた方が、会社の雰囲気を気に入ってくれて中途入社を希望してくださったり。
社内に敷いているマットを交換してくださっていたのですが、神戸市内300ヶ所を回っていた方が、しっかりと挨拶をしたり、社内の雰囲気を気に入ってくださったようなんです。
こういった文化を大切にしていきたいですね。
先代から受け継がれたものだと思います。
新入社員へも"挨拶をする""時間を守る""身の回りをきれいにする"この3つを守るようにいっています」。

鈴木商店時代から繋がっている伝統などはあるのでしょうか?
「会社に神棚があるのですが、お正月は最初に手をあわせるということはしますね。
社長の挨拶より先だろといいながら(笑)。
創立記念の食事会、忘年会などもしますね。
小さな会社の中でも会う人が限られてきます。
こういった集まる会は大切にしたいですね」。

長く続く会社が今でいう持続可能な社会にも通じます。
「鈴木薄荷としては2027年に100周年を迎えます。
鈴木商店は今年150年になります。
100年を機に事業転換を考えています」。

まもなく創業100年。
薄荷の可能性も未来へ繋がっていきます。

竹原編集長のひとこと

会社にはいろんな特色がありますが、あの鈴木商店をルーツにもつ会社。
長く続けていくことにも価値がありますね。