2024年

9月 1日

再生医療 多くの命を救う世界に向けて走る

先週に引き続き、ゲストは一般財団法人未来医療推進機構理事長、大阪警察病院院長、大阪大学大学院医学系研究科特任教授の澤 芳樹さんです。
未来医療推進機構が担う未来医療とは...。
詳しく伺っていきましょう。
「心臓外科医として人の命を救うということ。
これが私の仕事です。
仕事であるが故に、こだわりが非常に強いです。
すなわち、ひとりでもたくさんの命を助けたいと思っています。
1999年の2月29日に心臓移植再開の第1例目があったんですね。
脳死に対しての法案ができて、それによって心臓移植が再開されました。
第1例目から携わらせていただいています。
心臓移植の重要さ、亡くなる寸前の方を人工心臓を装着してお助けする。
それで全ての方を助けることが出来たらいいんですが、日本で心臓移植で助かる方は100人ぐらい。
ところが日本で心臓移植が必要な方って1000人以上いらっしゃる。
毎日の医療をやりながら何とかしないといけないと悔しい思いをしていました」。

転機はどんなタイミングでしたか?
「移植医療がなかなか進まない日本だからこそ、新しい医療、再生医療が大事ではないかと。
本当に人が助かる心臓の再生医療は何だということで、2000年頃から研究を始めて2007年に山中伸弥先生がiPS細胞を樹立されて、同時期に私もその再生医療の臨床試験を始めたところだったんです。
それで山中先生と意気投合しました。
山中先生も人を治すことへの思いが強くて。
iPS細胞を使っての治療へ繋げたいという思いから私と一緒に心臓治療をしましょう、と。
山中先生がノーベル賞を受賞されてさらにクローズアップされましたね」。

大きな進歩だったわけですね。
「2020年に『ファースト・イン・ヒューマン』という、世界で初めてiPS細胞から作った心筋シートで患者を治すことに成功したんです。
その後、他の大学でも続きました。
再生医療とは何かというと、他の治療法では治らない方を特殊な再生を引き起こすようなタンパク質などを使って治療するんです。
細胞って不思議なものですごいポテンシャルを持っているんです。
生命の最小単位だと思っていまして、細胞も細胞同士で話をしているんです。
これは"クロストーク"といいまして、細胞から色んな因子を出して助けに行ったり体の中で動くんです。
最初に受精した時は細胞が1個。
ところが皆さんの体って大体60兆個ぐらいの細胞でできていて元々1個の細胞なのに段々と分化していきます。
それで心臓の細胞だったり、脳の細胞だったり、皮膚になったり。
それぞれの役割を持って体を構成しているんです。
心臓はシンプルに動いているポンプですが、これが90年100年と動き続けるわけです。
すごい生命の神秘ですよね。
どの細胞も設計図を持っていまして、それを遺伝子といいます。
3万個ぐらいの遺伝子があって、それのどこを表現するかによって皆さんの顔も違うし、声も違う。
一旦、体の色んな細胞になったら、それはそこまで。
それが"山中4因子"入れることで受精卵のレベルになるんです。
人間の進化の逆回しをしたんですね」。

まさにiPS細胞で世界が変わる。
「山中先生のノーベル賞に対して国がすごく支援して、 プロジェクトが立ち上がりました。
私たちもその一員です。
このiPS細胞で日本は世界をリードしています。
だから今こそ我々が日本で作ったiPS細胞からの心筋の再生治療で世界の人を治せるようにしたいというのが私たち、私自身の1番強い思いなんです」。

そして、この『未来医療推進機構』。
「本当に 私たちがこれをスタートさせて、ホッとするのも束の間、もう毎日のように色んな国から問い合わせがあります。
見学に来たい、契約を結んで、連携契約を結びたいとか。
色んな会社、国がベンチャー会社を持っているんですね。
そういう方々をここに連れてきてアピールさせてほしい、日本に研究開発があれば、披露してピッチコンテストをして、そこに投資をしたいとか、そういうオファーをたくさんいただきます。
世界から期待されています」。

中小企業の関わりもあるのでしょうか。
「新しい医療を築いていくのはステップバイステップなんです。
例えば医療機器を作る。
試作品を作って、それがどういう風な形で機能するかっていうのを試す。
最終製品を作る段階で中小企業のものづくりの方々の力、役割は大変大きいんですね。
細胞培養するにしても、保存するのには凍結するか、どうやって凍結した細胞を解凍するかっていうのは、ベストな方法っていうのがまだまだ確立されていないです。
例えば冷凍食品。
新鮮な味を保つ、あの技術は細胞治療にも応用できるんです。
そういういろんな会社の方々が集まってきているのが、この『中之島クロス』です」。

どのような方々がお集まりなのでしょう?
「製品を作って販売する会社の方もいらっしゃるし、ロボットの技術を持っている会社も。
自分たちだけではできないけど、ここに来たら力を合わせて一緒にできるという形です。
物流や安全面の担保として保険会社も入っていたり。
ものづくりの原点を、ここでまた再編しようと思います」。

未来医療推進機構の今後のビジョンを。
「まず3年〜5年ぐらいには、この中がうまく回る仕組みを作りたいと思います。
エコシステムと呼んでいるんですけど、物を、人を育てる。
人が集まったら次はベンチャーを作る、ベンチャーとなり、スタートアップをどうやって育てるか。
それを育てることによって新しいビジネスに繋がって、次はそこに投資が回ってくる。
そうすると経営をする人がいるじゃないですか。
その人材育成をしたいと考えています。
アントレプレナーシップって言うんですけど、企業人を育てる。
こういう仕組みの教育は特にバイオヘルスケアは弱いんです。
できた会社をどうやって育てるかということはアメリカではもうすでにビジネスなんですよね。
私が考えている目標は、やっぱりもっと海外と繋がる。
それで、海外と繋がって大阪の、日本の『中之島クロス』じゃなくて、世界から見て、再生医療なら『中之島クロス』だね、と。
それぐらいの位置付けになってほしいなと思ってます。
何より、助からない人を助けていくのが再生医療の元々の理念ですので、たくさんの人の命が助かってくれればいいなというのが私の考え方です」。

ここは、もう世界の『中之島クロス』

竹原編集長のひとこと

再生医療と産業、中小企業も繋がって新しい医療の世界を構築しようとされています。
そのど真ん中で動かれている澤先生。
これからも大阪から世界の医療を引っ張っていってください!