2025年

8月 3日

100年企業が目指す "スパイラルといえばクロセ"

先週に引き続き、ゲストは株式会社クロセの代表取締役社長、黒瀬義明さんです。

今週は会社の歴史を伺っていきます。
「創業は1925年8月1日。
この放送の2日前には100周年を迎えました。
私は6代目でして、私の曾祖父が創業者。
創業当時は打ち抜き金網というパンチングメタルを作っていました。
金属に穴を開けるものなんです。
仕事の中でお客様の方からステンレスで、そのパンチングメタルを作って欲しいというオーダーをいただきました。
当時、日本の世の中にステンレスはありませんでした。
私の曾祖父は非常に苦労したらしいんですけれど、そのステンレスに惹かれまして"これを日本に持って来たい"と。
ヨーロッパから代理店として持ってくるというところを探して、打ち抜き金網からステンレスの輸入販売に切り替わりました。
そうこうしているうちにステンレスを納めるお客様からそれを加工してくれないかと。
そういった加工に比重していくことになりまして、ステンレスの加工に着想しました」。

現在の『スパイラル式熱交換器』につながるところというと?
「工場を作ってステンレスの加工からタンクという事になりまして。
圧力容器と熱交換器はセットなのですが、熱交換器をやっていく中でスパイラルに目覚めました。
それを1961年にヨーロッパから技術導入をしました。
その時は全く売れてなかったと聞いていますけれど(笑)。
技術開発を続けまして、中の流路が詰まらない熱交換器に特化してやって来たというところですね。

実際に『スパイラル式熱交換器』が軌道に乗り出したのはいつ頃?
『大体2000年ぐらいからです。
それまではどちらかというと圧力容器がメインでした。
今では『スパイラル式熱交換器』が売上の7〜 8割ぐらいです」。

黒瀬社長は幼い頃から会社の承継という意識はあったのでしょうか?
「何となくはあったんですけども、ただそのまま入社したわけではなくて大学卒業から愛知県の大手の自動車会社の部品会社に5年ほど勤めました。
そのまま親の会社に就職もどうかと思いまして、いち作業員として就職しました。
ある時に父に呼ばれて"戻ってこうへんか"と話がありました。
前職を辞めるまで猶予期間はあったのですが、入社してから父と仕事をしたのはおよそ1年ぐらいでしたね。
入社当時は温度から機器の形状を計算する基本設計、その後は営業、購買を経験してから社長に就任しました」。

お父様からは経営理念など受け継がれたことは?
「100年前からブレずに変わっていないことですね。
"従業員が自己の能力を最大限に発揮しうる会社で豊かである"。
心も含めてですね。
作業としてではなく、従業員が誇りを持ってひとつひとつの仕事をしてもらえるところを求めていきたいと思っています。
お客様に信頼される会社という理念もあります。
"タイムリーにかつ良心的に提供すること"」。

大阪発の熱交換器メーカーがチームを組んでおられるのだとか。
「大阪の熱交関係4社が集まった会で『熱交めいつ』と云います。
具体的には日阪製作所さん、HINO-TECさん、勝川熱工さんと我々が入っている団体です。
キャッチフレーズは"捨てる熱があれば、拾う熱交あり"。
脱炭素など、今まで使われていない熱を拾う熱交メーカーがこれだけ大阪に集まってるよ、とアピールしています。
我々に相談していただけたら熱交関係は何でも叶えますという心意気を一致団結しています。
我々が参加したのがおよそ2年前です。
やっぱり大阪だから集まってやろうよと気楽に言える雰囲気があったのかなと思います。
他だとどうしても競合だっていう発想はありますので。
我々も後で、お声かけいただいて非常にありがたいと思います。
我々の今目指してる所も非常に近いので世界へ発信できたらと思っています」。

実際に集まってイベントなどは?
「先月も展示会で脱炭素のブースを共同で出したり交流会も。
我々の工場に来ていただいてご覧いただいたり。
相談事があった時などはそれぞれの会社に強みがありますから、そこに窓口としてバトンタッチしてあげたり。
熱交関係をみんなで盛り上げていく感じですね。
お客様が諦めずに熱を拾うっていうところが実現していく。
それによってその行動が社会課題の解決に一つでも役立てば嬉しいなと思っています。

未来のビジョンを聞かせてください。
「スパイラル式熱交関係で世界一課題解決力のある会社を目指したいなと思っています。
世界に競合はいるんですけども、我々がブレてはいけないのはやっぱり課題解決するというところかなと思っています。
今ありがたいことに日本一位に近いとは思うんですけど、この先、社会課題を実現していく中ではやはり世界へ向けても、同じように今までの経験を生かして発信して、"スパイラルといえばクロセ"と言われたいなと思っています」。

竹原編集長のひとこと

やはり100年続く会社はすごいですね。
独自の技術もさることながら従業員さんとの取り組み、社会への取り組み、教えていただくことが多いですね。