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上野誠の万葉歌ごよみ
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歌ごよみ!
上野誠コラム
上野誠の万葉歌ごよみ
毎週土曜日 朝 5:30〜5:45

上野誠(奈良大学文学部教授)
上田悦子(MBSアナウンサー)
★上田悦子アナウンサーブログ
utagoyomi@mbs1179.com
上野先生に聞いてみたい事、番組の感想など何でもお寄せください。
〒530-8304 MBSラジオ
「上野誠の万葉歌ごよみ」

【2020年2月15日 放送分】
【2020年2月8日 放送分】
【2020年2月1日 放送分】
【2020年1月25日 放送分】
【2020年1月18日 放送分】
【2020年1月11日 放送分】
【2020年1月4日 放送分】
【2019年12月28日 放送分】
【2019年12月21日 放送分】
【2019年12月14日 放送分】
上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年2月15日 放送分】
2020年2月15日
【巻】…5・834

【歌】…梅の花今盛りなり 百鳥(ももとり)の声の恋(こほ)しき春来るらし

【訳】…梅の花は今が真っ盛り、多くの鳥たちの声が恋しい春がやって来たらしい、まさに今

【解】…春にかかる枕詞に「冬ごもり」という言葉があるように、こもった生活から解放される春は、他の季節に比べて待ち望む気持ちは大きくなるものです。そんな春の到来の、前ふりとなるのが梅の花。この歌では、「梅の花が真っ盛りになると、次には、色々な種類の鳥たちがやって来てくる。そんな鳥たちのにぎやかな声が聴ける楽しい春がやってきた・・」と、梅の花に加えて鳥の声まで持ち出して、春のワクワク感を表現しています。現代人は、季節の変化を、旬の食べ物や、花で楽しむ感性はありますが、鳥の声まで話題にすることは、そんなに多くはありません。日常生活が、自然の動きに大きく左右されていた古代では、このように、あらゆる自然に対し敏感な感性を持っていたのでしょう。
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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年2月8日 放送分】
2020年2月8日
【巻】…5・830

【歌】…万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも 梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし

【訳】…万代に時は過ぎていったとしても、梅の花よ絶えることなく咲き渡っておくれ

【解】…今回も梅の花の宴32首のうちの1首。天平2年(730年)の正月13日(現在の2月8日)ですから、ちょうど放送日の1290年前に詠まれた歌です。宮廷社会では、宴会などに呼ばれた場合、何かを称えるというのがルールでした。梅の花の宴ですから、花が素晴らしいとか、このような宴会を催してくれた主は素晴らしい、とか。この歌も、そういった流れで作られたものです。あまりにも梅の花が素晴らしいので、来年もその次の年も、いや永遠に咲き渡って欲しいと言っているのです。ただ、本当に称えているのは、それくらい美しい梅の花を観賞できる「今」という時間。こんな機会に恵まれた自分は最高に幸せだと歌で伝えているのでしょう。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年2月1日 放送分】
2020年2月1日
【巻】…5・819

【歌】…世の中は恋しげしゑや かくしあらば 梅の花にも成らましものを

【訳】…世の中というものは恋心が燃え上がるもの。こんなことなら、いっそ梅の花にでもなってしまいたいなあ

【解】…前回と同じく、天平2年(730年)の正月13日、九州・大宰府の大伴旅人の邸宅で行われた梅の宴席の歌32首のうちのひとつ。作者の大伴大夫は、どうも失恋してしまった様子です。「恋心は絶えないもの」と、自分に恋物語があったことを認めながら、こんなことなら梅の花になってしまいたいと詠んでいます。梅の花になるとはどういうことか・・梅の花なら、誰かに事情を聞かれたり、それに答える煩わしさがなく黙って咲いていればいいから、そんな状況に身を置きたいという意味です。失恋をした時には確かにこういう気分になりそうですね。ただ、こういったことをあえて歌にするのは、大伴大夫の失恋を知っている他の参加者に気を遣わせないよう、自分から自虐的に詠むことで、場の雰囲気を和ませようとしたのかもしれません。その方が、大夫自身も楽だったのでしょうね。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年1月25日 放送分】
2020年1月25日
【巻】…5・817

【歌】…梅の花咲きたる園の青柳(あをやぎ)は 蘰(かづら)にすべく成りにけらずや

【訳】…梅の花の咲いている園。園の青柳はかずらにすべく、もう芽吹いたよ

【解】…天平2年(730年)の正月13日、九州・大宰府の大伴旅人の邸宅に、梅の花見に集まってきた人々が32首の歌を作りました。そのひとつがこの歌。「園」は庭のことで、旅人邸の初春の庭には、鏡の前の白粉のように、梅の花が白い花を咲かせていたと序に書かれています。その花の素晴らしさを歌に詠みたくなるのは当然ですが、この歌の作者は、同じ庭にある青柳に目がいった様子。柳の枝は柔らかく、それを輪にして頭に載せられるくらいに芽吹いていたと感銘しています。当時、柳は春のことぶれの植物としてかずらにされていたのです。芽吹いたばかりの青々とした柳を見て、ウキウキとする作者の喜びが伝わって来るようです。ちなみに、かずらは、カツラの語源です。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年1月18日 放送分】
2020年1月18日
【巻】…10・1919

【歌】…国栖(くにす)らが春菜摘むらむ司馬(しば)の野の しばしば君を思ふこのころ

【訳】…国栖たちが春菜を摘んでいるのだろう、その司馬の野原。司馬の野原ではないけれど、しばしば君のことを思い出す今日このごろです

【解】…国栖とは、現在の奈良県吉野町に住んでいた山の民のことで、木の実や川魚などの採取が上手かったようです。その国栖の人々が春菜を摘んでいた場所に司馬という野原がありました。この司馬の野原は現在のどの場所かは分かりませんが、この歌では、後半の「しばしば」を引き出す序言葉として登場しているのです。つまり、歌で伝えたいのは、しばしば君のことを思い出すということなのですが、では、序の部分は全く意味がないかと言えば、そうでもありません。山の中の清らかな川が流れる地で、娘たちが若菜を摘んでいる・・そんな風景がほんのりと浮かんできます。もしかしたら、作者はそこで女性と出会ったのか、などと想像を喚起させる要素があり、単なる序というよりも、この歌の背景を浮かび上がらせる役割を担っています。

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