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上野誠の万葉歌ごよみ
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歌ごよみ!
上野誠コラム
上野誠の万葉歌ごよみ
毎週土曜日 朝 5:30〜5:45

上野誠(奈良大学文学部教授)
上田悦子(MBSアナウンサー)
★上田悦子アナウンサーブログ
utagoyomi@mbs1179.com
上野先生に聞いてみたい事、番組の感想など何でもお寄せください。
〒530-8304 MBSラジオ
「上野誠の万葉歌ごよみ」

【2020年9月5日 放送分】
【2020年8月29日 放送分】
【2020年8月22日 放送分】
【2020年8月15日 放送分】
【2020年8月8日 放送分】
【2020年8月1日 放送分】
【2020年7月25日 放送分】
【2020年7月18日 放送分】
【2020年7月11日 放送分】
【2020年6月27日 放送分】
上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年9月5日 放送分】
2020年9月5日
【巻】…10・2264

【歌】…蟋蟀(こほろぎ)の待ち喜ぶる秋の夜を 寝(ぬ)るしるしなし 枕とわれは

【訳】…コオロギが待ち望んでいる秋の夜、その秋の夜も寝るかいもない、枕と私はね

【解】…コオロギを使って人の心を表現した歌です。コオロギにとって秋は自分たちの季節であり、さらに夜は、思いっきり鳴ける晴れ舞台。作者には、コオロギの声が、「待ちに待った秋の夜が来た!」と歓喜の音色に聞こえたようです。しかし一方で作者自身はと言えば、気持ちよく眠れるはずの秋の夜に、横には愛する恋人がいない・・枕も私も独りぼっちだと、嘆いています。楽し気なコオロギの声が、作者の孤独感を余計に掻き立てたのではないでしょうか。コオロギの音色は寂しいイメージで使われることが多いですが、この歌のように、「喜んでいる」という描き方は面白いですね。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年8月29日 放送分】
2020年8月29日
【巻】…10・2220

【歌】…さ雄鹿(をしか)の妻呼ぶ山の丘辺(をかべ)なる早田(わさだ)は刈らじ 霜は降るとも

【訳】…さ雄鹿が妻を呼ぶ山の丘辺、その丘辺の早稲は刈るまい、霜は降ったとしてもね

【解】…稲作は、早く収穫できる早生(わせ)、遅い晩生(おくて)、その中間の中生(なかて)と分けて植えることで、労働力を分散しつつ、台風によるリスクも軽減していました。この歌に出てくる稲は早生。早く刈るはずの稲を、霜が降ったとしても刈らないでおこうと作者は詠んでいます。その理由は雄鹿の存在です。本来なら、鹿に食べられないうちに収穫するのが普通ですが、妻になる鹿が見つからずに鳴き続ける雄鹿の声を聞いていると、「稲は刈らないでおくので食べてもいいよ」と同情心がわいてきた様子。本当に刈らないでいたのかは分かりませんが、そんな気分になったのは確かでしょう。もしかしたら、作者自身の悲しい恋の体験が雄鹿と重なったのかもしれません。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年8月22日 放送分】
2020年8月22日
【巻】…10・2227

【歌】…思はぬに時雨(しぐれ)の雨は降りたれど 天雲(あまぐも)晴れて 月夜(つくよ)さやけし

【訳】…思いがけず時雨の雨は降ったけれど、天雲は晴れて月は鮮やかに澄み渡っている

【解】…「思はぬに」は、心ならずもという意味で、歌の最初にくる言葉としては大胆な使い方。それだけ、遭遇した時雨が予想外だったのでしょう。作者としては、「どうしたものか」と、困ったに違いありませんが、雨は一時的なもので、その後、月が鮮やかに澄み渡った空を見て、急に気分がよくなったのではないでしょうか。「さやけし」に、作者の心情が表れています。人の気分が、お天気に左右されるのは、今も昔も変わりませんね。今回のこの歌は、酷暑の日々が続いている中で、少しでも早く秋の気配をお届けしたいという上野誠さんの思いから選びました。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年8月15日 放送分】
2020年8月15日
【巻】…2・223

【歌】…鴨山(かもやま)の岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと妹(いも)が待ちつつあらむ

【訳】…鴨山の岩を枕にしているこの私。それを知らずに妻は待っていることであろうか

【解】…後世で歌の聖とも称えられた柿本人麻呂は、地方赴任先の石見国で亡くなります。この歌は、まさに命の火が消えようとしている時に、人麻呂自身が自らを悼んで作ったもの。鴨山の岩を枕にして横たわっているというのは、余命いくばくもない状態のことで、それを、遠い場所にいる妻に知らせたいとは思うものの、現代のように情報をリアルタイムで伝える手段がありません。状況を何も知らないまま、いつ帰ってくるのかと待っているであろう妻の姿を思い浮かべながら、人麻呂は、最期の時に大切な人と会えないことの切なさを、この歌で吐露したのでしょう。その辛い気持ちが、痛いくらいに伝わってくる歌です。

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上野誠の万葉歌ごよみ-上野誠コラム
【2020年8月8日 放送分】
2020年8月8日
【巻】…8・1545

【歌】…織女(たなばた)の袖つぐ夜の暁(あかとき)は 川瀬の鶴(たづ)は鳴かずともよし

【訳】…織女(たなばたつめ)と牽牛が袖を交わして寝る夜の朝は、川瀬の鶴も鳴かなくてよいよ

【解】…湯原王の七夕の歌2首のうちの2首目。古代の七夕は旧暦の7月7日、新暦で言えば、8月7日になりますから、放送日の8月8日は、織女と彦星が別れなければならない日です。袖つくとは、袖と袖が重なり合う様のことで、男女が共寝をするという意味。暁(あかとき)は、明け方を指し、川瀬で鶴が鳴くというのは、朝が到来したことを示しますので、彦星は帰らないといけません。七夕の日を待ち焦がれ、1年ぶりにようやく会えたのだから、朝よ来ないでくれ、という二人の気持ちが、「鶴は鳴かずともよし」、つまり、鶴よ鳴かなくていいよ、というフレーズにつながるのです。湯原王は、七夕伝説の二人の気持ちに、自分の思いを重ねて、この歌を作ったのかもしれません。

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