第1323回「東日本大震災11年【1】~大曲小学校で起こったこと」
取材報告:亘 佐和子プロデューサー

全国の地方紙と放送局でつくる「311メディアネット」が防災ワークショップ「むすび塾」をオンラインで開催し、小学5年生のときに宮城県東松島市で被災した雁部那由多さん(東北学院大学3年生、22歳)が、現場の大曲小学校から自身の体験を語りました。
雁部さんは自宅のすぐそばの大曲小学校に避難し、家族と離れてひとりで校舎の1階に靴を取りにきて津波に襲われます。必死で壁につかまって流されないように耐えていた時、目の前にいた男性が助けを求めて手を伸ばしてきますが、手を伸ばし返すことをせず、男性はそのまま流されて亡くなりました。自分は人を殺してしまったのではないかと悩む雁部さん。数年後、人から勧められ、「自分の体験を吐き出して楽になるため」に語り始めます。
大曲小学校では児童11人が津波で亡くなりましたが、被災した人としなかった人の溝は大きく、完全に分断されたといいます。何かを語るとだれかが傷つき、震災の話はずっとタブーでした。今でも語り部活動に否定的な人も多いそうです。小学校は震災後に生まれた子どもたちが大半になり、学校で起こったことは語り継がれていません。地域の大切な記憶は失われてしまうのでしょうか。災害をどう語っていくのか、雁部さんの11年から考えます。
 
西村愛のひとこと
小学5年生でこれだけのつらい体験をして生きぬいてきた雁部さん。同じクラスでも被災した人、被災しなかった人が分断され、『震災は僕らに何を見せたかというと格差を見せた』といいます。被災した家庭には衣服や食料支援などがスムーズに行き渡るように。生活面の支援も、心のケアもより充実させていかなくては、と思いました。

第1322回「エフエムひらかた閉局へ~阪神・淡路キッカケに開局」
オンライン:エフエムひらかた プロデューサー 石元 彩さん

災害時の情報伝達を目的に、1997年に開局したコミュニティラジオ局、エフエムひらかた(大阪府枚方市)が、今月末で閉局します。
同局は、阪神・淡路大震災をキッカケに第3セクターとして開局。市民参加型の地域密着ラジオ局として放送を続け、国内で最も権威あるとされるギャラクシー賞を2度受賞し、評価を受けてきました。しかし、枚方市が年間約5千万円の放送委託料を今年度で打ち切ることを決め、市に代わるスポンサーも見つからなかったことから、閉局することになりました。
エフエムひらかたでは、災害被災地の情報発信を積極的に行ってきました。東日本大震災の被災地にいる方と電話をつないで話を聞く「週刊東北だより」を2013年に開始。放送時間を固定せずにさまざまな番組内で放送し、被災地の声を今も伝えつづけています。プロデューサーの石元彩さんは、「いつも違う番組の中で放送することで、さまざまなリスナーや出演者に災害のことを意識してもらえます。ふとした時に被災地のことを意識してもらい、風化を止められたら」と話します。
番組では、石元彩さんとオンラインでつなぎ、エフエムひらかたのこれまでの歩みと閉局に対する思いを聞きます。
 
エフエムひらかた
http://www.kiku-fm779.com/
 
西村愛のひとこと
東日本大震災が発生後、エフエムひらかたに東北で被災した方へのメッセージが数多く届きました。それをDJが代読してCDにまとめ、東北3県のコミュニティラジオ局に送る活動が7年間も続きました。ラジオを通してつながりが生まれ、防災が自分ごとに変わるキッカケに!閉局まであと8日、寂しいですが、番組を楽しみます。

第1321回「トンガ海底火山噴火1か月」
オンライン:日本トンガ友好協会 ラトゥ・ウィリアム志南利さん 
オンライン:VFCP(ババウ未来創造プロジェクト)理事長 安川 貴さん

トンガで起きた海底火山噴火による津波の発生から間もなく1か月を迎えます。しかし、多くの地域で未だ電話やインターネットが復旧せず、さらに新型コロナが支援や復興の妨げにもなっています。
市場に食料品が何もないなど、物流が停止している地域もあります。中でも、支援が求められているのが水です。トンガでは雨水を屋根から雨どいを通してレインタンクにためて使用する家庭が多いのです。その屋根や雨どい、またはレインタンク本体にも、今回の噴火で火山灰が混入。高圧洗浄機で汚れを取り除くにも水が必要で、生活用水も含めて水不足の状態が続いています。
また首都がある本島と違い、小さな離島の島々では 津波で家を失った人が多く、満足な医療体制もないなど、不安が広がっています。
被害の状況はどうなのか。必要な支援は届いているのか。現地とやり取りを続ける支援団体の代表者2人に話を聞きます。
 
「日本トンガ友好協会」
https://www.tonga-japan-friendship.net
 
「VFCP(ババウ未来創造プロジェクト)」
https://vfcp7028.wixsite.com/vfcp-official/blank-1
  
西村愛のひとこと
東日本大震災を経験したルイ敬子さんは『噴火だ!津波が来る!』とっさに高台に避難しました。体験や知識、日頃から災害時を気にして暮らすことで、いざというときに命を守ることができるんだなと実感しました。想像以上に大変な現状。離島の方にも支援物資が行き届くよう、私も義援金を送りたいと思います。

第1320回「阪神・淡路大震災27年【3】~息子へ、そして若者たちへ」
取材報告:亘 佐和子記者

阪神・淡路大震災が発生した1月17日、被災地の小中学校では震災を考える授業が行われます。神戸市灘区の渚中学校では今年、ひとり息子を亡くした加藤りつこさん(広島市在住、73歳)が講演しました。加藤さんの息子の貴光さんは当時、神戸大学法学部の2年生で、西宮市のマンションに住んでいました。加藤さんが現地に入れたのは、地震の翌日。倒壊した家や電柱、鳴り響く救急車のサイレンの中を、祈るような気持ちで懸命に歩きますが、マンションは倒壊し、貴光さんは亡くなっていました。悲しみの底で泣き続ける日々が続きます。
そんな加藤さんに変化が訪れたのは、新聞社の取材がきっかけでした。貴光さんが大学入学時に書いた手紙が紙面に掲載され、それを読んだ人たちから、さまざまな感想や励ましの声が届いたのです。手紙には母親への感謝と未来への決意が書かれていました。手紙のことなど貴光さんの思い出、そして彼を失った悲しみを、加藤さんは語るようになっていきます。加藤さんの話を聞いたことがきっかけで荒れた生活から抜け出し、現在は教職を目指す学生など、さまざまな人の生き方に影響を与えるようになりました。渚中学校で加藤さんが何を語り、遺族の話を初めて聞く生徒たちは何を思ったのか、取材記者が報告します。

西村愛のひとこと
遺族の方のお話を聴くことが、こんなにも子どもたちの人生を変えるとは!私が震災報道に携わりたいと思ったのも、高校の夏休みの宿題で、神戸の仮設住宅に行って被災した方々にお話をうかがったことがきっかけです。語り継いでくださる皆さんに感謝を。そして気づきの輪を広げるためにも、リスナーの皆さんと語り合いたいです。