10月05日(日)
第1513回「豪雨災害からペットを守る」
オンライン:ペットサロン「犬処ケンケン」代表 北森ちかさん
西村)各地で台風や大雨が相次ぐ中、家族でもあるペットの命をどう守ればいいのでしょうか。
きょうは、全国動物避難所協会の理事で、2019年台風19号が発生した際に、被災した飼い犬を受け入れた経験がある長野県須坂市のペットサロン「犬処ケンケン」代表の北森ちかさんに聞きます。
北森)よろしくお願いいたします。
西村)「犬処ケンケン」は、どのような施設ですか。
北森)地域密着型のペットサロンを作りたいと、2007年にオープンしました。当時はトリミングやシャンプー、宿泊などを行う一般的なトリミングサロンでした。今はシッターやセラピー、トリマーの育成なペット関連の事業を幅広く展開しています。
西村)北森さんは、2019年の台風19号で、被災した飼い犬を受け入れたそうですね。台風19号は千曲川が氾濫し、多くの家屋が浸水した災害。避難所での生活を余儀なくされた人もたくさんいました。北森さんはなぜ被災した動物を預かることになったのですか。
北森)トリミングサロンに連れて行けないペットのために、2010年に移動トリミングカーでのサービスを開始しました。翌年の2011年の東日本大震のときに、フードの備蓄、衛生対策等ができるということで、須坂市に協定書の提案書を提出。2015年に民間での全国初となる災害協定を締結しました。そこから犬たちを預かることにつながりました。
西村)衛生対策に具体的に聞かせてください。
北森)浸水して泥まみれのペットたちを避難所で預かるのは難しいですよね。トリミングカーは、水と電気があれば、ラジエーターでお湯が沸かせるので、足先だけでも洗ってあげることができます。衛生面が気になるペットたちのために始めました。
西村)それは飼い主にとってもありがたいですね。具体的にはどんな流れで預かるのですか。
北森)台風19号のときは、18時の閉店前から大雨がひどくなって、17時にSNSで呼びかけを開始。18時に大雨警報が出て、避難所に避難するように行政から通達が出ていました。呼びかけてはいたのですが、「うちは大丈夫だ」と動かなかった人もいました。その後、行政からも依頼があり、19時半ぐらいには、中型犬の人慣れしていないペットが連れてこられて預かりました。その日は2匹ぐらい。その夜は14ヶ所、1800人が避難所で生活していたようで、車中泊をしたペットは18件くらいあったそうです。そのようなペット受け入れをその夜から始めました。
西村)SNSで呼びかけたときは、どのような文章を発信したのですか。
北森)「ワンちゃんはうちで預かるので逃げてください」とそれだけです。災害時は電話もつながらなくなるので、できるだけ早めに呼びかけました。
西村)どんな思いで発信したのですか。
北森)ワンちゃんを抱っこしたおばあちゃんが避難所に行ったら、追い返されたこともあったようで。軽トラックの荷台にワンちゃんをつないで逃げたら、軽トラックごと浸水してしまったという話も聞いたことがあったんです...。
西村)そういったこともあって「まずはうちに預けてほしい」という思いがあるんですね。
北森)長野県は車社会なので、車中泊する人も多いのですが、高齢者は車の中よりも避難所できちんと寝たいと思います。そういう人たちのワンちゃんを預かるためにも、発信したい気持ちがありました。その後も、浸水した家の片付けや買い物をするために、半日預かりや1日預かりをしました。ペット可のアパートを探すまでの2~3ヶ月にわたって長期間預かることになった例も。全部で20匹弱ぐらい預かりました。
西村)お散歩とか大変ではないですか。
北森)須坂市のドッグランのイベントに参加したり、愛犬クラブやしつけ方教室のみなさんがボランティアでお手伝いに来てくれたり。オープンの頃から、地域密着型でやってきたことが手助けになったと思います。
西村)受け入れる側も助け合いのつながりがあったのですね。
北森)市役所の生活環境課は、ゴミの対応に追われていました。14日間で3587台の災害ゴミが出て、須坂市のドッグランは仮ゴミ置き場になってしまったんです。市役所もゴミ対応に追われて、ペットどころではなくなっているというのが実際のところでした。
西村)長期だと何日ぐらい預かったのですか。
北森)3ヶ月くらい。これまでも留学や入院で長期預かりをよくしていたので大変ではなかったです。"うちの子プラン"というプランで自宅に連れて帰って面倒見てあげたことも。宿泊場所に慣れていないワンちゃんにも3ヶ月間ストレスなく預かることができるように工夫していました。
西村)台風や大雨に備えて、飼い主はどんな注意が必要だと思いますか。
北森)雨が止んだら解決するのではなく、その後の作業や預け入れの長期化を考えて対策をしてほしいです。ケージで預かるのが一番良いですが、車中泊や多頭飼育の場合、みんなを連れて避難所に行くのは大変。1泊だったら良いですが、長期化することを考えるとケージにずっといれているとお互いがしんどくなってしまいます。できるだけ人慣れ、犬慣れをさせて、犬の経験値をあげることが大事だと思います。
西村)在宅避難ができるとしたらどんな準備をしておくと良いですか。
北森)犬を連れて旅行やキャンプに行くと災害の訓練になります。キャンプで犬たちと少し不便な思いをしてみる。電気がない、寝床が定まらない、周囲に音がするなど...。そんな場所でも落ち着いて寝られるか。11月中旬にさまざまな避難所を回ったのですが、犬が1匹吠えたらみんな吠えてしまう、少し外で音がすれば吠えてしまう、という状況でした。そうなると人間も犬もしんどくなってしまいます。できるだけ穏やかに過ごすことができるように対策をすることが大事だと思います。
西村)家族みんなでキャンプを楽しむことも大きな備えになるのですね。在宅避難に関して、いくつか部屋がある一戸建ての場合、備えておくことや普段からのしつけで心がけておくことがありますか。
北森)1階が浸水した場合、2~3階でケージやサークルで待たせることができたら、1階の片付けができます。ケージに入って待っていられるようにしつけておくことも大事。
西村)車中泊の備えもしておいた方が良いですか。
北森)布団など家の匂いのついたものがあれば、ワンちゃんも心細くないと思います。最近は手作りのペットフードも流行っていて、ドックフードを食べれらないワンちゃんもいるので、ドックフードはある程度食べられるようにしておきましょう。
西村)車中泊のときだけではなく、ほかの場所に避難する、預けるときにも大事なことですね。災害時のペットの預け先にはどんなところがありますか。
北森)ある学校では、先生が機転を利かせてペットと避難できる部屋を作ってくれたそうです。でも動物が苦手な人、動物アレルギーの避難者もたくさんいるので、それも難しくなると思います。近所に預けられる親戚やペット可のホテルがないか確認しておきましょう。
西村)親戚の家は、浸水しないエリアなければいけませんね。
北森)はい。ペットホテルだとすぐに満杯になってしまうことも。ペットホテルは、不安な飼い主もいると思うので、ペットと一緒に泊まることができるホテルをチェックしてください。量販店の資材売り場ならペットも入れるので、協会に登録してもらえないかお願いして回っているところです。ガソリンスタンドの待合室もペットの避難所として開放させてもらえたらいいなと。「全国動物避難所マップ」をチェックするなど、ペットを預け入れすることができる場所を調べておくと良いと思います。
西村)台風は予測ができる災害。しっかり備えておきたいですね。北森さん、どうもありがとうございました。
09月28日(日)
第1512回「能登の復興を伝える"まちのラジオ"」
オンライン:まちのラジオ 代表 山下祐介さん
西村)能登半島地震の被災地、輪島市町野町で災害FM「まちのラジオ」が開局しました。日替わりで地元住民がパーソナリティを務め、地域の生活情報や気象情報、復興状況などを伝えています。
きょうは、「まちのラジオ」の代表で、番組のパーソナリティも務めている山下祐介さんにお話を伺います。
山下)よろしくお願いいたします。
西村)「まちのラジオ」はいつ、どのように開局されたのですか。
山下)令和7年7月7日に開局しました。輪島市の東にある町野町地区を中心に情報を届けるラジオ局です。臨時災害放送局という制度を利用して開局しました。
西村)わたしも町野町に行ったことがあります。去年の夏、キリコ祭のお手伝いでお邪魔しました。輪島市の中心から車で30分ですが、電車とバスで行ったこともあります!
山下)町野町は電車とバスで来るのがすごく困難な地域です。大変ではなかったですか?
西村)そのときは、まだ地面がでこぼこしていましたが、海も山もあってすごく自然が美しい場所ですよね。
山下)海も山もあってのどかな地域です。
西村)町野町は、能登半島地震と去年9月の奥能登豪雨で被害を受けました。テレビやインターネットで情報は入手できましたか。
山下)能登半島地震直後が一番大変でした。テレビはもちろん、ライフラインが全て使えなくなりました。地震直後は、電波塔への電源供給も絶たれたので、テレビをつけても映らず、スマートフォンも1~2週間使えませんでした。とにかく情報が得られないことに不安を感じました。奥能登豪雨のときは、地震のときほど長くはなかったですが、一時的にテレビが見られない、携帯つながらない状況だったので、情報を得ることが難しかったです。
西村)情報が入ってこないと不安になりますね。
山下)情報が得られないと不安になるということを、身を持って体験しました。
西村)なぜラジオやろうと思ったのですか。
山下)仮設住宅の整備も進み、多くの人が仮設住宅や自宅で過ごすようになってくると、地域に必要な情報が伝えきれていないと感じました。豪雨のときに情報が届かないことを経験したので、何とか情報を届けたいとSNSを活用しようと考えたのですが、高齢者が多いこの地域にでは、SNSもLINEもハードルが高い。そんなとき、臨時災害放送局という制度があると知りました。農作業中にラジオを聞いている高齢者も多いので、この地域では、ラジオの方が多くの人に情報を伝えられるのではないかと思ったんです。
西村)先週オンエアされた「まちのラジオ」を聞いてもらいましょう。
音声・パーソナリティ宇羅香織さん)9月17日水曜日、時刻は12時となりました。ラジオの前のみなさん、こんにちは。まちの復興情報番組「まちのWA」。きょうの担当は、農家の嫁の宇羅香織と...
音声・パーソナリティ山下祐介さん)"奥能登の山P"こと山下祐介の2人でお届けしております。
音声・宇羅さん)山下さん、7月7日から放送を開始して、なんと50回目の放送だそうですね。
音声・山下さん)全く気づいていませんでした。50回もやってきたんですね!もう50なのか、まだ50なのか。
音声・宇羅さん)まだ...にしときましょうか(笑)。
音声・山下さん)そんな、50回を祝福してくれているのか。ちょっと外が...。
音声・宇羅さん)先ほどから(雷が)ゴロゴロと。
音声・山下さん)雷が鳴っていますね。雨もまあまあ強いですね。
音声・宇羅さん)稲刈りは、今日はできませんね。
音声・山下さん)ちょっときびしいですね。
西村)すごくほのぼのしたラジオですね。
山下)地域のラジオ局として、まちのみんなで番組作ることを意識しています。和やかに地元の話をなるべく入れて楽しめるように。
西村)町野町から離れて暮らすわたしも、その輪の中に入れてもらったような気分になりました。
山下)まさにそんな場所を広げていきたいという思いもあって、この番組名をつけました。
西村)稲刈りの話も出てきましたね。
山下)パーソナリティを務めていた宇羅さんは専業農家。稲刈りシーズン真っ只中ということで、稲刈りの話になりました。
西村)稲刈りはできましたか。
山下)あの日はさすがに無理でしたけど、その後の晴れ間を見計らって稲刈りできました。みんな順調に作業が進んでいるようです。
西村)「まちのWA」はどんな番組ですか。
山下)月~金曜の昼12時から90分間の生放送をしています。町の復興状況や地域で暮らす人々にとって重要な情報を、リクエスト曲を交えて放送しています。スタジオの近くに小学校・中学校があり、子どもたちに給食の時間に聞いてもらうためにこの時間に放送しています。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで幅広い年代のリクエスト曲が集まっています。
西村)和やかな空間が想像できます。"きょうの給食のメニュー"も発表されているとか。
山下)お子さん、お孫さんがいない人にも「今の子どもたちってこんなの食べてるんだ!」とか「これちょっと美味しそう!」と知ってもらうことができます。家庭のメニューに活かしてもらうこともできると思って。
西村)いろいろなゲストの方も出演しているそうですね。
山下)今は道路や河川の工事真っ只中なので、国土交通省に復興状況を伝えてもらっています。輪島警察署には「秋の全国交通安全運動週間」と防犯について伝えてもらいました。ほかにも地元の輪島塗の職人さんとか。フラっとスタジオに遊びに来てくれた人が飛び入りで出てもらうこともあります。地元の人が関わって、地元の人が知りたくなる情報を届けています。
西村)地元の人がフラっと寄って参加できるのがいいですね。スタジオはどんな場所にあるのですか。
山下)スタジオがある場所は、能登半島地震の前は栗農家の住宅兼作業場でした。栗農家さんは、建物が倒壊したため静岡県に移住。公費解体後、「地元のために有効に使ってほしい」ということで、敷地を借りて、7畳ほどのプレハブを建ててスタジオにしています。
西村)7畳ほどのプレハブということは、結構距離が近いのですね。
山下)距離が近く、アットホームなスタジオです。
西村)見に来てくれた人の顔が見えるのですか。
山下)窓ガラスの前にベンチを置いています。ベンチからスタジオの中を覗くこともできます。
西村)ラジオ越しの会話も楽しいですね。山下さんは、本業は米農家。ほかにも地元住民のみなさんがパーソナリティを担当しているのですね。
山下)「まちのラジオ」のスタッフには、ラジオ局やテレビ局で働いたことがある人は1人もいないんです。ラジオパーソナリティの経験がある人ももちろんいません。みなさん本業があって、休日にこのラジオでパーソナリティをしています。消防士さん、近所のスーパーの店員さん、元高校教師など、いろんな立場の人が日替わりで登場します。ミキサー、ディレクター、パーソナリティなどをオールマイティーに担当しています。
西村)喋るだけでも大変なのに、機械の操作もゼロから覚えたのですね。苦労したことはありますか。
山下)機械の操作も難しかったのですが「声で何かを伝える」ということがいかに難しいことなのかがわかりました。開局を目指したとき、我々はラジオのことを全く知らない素人だったので、「喋るだけだったらできそう」と思っていたんです。テレビは映像を撮るから難しそうだけど、ラジオはマイクの前で喋るだけだから簡単だと思っていました。でも実際にスタートすると、なかなかそういうわけにはいかないんです。
西村)放送を続けてきて、リスナーからはどんな反響がありますか。
山下)「いつも楽しみに聞いているよ」「みんな頑張ってるね」という応援のほかにも、「天気はこういうふうに伝えた方がいいよ」「今日の交通情報は何を言ってるかわからなかった」というアドバイスが来ることも。そのような声があるということは、きちんと聞いてくれている証拠。みんなでラジオを作っている実感があって励みになります。昨日も夜、フラっとご近所さんが来てくれて。本当にアットホームです。
西村)「まちのラジオ」を通して、これから地元の住民のみなさん、リスナーにどんなことを伝えていきたいですか。
山下)地域のみなさんと一緒に町の復興に向かって進んでいきたいです。リクエストカードも用意しているので、テーマとらわれることなく、みんなで会話をするように、このラジオを使ってほしいです。気軽にみんなでつくるラジオなので、いろんなメッセージをいただけたら。
西村)生活がより楽しくなっていきそうですね。山下さん、どうもありがとうございました。
09月21日(日)
第1511回「なぜ高台の空港駐車場が浸水?」
オンライン:だいち災害リスク研究所 所長 横山芳春さん
西村)今月5日、静岡県内に大きな被害をもたらした台風15号について、気象庁は、観測史上最大クラスの竜巻が複数発生したと発表しました。また今回の台風では、山の上にある空港の駐車場が浸水して、多く車が水に浸かってしまいました。なぜこうした被害が発生したのか。
きょうは、だいち災害リスク研究所 所長で、地形や地質から災害が起きた要因を調査している横山芳春さんにお話を伺います。
横山)よろしくお願いいたします。
西村)今回の台風では、なぜ竜巻による被害が起こったのですか。
横山)台風というと台風から吹く強風で被害が出ると思いがちですが、低気圧が発生して風が吹き荒れるので、竜巻も発生しやすいです。気象庁の統計では、9月が一番竜巻の起きる回数が多いです。
西村)今回の台風15号では、竜巻でどのような被害がありましたか。
横山)多数の家屋の被害があり、亡くなった人もいます。
西村)静岡県にこれほどの被害が出てしまった原因は?
横山)沿岸部には、海から暖かく湿った空気が流入しやすいので、竜巻は太平洋側の地域で発生頻度が高いです。山側の地域は竜巻が発生しにくいですが、平地では気流が障害物に遮られずに回転しやすいので、竜巻が起きやすくなります。静岡県は条件が揃っています。
西村)関西では滋賀県に竜巻注意情報がよく発表され、被害も発生しています。滋賀県も竜巻が発生しやすい地域ですか。
横山)紀伊半島など山側の地域に比べると、琵琶湖周辺は平地が多いので竜巻が発生しやすいです。
西村)滋賀県は平野部が多く、琵琶湖もあるので竜巻が発生しやすいのですね。今回の台風15号では、竜巻のほかに山の上にある空港の駐車場が浸水しました。この駐車場はどんな場所にあるのですか。
横山)被害があった富士山静岡空港は、標高130mの山の上にあります。富士山からは少し離れた地域にあり、山を人工的に切り拓いて滑走路を作った空港です。
西村)そこの駐車場が浸水したのですね。
横山)低い場所の川沿いなら浸水するイメージがあると思いますが、山の上の駐車場が浸水して驚いた人が多かったです。
西村)こんなに高いところにあるのに浸水してしまったのはなぜですか。
横山)地形の高低差によるものです。浸水した駐車場は、空港の端にあるのですが、そこだけ数十cm低くになっています。記録的な豪雨が降ったときは、くぼんだ場所があると、そこに水が集まってしまいます。排水がうまくできないと浸水してしまいます。
西村)洗面器に水がたまるイメージですか。
横山)そうです。洗面器の底のような場所に駐車場があって、そこに雨水が集まってしまいました。
西村)数十cmの高低差でも大きな被害が出るのですね。
横山)数十cmでも低いと水が集まります。風呂の底から水を抜くようにどんどん水が抜けていけばよいのですが、お風呂を排水していても、周りからどんどんホースで水を入れていったら水位が上がってしまってしまいますよね。それと同じ現象です。
西村)車の持ち主は、かなりショックでしょうね...。
横山)まさか山上の駐車場に車を置いて、水につかるとは思っていないでしょうからね。
西村)車はどれぐらい浸水したら走行できなくなるのでしょうか。
横山)車によりますが、車高の低い車なら30cmぐらいでも走行不能に。タイヤの半分ぐらいまで水に浸かると故障に至ります。
西村)この事例は、ほかの地域でも起こり得ることですか。
横山)高台であってもどこでも、大雨が降った場所で、周りよりも低い場所なら同じようなことが起こり得ます。
西村)横山さんは、実際にこのような事例で浸水した場所に調査に行ったことはありますか。
横山)内水氾濫が起きた場所や原因を現地に調べに行っています。最近多いのは、高台でも周りより低い場所で起こる被害。水は低いところに集まります。今回の空港の事例と同じように、数十cmでも低い場所があったり、妨げになる障害物があったりすると浸水が起きます。
西村)障害物とはどんなものですか。
横山)中央分離帯やガードレールの基礎が20~30cm高いとダムのようになってしまうことがあります。
西村)そこに水が溜まってしまうのですね。
横山)壁や建物が障害となって、人工的なくぼ地を作ってしまうことがあります。
西村)アンダーパスもそうですか。
横山)アンダーパスはまさにそのようなパターン。線路をくぐるために周りの道路を低くしているので、浸水被害が起きやすいです。
西村)このような浸水は、全国どこでも起こり得るのですね。高台にありながら周りと比べると少し低い場所とは、具体的にはどんな場所がありますか。
横山)車で走っていたらほとんどわからないと思いますが、自転車で走るとわかりやすいです。少し坂になっている場所、雨の日に水が流れていく場所など。水溜りがよく残っている場所は周りより低いので浸水しやすいです。
西村)排水が悪い場所とはどんな場所ですか。
横山)ゴミなどで側溝が詰まっていると排水能力が低くなるので、きちんと排水ができないことで、浸水してしまいます。
西村)台風シーズンは「側溝の掃除をしておきましょう」といわれますね。
横山)12月に実際にあった事例では、紅葉シーズンの落ち葉が多い時期に雨が降って、周りより低いところに落ち葉が詰まって、うまく排水できずに浸水に至ったケースがあります。
西村)落ち葉は軽いものなので大丈夫かな...と思いますが。
横山)大量に集まって排水を妨げてしまうと、水が溜まってしまうので、浸水が起きやすくなります。
西村)先週実家に帰ったときに、排水溝に落ち葉がたまっていたので久しぶりに掃除をしてみたんです。泥も一緒にたまっていて掃除が大変でした。しっかりチェックしておいた方が良いですね。
横山)台風シーズンの前にはきちんと側溝の掃除をして、水が流れるようにしておきましょう。
西村)一般的な下水道の排出能力は、どのように想定されているのですか。
横山)都市部で1時間当たり50mmの雨に対応できるように設計されていることが多いです。
西村)最近は、1時間に100mmのゲリラ豪雨が降ることもあるので、簡単に超えてしまいますね。
横山)場所によっては、75mmで設計されているところもありますが、それでも最近は80~100mmを超える雨が頻繁に降っているので、想定外が起きやすくなっています。
西村)ほかにも実際に調査した場所で、具体的な事例はありますか。
横山)田畑があると土の中に水が浸透していきますが、今は、道路は全部アスファルトでおおわれています。都市部ほど水害が起きやすいことも。周りよりも少し低い場所、場合によっては、普段は意識しない自宅の駐車場などに水がたまることもあります。地図やハザードマップでよく土地の高さを確認すること。ハザードマップで色がついてない場所でも内水氾濫が起きることがあります。水をふさぐような構造物によって人工的に低い場所になっていないか注意してください。
西村)インターネットで地域名を入れるとすぐに確認をすることができます。ほかにも調べる方法がありますか。
横山)方法はふたつあります。一つは現地を実際に見ること。これから家を買おうとしているとき、借りるときなど内見をするときは、一般的には晴れている日の方が日当たりがわかりますが、雨の日に見ることをおすすめします。
西村)あえて雨の日に見るのですね。
横山)大雨の日に家の雨樋がきちんと機能しているか。しっかり雨水が流れているか。自宅に水が集まるのか、自宅から離れたところに水が流れていくのかを確認しておきましょう。水が集まりやすいと、大雨が降ったときに浸水しやすいです。
西村)大きなポイントですね。
横山)ハザードマップの中でも内水氾濫を想定した内水ハザードマップを見てください。内水氾濫は、雨水が処理しきれずに起きるものになので、川がない場所でも起こります。周りよりも低い場所は内水氾濫が起きやすくなるので、ハザードマップで確認してください。ハザードマップで色がついていない場合は、標高がわかる地理院地図を見てみましょう。10~20cm単位の高低差もわかるので、自宅と周りの標高をチェックすると、水が集まりやすい場所の目安がわかります。
西村)自宅や勤務先、新しく家を買うときにはぜひチェックしましょう。
横山さんありがとうございました。
09月14日(日)
第1510回「能登の被災地で実施中"災害ケースマネジメント"」
ゲスト:大阪公立大学大学院 文学研究科 准教授 菅野拓さん
西村)被災者の個別の事情に応じて支援する「災害ケースマネジメント」。東日本大震災で注目を集めた被災者支援の新しい仕組みです。5月28日、「災害ケースマネジメント」の実施を後押しする法改正が可決・成立し、今後ますますの普及が期待されています。この「災害ケースマネジメント」は、能登半島地震の被災地でも実施されています。
きょうは、能登で行われている「災害ケースマネジメント」について、大阪公立大学大学院 文学研究科准教授 菅野拓さんにお聞きします。
菅野)よろしくお願いいたします。
西村)「災害ケースマネジメント」の特徴を教えてください。
菅野)被災者はさまざまな困りごとを抱えています。「家が壊れてしまった」「仕事を失ってしまった」「借金が返せなくなった」など個別の事情を抱えているので、一律の支援だけは生活再建できません。支援制度は複雑でよくわからないという人も。自治体や支援者側から被災者を訪問し、事情を聞きながら支援していく仕組みが「災害ケースマネジメント」。行政やNPOだけではなく、"餅は餅屋"で法律の支援が必要なら弁護士、家の支援が必要なら建築士...というふうに寄り添いながら長期的に生活再建を支援していくことを「災害ケースマネジメント」と呼んでいます。
西村)能登半島地震の被災地では「災害ケースマネジメント」が実施されているそうですね。
菅野)はい。石川県、輪島市、珠洲市などの被災者や金沢などに2次避難している人に対して、支え合いセンターが配されて、訪問しながら支援する体制が築かれています。在宅避難者にも情報や支援を届けています。
西村)在宅避難者は、なぜ仮設住宅などに避難できなかったのでしょうか。
菅野)微妙に壊れて住めないこともない場合や避難所にそもそも行けなかったという人も。雑魚寝の避難所など劣悪な避難環境も理由。女性は着替えや洗濯にも困りますよね。高齢者は感染症も心配。過酷な環境が続く避難所より、家にいた方がいいという人が出てきます。壊れた家で留まる人も多いです。
西村)「みんな大変だから、わたしの困り事なんて...」っていう声も聞いたことがあります。そんな中、支援する側から声をかけることは大切なことだと思います。能登では具体的にどんな支援が行われているのですか。
菅野)健康被害がある場合は、医療や福祉のサービスを利用することもあると思いますが、家が壊れて壁に亀裂が入った場合、修理するきにどんな支援制度があるのだろう?と思いますよね。
西村)わからないですし、不安になりますね。
菅野)建築士や弁護士が訪問することで、修理の金額などの相談にのることができる。「これなら住み続けられるな」「これぐらいかかるなら、町に出て、新しいところに住んだ方がいいな」というような判断ができます。能登ではこのような支援を展開しています。
西村)実際に支援した人に話を聞いたことはありますか。
菅野)はい。いきなり「支援者です」と来ても頼れないですよね。何度も訪問して信頼関係を作るとポロっと本音が出てきます。被災者の選択をどのように後押ししてあげられるか。被災者は「選択肢がわからない」「選択肢が無限にあるように見える」などの状況で、不安に置かれています。そこに寄り添い、信頼関係を作って一緒に一歩を踏み出してあげるのです。
西村)何から手をつけて良いかわからない中、話を聞いてくれることで整理ができて、先の見通しもできますね。家に訪問してくれるのはありがたいですね。
菅野)どんな支援制度があるかはなかなかわからないもの。そこにいきなり困りごとが押し寄せてくると大変です。そこに寄り添うだけで状況が変わると思います。
西村)支援の例を聞かせてください。
菅野)介護やケアの支援もあります。家族や地域の人と一緒に住んでいて、福祉サービスを使っていなかった人が、地域の状況が変わって介護サービスを使いたいとき、申請や手続きの問題が出てくる。そんなところも寄り添っています。日常生活の環境作りも支援しています。
西村)今回「災害ケースマネジメント」を実施する上での課題は。
菅野)担い手不足です。少子高齢化が進んでいて、奥能登は高齢化率が5割。介護施設で働いている人の年齢も70歳ということも。今回の災害で大変だったのは、若い人も仕事を失ってしまったことです。「隆起によって港が使えなくなり、漁ができなくなった」「田んぼや畑が崩れてしまった」など。若い人ほど仕事を求めて、金沢や他の地域に出て行ってしまう。一体誰がその地域自体を支えるのかということに。介護や福祉業界は、普段からほかの地域も人手不足ですけ。人がいなくて、事業所が閉鎖してしまうこともあります。そんなところに災害がやってきてしまう。命や生活をつなぐ大事な職業に従事する人が集まらないのです。
西村)「災害ケースマネジメント」を普及させるにはどうすれば良いのでしょうか。
菅野)5月28日に災害対策基本法や災害救助法などの法律に福祉サービスの提供が規定されました。規定はされたけど、誰がやるのという話。人手不足の福祉業界をどう変えていくのかがポイントになってくる。実際には福祉の現場で働いている人が、災害が起きたらそこに応援に行くことになりますが、そんな余力がないところで応援に人を出せるわけがない。その余力をどのように平時からつけていくのか。福祉現場の処遇を改善することもひとつ。今の給料は、介護保険法は障害者の総合支援法によって国で決めています。そこを災害時のことも考えて上乗せしておくとか。そのような議論をしていかなければなりません。関連死を防ぐ問題を平時から考えておく。これを"フェーズフリー"と言っています。
西村)その議論は進んでいますか。
菅野)ちょっとずつ進んでいると思います。被災者支援を考えた平時からの体制整備を踏まえて、法改正をしようという動きが厚生労働省でも出てきている。それはぜひ進めていただきたいと思います。
西村)大きな一歩になりますね。
菅野)今までは避難所や仮設住宅を作るなど場所作りを中心に考えられていましたが、福祉や医療は人。大きく変わった一歩となりました。
西村)2026年度に防災庁が設置予定です。この動きには期待できそうですか。
菅野)期待しています。防災庁設置の準備の議論に関わってきましたが、6月4日に報告書も出しました。今までは内閣府が国の防災をしていて、職員さんは2年交代なんです。国土交通省や厚生労働省に戻ってしまうので、大きな法改正や制度設計がしにくかった。
西村)海外で避難所は違うのでしょうか。
菅野)台湾、アメリカ、イタリアなどはNGOが国や行政と連携して支援しています。費用は国や自治体が出し、得意なところは"餅は餅屋"でやるという体制が組まれています。
西村)日本も防災庁ができて変わっていくのでしょうか。
菅野)いろんなところと連携・協働型で、災害対応しなければならない。そのような体制を実現していくことが防災庁に期待される役割だと思います。
西村)菅野さんどうもありがとうございました。
09月07日(日)
第1509回「カムチャツカ半島沖地震で見えた"津波避難"の課題」
オンライン:東北大学災害科学国際研究所 教授 今村文彦さん
西村)7月30日にロシアのカムチャツカ半島付近で発生した地震について、政府は津波避難が適切に行われたのか、検証を始めました。今回の地震では、津波警報・注意報の全面解除まで
32時間もかかり、猛暑での長時間の避難に加え、各地で車による渋滞も発生しました。
きょうは、津波避難の課題について、東北大学 災害科学国際研究所 教授 今村文彦さんに聞きます。
今村)よろしくお願いいたします。
西村)今回のカムチャツカ半島付近で起きた地震では、遠く離れた日本でも津波が発生しました。津波警報・注意報の全面解除まで32時間もかかったのはなぜですか。
今村)日本は環太平洋に位置していて、このエリアでは巨大地震が起きます。発生する津波が大きいので、たとえ離れていても伝わってきます。今回もカムチャツカ半島から遠く離れたハワイや南米まで津波が低減せずに伝わりました。
西村)津波の勢いが弱まることなく日本にも伝わってきたのですね。どういう仕組みで伝わるのでしょうか。
今村)地震から直接来た波もありますし、ハワイやハワイの周辺の海底にある山脈に反射して、日本に向かってくる波もあります。
西村)津波が山脈にぶつかって跳ね返ってくるのですか。
今村)海山は円錐状なので、波が反射した場合、同心円状に広がります。その一部が日本に到達しました。環太平洋をおぼんの中の水だと思ってください。水を動かすとおぼん全体に広がっていきますよね。いろんな面に反射して水が動くのと同じ原理です。長い間、いろんな方向から波が来るので、32日間、警報・注意報が続いたのです。
西村)長く続いても津波の勢いは衰えないのですね。
今村)1~2万km伝わっても津波は弱まりません。過去にも遠いところで発生した津波が日本に来襲した事例があります。最近では2010年のチリ中部地震。一番大きなものは1960年のマグニチュード9.5のチリ地震による津波。日本でも100名以上が犠牲になりました。当時、環太平洋では国際的な警報システムがなかったので、前触れも警報もなく津波が来て、多くの人が亡くなってしまったんです。
西村)今の時代は警報・注意報があるので、情報をしっかりと把握して行動しないといけませんね。
今村)今回のように揺れがなくても遠くから津波がくることがあります。今は警報システムが充実しているので、情報をしっかり取ってください。
西村)今回のように、海外で発生した地震は揺れを感じないので、逃げようと思わない人も多いかもしれません。実感がないと行動に結びつきませんよね。
今村)突然スマホに津波注意報がきて、警報に切り変わって多くの人は驚いたと思います。
西村)でも行動した方が良いですよね。
今村)警報・注意報は、確実に根拠のある気象庁からの情報。特に沿岸部にいる場合はすぐに離れて、周辺の避難場所に移動してください。
西村)7月30日は夏休み中で、海にいた人も多かったと思います。海にいるときに警報・注意報が出たときにどこに避難すれば良いのかおしえてください。
今村)海水浴場ではライフセーバーからの指示があります。沿岸部では屋外のスピーカーから防災無線がながれます。スマホからも情報を得ることができますが、海水浴では持っていない場合もあるので、周辺のスピーカーからの情報に注意してください。
西村)ライフセーバーからはどのように指示が出るのですか。
今村)スピーカーや津波フラッグで指示を出します。大きな旗を振って遠くにいる人にもわかるようにします。仙台市では、スピーカーとカメラが搭載されたドローンで注意を呼びかけたという例も。
西村)今の時代ならではの知らせ方ですね。遊んでいるときでも危険が迫っていることがあるかもしれないので、しっかりと耳と目も働かせておくことが大切ですね。ほかに津波避難の注意点はありますか。
今村)猛暑の中、長時間にわたる避難では暑さ対策も大切。さまざまな冷却用アイテムがあるので、非常用持ち出し袋に準備してください。
西村)首を冷やすものなど、最近便利なものいろいろありますよね。
今村)一方、冬の場合は防寒対策が必要。季節に応じてチェックすると良いと思います。
西村)冷却スプレーやポンと叩いて涼しくなるものなど。冬場だったらカイロなどのあったかグッズも揃えておきたいですね。
今村)長時間避難する可能性があるので、準備が必要です。
西村)長時間とは、どれぐらいの時間を想定しておいたら良いですか。
今村)今回は1日半でした。それぐらいは長く続くと思います。
西村)津波が起こって高台に避難してから、一時避難の場所に移動するのでしょうか。
今村)これはケースバイケース。まずは近くの高台に移動して、今回のように最大波が遅れる場合は、2次的、3次的な避難場所に移動をしなければならない場合もあります。どのタイミングで移動するのかと避難場所の確認が重要です。
西村)一時的な避難でも、長い時間になった例は過去にありましたか。
今村)東日本大震災もそうです。2010年のチリ中部地震では、東北地方では警報が出て、1ヶ所で長く避難した人もいます。津波の場合は、徒歩避難が原則。車を使うと渋滞する可能性があるからです。渋滞で車が動かなくなると津波に飲み込まれてしまいます。
西村)東日本大震災のときにもそのようなことがあったのでしょうか。
今村)はい。沿岸部ではかなりの場所で渋滞が起きました。
西村)救急車も通れなくなりますね。
今村)津波避難に車はできるだけ使わないこと。車が必要な高齢者や歩行困難な人が優先的に車を使えるようにしてほしいです。
西村)高齢者、障がい者、妊婦などが車を優先的に使えるように譲り合いの心を持つことが大切ですね。
今村)地域で話し合って決めてほしいですね。
西村)一人暮らしで足の不自由なおばあちゃんが近所にいる、という場合は、話し合って、車で避難場所まで連れて行く約束をしておくとお互い安心ですね。
今村)地域ごとにそういうルールを作っておくと安心。途中で渋滞が発生する可能性も低くなります。支援する人を1人に固定すると難しい点も出てくると思います。
西村)歩くことができる人は徒歩で避難。誰が助けに行って、誰が徒歩で避難するのか、地域で避難の練習をしておくとスムーズに進みそう。
今村)避難の練習をすると課題が出てくると思います。車の避難も含めて、地域で課題解決をしましょう。
西村)そのほかに、もの・行動でも準備しておくべき備えはありますか。
今村)情報収集にはスマホや携帯ラジオが重要。長時間の避難に備えて予備のバッテリーを準備しておくと良いと思います。
西村)先ほど、一時避難で高台などの避難所に行って、その後、別の避難所に行くというお話がありました。それぞれどんなところで、どれぐらい滞在するのでしょうか。
今村)これもケースバイケース。平野部から山の方に行くときは、一時避難から高いところに移動できます。避難ビルでは、どのタイミングで移動するのか、次の避難場所がどのくらい離れたところにあるのか。そこが安全かなどを訓練で確認しておきましょう。
西村)きょうは、海外で発生した地震の津波避難について、どう行動すれば良いのかを教えていただきました。今村さんどうもありがとうございました。
08月31日(日)
第1508回「台風・豪雨から命を守る避難行動」
ゲスト:MBSお天気部 気象予報士 前田智宏さん
西村)9月1日は、「防災の日」です。毎年9月1日頃は、暦の上では、二百十日(にひゃくとうか=立春の日から数えて210日目)にあたり、台風が襲来しやすい時期ともされています。
きょうは、MBSお天気部の気象予報士 前田智宏さんに台風や豪雨への備えと命を守る避難行動について聞きます。
前田)よろしくお願いいたします。
西村)そろそろ台風シーズン突入でしょうか。
前田)まさに8~9月が台風シーズン。9月は日本に上陸する台風も増える時期です。関空の連絡橋にタンカーがぶつかった2018年の台風21号も9月上旬でした。防災の日制定のきっかけにもなっている伊勢湾台風も9月に上陸しました。
西村)台風は年間にどれぐらい発生するのでしょうか。
前田)平均で25~6個発生します。上陸も接近も8~9月が1番多いです。今年は、日本付近はそれほど台風の被害を受けていません。
西村)まだ大きな台風の被害はないですね。
前田)だからこそ、これからが怖いと思います。なぜ台風が来なかったかというと、これまで勢力の強い太平洋高気圧がガードしていたからです。その影響で猛烈な暑さが続き、海面水温がどんどん高くなっています。台風が勢力を落とさずに日本に近づく恐れがあるので、これから近づいてくる台風には注意が必要です。
西村)台風に対しての備え・避難行動について教えてください。
前田)台風は事前に情報を得て、備えることができます。まずは天気予報をこまめにチェックしましょう。台風が発生したら早めに避難行動を考えることが大事。これから台風の発生が増えるのでまずは情報を掴む。台風がやってきそうなら、どのような行動を取ればいいのか家族で確認してください。
西村)旅行と重なりそうなときもあるかもしれませんね。
前田)早めのスケジュール調整も必要。自分のいる場所にどんな危険があるかをハザードマップで事前に確認しましょう。台風は屋内にいればやり過ごすことができる災害です。
西村)ハザードマップはインターネットでも簡単に見ることができますね。
前田)国土交通省が提供する「重ねるハザードマップ」で、家の周り、旅行先、実家など日本各地のマップを確認することができます。土砂災害など災害ごとに確認して、危険ならどこに避難するのか、いつ避難するのかを決めておくことが大事。
西村)土砂災害のリスクがある場合、どんなところに避難したら良いですか。
前田)まずは斜面や崖から離れること。土砂災害警戒区域から離れることが大事。土砂災害の対象の避難場所を確認しましょう。
西村)地震の場合と津波や高潮などの土砂災害、それぞれで避難場所が違うこともあります。
前田)災害によって避難場所が違うので細かく確認しましょう。
西村)どんなタイミングで避難すれば良いですか。
前田)さまざまな気象情報がありますが、大雨警戒レベルの数字で判断できます。大雨警戒レベル3=高齢者等避難です。避難に時間のかかる人は、このタイミングで避難を始めましょう。警戒レベル4になると危険な場所にいる人は全員避難となります。警戒レベル4が出た場合は身を守らなければならないと覚えておいてください。
西村)先日、レベル4で土砂崩れが起きていたところもありました。レベル3で早めに避難した方が良いかもしれません。人によってタイミングも違いますよね。
前田)それを事前に決めておくことが大事。警戒レベル5になると、災害が起きていてもおかしくないタイミング、すでに災害が起きているタイミングになります。
西村)川溢れて浸水したり、土砂災害が起こっていたり...。
前田)レベル5で避難を始めていては手遅れになってしまうので、レベル4で避難を完了させることを心がけてください。警戒レベル5は、身の危険を感じるレベルだと思います。
西村)その場合、外に出ることは難しいので、安全であれば家の中で避難する方が良いですね。自宅避難をするにはどんな備えが必要ですか。
前田)飛ばされやすいものは家の中にしまっておく、固定しておくことが必要です。
西村)7年前の大阪の台風の時に、友人がベランダに置いていた洗濯機が飛ばされたと言っていました。
前田)置いてあるものが凶器にもなりかねないし、周りの人の命を脅かす恐れも。濡れた雑巾1枚でも窓ガラスを突き破ることがあります。小さなものでもほったらかしにしないこと。これからのシーズン、まだまだ暑さが続きます。家の中で避難していて、停電したときはさらに暑さ対策が必要。電気が止まっても涼を取れるような準備が必要です。
西村)前田家ではどんな備えをしていますか。
前田)首元を冷やすネッククーラーと水をいれて凍らせたペットボトルを準備しています。これをうまく使えば体を冷やすことができます。
西村)体を冷やしたあと、水が溶けたら料理や水分補給にも使えますね。
前田)風呂に水を張って、体をつけると涼をとることができます。エアコンや扇風機が使えなくなったら、どうやって涼むのかを考えておきましょう。
西村)携帯電話の充電器も必要ですね。
前田)充電を常に満タンにしておく、モバイルバッテリーを用意しておく。スマートフォンは連絡を取る、情報を得るのに必要です。最悪の事態を想定して準備をしておきましょう。
西村)今月に入って各地で線状降水帯が発生しています。夜間の発生が多いですね。
前田)線状降水帯に限らず、統計的に夜中や早朝に大雨、豪雨災害の発生が多いです。研究でも明らかになってきていて、特に九州地方は、豪雨災害は夜中、早朝に起きやすいということがわかっています。今月、九州で線状降水帯が相次いで発生しましたが、九州では夜間に東シナ海から吹き込む風が強まって、湿った空気が流れ込みやすくなります。夜間は気温が下がって上空が冷えることで、大気の状態がより不安定になると考えられます。これは九州に限らずどの地域でも起こることです。
西村)わたしたちのいる近畿地方でも起こりますか。
前田)関西でも、夜間に急激に状況が悪くなることがあります。
西村)寝ていて起きたら浸水していた...とか。逃げられない状況になっていることもありますね。
前田)情報を得るのが難しい、行動を移すのが難しい暗い時間帯になると、大きな被害にもつながりかねません。
西村)夜中に避難情報が発表されたらどうしたら良いですか。
前田)情報が出た時には、ためらわずに避難行動を取ること。心配なら暗くなる前に避難を済ませる。どこで線状降水帯発生の恐れがあるのかは、半日前にはわかるので、暗くなる前に避難を済ませることも可能です。そのような情報が出された時、その時点で何らかの行動をとっておくこと。急激に状況が悪くなることもあるので、ベストな避難方法だけではなく、セカンドベストの策も考えておくのも重要です。
西村)例えばどんなことですか。
前田)避難所に行くことが難しいなら、近くの親戚の家、知り合いの家に身を置くことができるように、事前に連絡を取っておく。それも対策のひとつになります。
西村)安心につながりますね。自分たちだけではなく、離れて暮らす家族、実家のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんにも連絡して話をしておくのも大切ですね。
前田)何もない時にこそ、話合いをしておくことが大事だと思います。
西村)今日は、台風や豪雨から命を守る避難行動についてお話を伺いました。
前田さんありがとうございました。
08月24日(日)
第1507回「紀伊半島大水害の教訓を絵本で伝える」
ゲスト:和歌山大学客員教授 後誠介さん
西村)2011年、台風12号の影響で、紀伊半島を中心に大きな被害が出た紀伊半島豪雨。和歌山県内では土砂災害が多発し、三重、奈良、和歌山の3県で88人の死者と行方不明者が出ました。この豪雨の教訓を子どもたちに伝える絵本「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」が出版されています。
きょうは、この絵本を企画した和歌山大学 客員教授 後誠介さんにスタジオにお越しいただきました。
後)よろしくお願いいたします。
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」はどんな絵本ですか。
後)動物たちが通う"森の学校"が舞台。近くを流れる川が大雨で氾濫してしまうという物語です。雨が降り続くと、堤防が決壊しないのに川があっという間にパンク(氾濫)してしまいます。大人も見落としていることを子どもと一緒に気づき合いながら、読み進められる絵本にしました。
西村)「堤防が決壊していないのにあっという間にパンクしてしまう」ということが、絵本でどのように描かれていくのでしょう。後さんは、元々絵本を書く仕事をしていたのですか。
後)絵本は初めてです。専門は地質学です。2011年の紀伊半島豪雨の後に、地盤災害の合同調査が3つの県で編成されました。合同調査団のメンバーに加わり、現地調査をしたり、報告をまとめたりしました。それをベースに、「紀伊半島大荒れ」という本を執筆。その一部を絵本にしました。
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」の朗読をお届けします。どうぞお聞きください。
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「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」
「ざあ ざあ ざあ、雨が ふる。
あきずに ざあ ざあ ふりつづく。
だけど、小川は あふれてない。
お山も どっしり そこにある」
もう なん日も 雨が やみません。
でも、だれかが そう うたいだすと、
森のがっこうの みんなは
ほっとしました。
「雨も きっと あしたには やむよね」
ところが、 おしごとででかけていた
こうちょうせんせいの ふくろうが、もどってくると さけびました。
「みなさん、にげましょう!
もうじき そばの小川が あふれます!
くわしいことは あとで はなします!
もっと たかいところへ にげましょう!」
せんせいの かおは しんけん そのもの。
「きっと なにか あったんだ......」
以下略
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西村)後さんはなぜこの本を企画したのでしょうか。
後)3年前に和歌山県新宮市の幼稚園で、幼稚園児に減災学習会を開催したことがきっかけです。寸劇風に水害の話をしたところ、子どもたちが真剣な眼差しで聞いてくれて、質問もありました。「お父さんとお母さんがいないときにこういうことになったらどうしたら良いですか」と。
西村)子どもたちはそれが一番不安なんですね。
後)「隣近所の大人の人を頼るんだよ」「おじちゃん助けて!おばちゃん助けて!と言ってね」と答えました。
西村)隣近所の大人たちが冷静になれないかもしれません。この絵本で知らなければいけないと感じました。
後)子どもたちの感覚、感性に訴える防災教育が必要だと感じたんです。寸劇のまま中途半端で終わらせるのではなく、全国で普遍的に使えるものができないかと考えて絵本にしました。
西村)2011年の紀伊半島豪雨での経験や調査を絵本に盛り込んだとのこと。和歌山のみなさんは、紀伊半島豪雨について語り継ぎをしているのでしょうか。
後)語り継ぎをしていますが、みなさん年齢を重ねています。経験していない人や当時は幼かった人も多く、正しくは知りません。救助活動をしたことがない町や県の職員が増えています。
西村)絵本を通して伝えていくことはとても大切ですね。これまでに水害をテーマにした絵本は、あったのでしょうか。
後)物語になっている水害の絵本は、ほぼないと思います。津波や地震の絵本は東日本大震災がきっかけになって作られるようになりました。
西村)新たに紀伊半島号を題材にした絵本を作るとなると、いろいろ工夫した点もあったのでは。
後)文を担当した黒川さんは、夢の持てる物語にしたいとこだわりました。「怖い」「汚れる」だけではなく、最後は夢を持てるようなストーリー展開にしたいと。
西村)救助に来てくれたシーンがありました。みんなで炊き出しをするシーンも。復興へと進んでいく道のりが描かれていました。
後)防災絵本の中には、絵本の形をとっていても土砂災害や水害について解説した解説本のようなものあります。絵を担当した吉田さんもこだわっていて、よく見るとページごとに少しタッチが違います。わたしは、学術的な視点にこだわりました。そのような3つの視点からこの絵本ができました。
西村)それぞれのプロが手がけて、わかりやすく、楽しく伝えられるように、希望が持てる絵本にしようと描かれたのですね。だから、絵のタッチについては、川があふれているシーンは、輪郭が太めに描かれています。動物たちが避難所で夜を明かすシーンは、優しいタッチで描かれています。よく見てみると、ウサギの子どもが赤い車のおもちゃを持っていて。「避難所に行くときは車のおもちゃを持っていこう!」と思いました。登場人物は全員動物というのもこだわりですか。
後)こだわりです。動物の方が子どもにはうったえることができると思いました。
西村)わたしの娘もかわいい動物に惹かれていました。川がパンクする理由もわかりやすく描かれていたので、この絵本を読んだ後に「パパ!なんで川がパンクすると思う?」と夫に言っていました。そんなふうに家族で語り合うきっかけになる。この絵本で子どもたちに一番伝えたいことは何ですか。
後)豪雨災害は、少しずつ事態が悪化していくのではなく、ある時点で川があっという間に溢れて、あっという間に避難できなくなります。これを伝えたい。子どもが水害に関する知識を持って、率先して避難者になってくれたら、大人たちも変わると思います。この絵本をきっかけに、親子で、地域で、避難行動につながる会話をしてもらえたらうれしいです。
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」は、書店やインターネットで購入することができます。みなさん、ぜひご覧ください。
08月17日(日)
第1506回「天気予報が消えた日~気象学者の遺言」(再放送)
取材報告:亘佐和子プロデューサー
西村)8月15日は終戦の日でした。戦争の体験談を聞いて、改めて平和について考えた人も多いのではないでしょうか。戦後80年の夏を目前に控えた今年6月、1人の気象学者が亡くなりました。元気象庁 気象研究所 研究室長 増田善信さん。101歳でした。ネットワーク1・17では、2021年8月に「天気予報が消えた日」というテーマで、亘佐和子記者による増田さんのインタビューを放送しました。戦争中の体験から、気象の専門家として、戦争と平和の問題に向き合い続けた増田さん。追悼の思いを込めて、4年前のインタビューをお届けします。お聞きください。
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西村)きょうは、この番組でもたびたびテーマにしている天気予報について、いつもとは違う視点でお伝えします。
亘)よろしくお願いします。わたしたちの生活の中で天気予報は大切ですよね。
西村)そうですね。毎日チェックしています。
亘)天気予報がない生活は想像ができないですが、過去に天気予報が秘密にされた時代がありました。
西村)なぜですか。
亘)1941年12月8日に日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まってから、1945年8月に戦争が終わるまで、天気予報は軍事機密として、市民には伝えられなかったのです。戦争で多くの命が失われましたが、大切な天気予報や気象に関する情報が伝えられなかったために失われた命もたくさんありました。今回、この天気予報が軍事機密だった時代のことを証言してくださる人にインタビューすることができました。元気象庁気象研究所 研究室長で気象学者の増田善信さんです。天気予報が伝えられなくなった1941年12月8日、増田さんは18歳でした。京都府宮津市の観測所に勤務していて、出勤する途中にラジオで真珠湾攻撃を知ったそうです。世の中は「勝った、勝った」の大騒ぎ。増田さんは天気図を書く当番にあたっていて、夜の6時、いつものように中央気象台からの無線を聞いて天気図を書こうとしたところ、いつもとは違う数字が読み上げられたそうです。そのときの話をお聞きください。
音声・増田さん)その日は、突然全く違った電報が入ってきたんです。「そういえばきょうは開戦の日だ。変更があったのかもしれない」と思い、約200m離れたところにある所長の官舎にいって、「所長さん、変な電報がきましたよ」と言いました。所長は驚かず「おー、来たか」と金庫を開けて、真っ赤な表紙の2冊の本を出したんです。「これを使えば暗号は解読できる」と。その日から天気予報が一般の人には知らされることはなくなり、台風が来ても警報を伝えられず、風向や風速などの気象資料も一般の人には伝えてはいけないことになりました。
音声・亘)なぜ一般市民に伝えなくなったのですか。
音声・増田さん)市民がスパイ的な行為をして、気象資料をアメリカに渡すかもしれないという心配があったんだと思います。戦争が終わる最後まで、気象管制が続けられました。
音声・亘)日本の天気のデータをアメリカに知られてはまずいということですね。
音声・増田さん)飛行機で爆撃するときは、相手国の天気を知って、天気のいい日や目標がよく見える日に爆弾を落としていたんです。
音声・亘)市民のみなさんは困ったのではないですか?
音声・増田さん)いちばん影響を受けたのは漁師。命に関わることがある。特に日本海側は冬の季節風が吹く時、大変危険な状態になります。普通の漁船だと転覆の恐れもある。季節風が吹くときは天気予報を教えてあげたかったができなかった。残念でしたね。
西村)漁師という命がけの仕事をする人にとって、天気予報が知らされないのは大変だったでしょうね。
亘)日本海側の冬の天気は非常に変わりやすく、晴れていても急に暴風雪に変わることがあります。仲良くなった漁師さんに「明日の天気どうですか」と聞かれることもあったそうです。しかし、教えてはいけないと国から言われているので教えられない。仕方なく、「きょうは天気がいいですが、明日はどうでしょうね」と言って、明日の天気が悪くなることをなんとなくわからせることしかできなかったそうです。それがとても心苦しかったと話しておられました。
西村)本当につらいですね。一般の人に知らされない天気予報は、戦争中はどのように使われていたのでしょうか。
亘)ひとことで言うと、戦争のために使われました。海軍の航空部隊にとって天気は作戦上、非常に重要でした。増田さんも1944年に海軍に入り、気象隊の一員として航空部隊に天気図の説明をする仕事をしていました。増田さんにとって忘れられないのが 1945年8月の6日・7日・8日の3日間、増田さんは島根県の大社航空基地から沖縄に向けて特攻出撃する兵士に天気図の説明をして送り出しました。
西村)特攻とは敵に体当たりする攻撃ですね。
亘)兵士が死ぬことが前提になった攻撃。死がわかっている兵士に天気図の説明をして送り出したという増田さんのお話を聞いてください。
音声・増田さん)8月6日・7日・8日の3日間、わたしのいた大社基地から沖縄特攻が出されました。兵士が飛行服を着て、白いマフラーをつけて並んでいる。飛行長が「ただいまから那覇空港の敵船、輸送船の攻撃を命ず」という命令を出す。その後、わたしが黒板に貼ってある天気図で天気の説明をしました。大社基地から宮崎県の都井岬を越えて南下し、那覇の上空で魚雷を投下するまでの道筋の天気予報です。那覇上空の天気予報も非常に重要でした。自分の落とした爆弾によって、敵の目標が見えなくなると大変なので、必ず風上に向かって飛行機を侵入させなければならない。風の方向、雲の高さ、雲の量などが非常に重要。那覇の上空の細かい天気予報を教えました。飛行長が「かかれ」と号令をかけると、それぞれが自分たちの飛行機にわかれて乗っていきました。今でもその光景は忘れられません。夕焼けの中を南西の方向に向かって編隊で飛んで行きました。ほとんど帰ることができないのがわかっているのに。こんなことで果たして勝てるのかと思いながら送り出しました。
西村)自分が説明した天気の情報が人の命を奪うために使われて、その攻撃する兵士自身も死んでしまう......本当にやりきれない話ですね。
亘)天気予報は戦争と密接に関連していて、戦争の歴史の中で発達してきたところもあります。命を守るために使われることもあれば、命を奪うためにも使われる。命に直結する情報なのだと改めて思います。
西村)戦争中に天気予報が伝えられなくなっても、自然災害はありましたよね。
亘)1942年8月に山口県を襲った周防灘台風がありました。台風が上陸し、夜中に高潮が発生して、死者・行方不明者が1100人を超える大きな被害が出ました。このとき事前に被害が予想されていたのですが、天気の情報は一般の人に伝えられませんでした。増田さんによると、特例で1回だけ暴風警報が発表されたそうです。でも台風の位置、進路などの情報は出されなかった。それで多くの人が高潮にのみ込まれてしまったのです。
西村)恐ろしかったでしょうね。どれぐらいの台風がいつ来るかがわかっていたら備えることもできたし、救えた命もあった。
亘)守れたはずの命が守れなかったのです。1944年12月7日には昭和東南海地震が起こりました。亡くなった人は1200人を超える大きな被害でしたが、この被害情報も隠されました。
西村)なぜ隠されたのですか。
亘)日本が大きな被害を受けことが敵に知られるとまずいからです。1945年1月には三河地震が起こり、愛知県などで2300人が亡くなりましたが、この被害情報も隠されました。東海地方は軍事的にも非常に重要な拠点だったので、大きな被害があったことはオープンにしてはいけない情報だったのです。当時、日本が戦争で負け続けていることも隠されていました。とにかく正しい情報は隠される時代だったのです。この時代を振り返って、今どういうことを感じているのか増田さんに聞きました。
音声・増田さん)戦後、天気予報が復活したのは、1945年8月22日。最初に東京地方の天気予報が一般市民に伝えられました。わたしは戦争中もいろいろと感じることがありました。「今に神風が吹く。必ず勝つ」という標語がそこらじゅうに貼ってあった。何かにつけて「今に神風が吹く」と先生が生徒に教えていた。気象の専門家として、「神風なんか吹くはずがない」ということがわかっていっても、それを口に出すことができなかった。勇気がなかったと言えばそれまでですが、わかっていながらみんなに伝えることはできなかった。天気予報がなくなるということは本当に大変な事態です。全てが戦争状態になることを意味します。したがって、天気予報が生きているということは、平和な社会が存在しているということと同じ。天気予報は平和のシンボルだと思います。天気予報をなくす事態は絶対に起こしてはならない。
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西村)「天気予報は平和のシンボル」という増田さんの言葉が心に響きました。
増田さんは、戦争中に大切な気象の情報を伝えることができなかった反省から、戦後、平和のために様々な活動をされました。広島に原爆が落とされた後に降った「黒い雨」の裁判では、広島の現場を詳しく調査して、「国が認定した区域よりも広い範囲に黒い雨が降った」ということを証明しました。
増田さんの論文が、黒い雨で健康被害を受けたという原告の主張を支えたのです。
きょうは、戦争と平和と天気について、先日亡くなった気象学者の増田善信さんのインタビューをお届けしました。
08月10日(日)
第1505回「旅行や帰省先での災害に備える」
オンライン:東北大学 災害科学国際研究所 准教授 佐藤翔輔さん
西村)みなさんは夏休みにどこかお出かけする予定はありますか。もし、お出かけ先で災害が起きたらどうすれば良いのでしょうか。7月30日にロシア・カムチャツカ半島付近で地震が起こり、津波警報が出されたときは、和歌山県白浜町に観光に生きていた人たちが旅館などに一時避難しました。
きょうは、お盆シーズンの旅行や帰省先での備えについて、東北大学 災害科学国際研究所 准教授 佐藤翔輔さんにお話を伺います。
佐藤)よろしくお願いいたします。
西村)8月30日の津波警報での避難行動で課題を感じましたか。
佐藤)今回の津波は、専門用語で遠地津波といいます。震源から日本まで距離があったので冷静に避難できましたが、夏休みで多くの観光客が街に出ている状況でした。和歌山県では、たくさんの人が砂浜で海水浴を楽しんでいた中で津波避難警報が出たので、きちんと避難できるかが改めて課題になりました。
西村)佐藤さんは去年1月1日に起きた能登半島地震で、帰省や旅行中に地震や津波に巻き込まれた人たちに調査を行ったのこと。なぜこのような調査をしようと思ったのですか。
佐藤)1月1日は多くの人が自宅にいて、帰省や観光をする人が多い時期でした。わたしは新潟出身で、実家に着いた30分後に能登半島地震が起きました。実家がある新潟市内も大きな揺れに見舞われました。自分が実際に帰省中に地震が起きたことで、調査をしようと思いました。
西村)実家は大丈夫でしたか。みなさんケガはなかったですか。
佐藤)家は新耐震の建物でしたが30年以上も経っているのでギシギシと音がして、ヒヤッとしましたが、家族全員無事でした。
西村)よかったです。揺れたあとどのように行動しましたか。
佐藤)新潟県内は海に接した県。津波の浸水を予想しました。自宅のある場所は浸水想定範囲内ではないと知っていましたが、改めて確認するためにハザードマップをインターネットで見ようとしたんです。たくさんの人がアクセスしていたようで、サイトにつながりませんでした。災害時にはなかなか情報にアクセスすることができないと実感しました。
西村)やはり事前の備え、確認・準備は必要ですね。アンケートでは、実際に佐藤さんと同じように旅行や帰省先で災害に巻き込まれた人が多かったのでしょうか。
佐藤)今回、約1000人にアンケートをとりました。1000人のうち、51%が東京23区から石川・富山・新潟に訪れていました。26%は大阪からでした。1000人のうち37%は、実家や親戚の家にいた人。34%は旅行先の宿泊施設にいた人。冬休み期間に旅行をしていた人もたくさんいたようです。
西村)その人たちが被害に遭わなかったのか心配です。
佐藤)回答してくれた人たちには、大きな被害はなかったと思いますが、揺れたとき実家や宿泊施設が傾いた、潰れたという回答が1割もいました。1割の人が自分自身の命が危なかったという状況。いた場所に津波が来たかも聞いたのですが、全体の9%が、自分がいた場所が後に浸水したと回答。帰省や旅行先で危ない目にあった人がたくさんいたのです。元日で帰省を目的に移動していた人が多く、冬休み期間中ということもあり、観光地で被災した観光客が多かった。帰省や旅行で普段その場所にいない人がたくさん被災した災害でした。
西村)今までの災害とは大きく異なりますね。アンケートの結果では、みなさんどんなことに困っていたのですか。
佐藤)1番多かったのは、「建物の安全性がわからなかった」という回答。揺れた瞬間にいる建物の耐震性についての情報がなかったということです。普段住んでいる自分の家なら判断がつきますが、たまたまいた場所で建物の安全性の情報が全くないので困ったようです。2番目は、「身を守るための安全な避難場所がわからなかった」という回答。普段自分が生活している場所では、安全な避難場所について知っていると思いますが、帰省先、旅行先ではどこに避難すればいいのかわからない。3番目は、「地震から身を守るためのスペースがわからなかった」という回答。家や職場や学校なら、どこにテーブルがあるかわかっているので、さっと下に潜り込めると思います。しかし、実家や旅行先の宿泊施設には、どこに安全な空間があるかがすぐわからなかったということです。
西村)実家なら大きなテーブルがあるかもしれませんが、ホテルの部屋はどこに隠れたら良いのか迷います。お正月は家族みんなが集まっているので、全員の身を守ることができる場所を探すのは難しいかもしれません。
佐藤)上にから物が落ちてこない場所に行くことも大事。そのような場所を日頃から見つけておきましょう。
西村)避難しなかった人もいたのでしょうか。
佐藤)今回アンケートをとった1000人のうち避難した人は6割。安全のための行動をとらなかった4割の人は、「今いる場所が安全だと思った」「避難が面倒だった」とのことでしたが、一番深刻だったのは、「安全な避難場所がわからなかった」という理由が多かったこと。これは、旅行先、帰省先にいた人特有の理由です。普段の場所ならどこに避難すれば良いかがわかっている人でも、避難場所がわからなくて避難しなかった、もしくは避難できなかったということです。
西村)わたしの友人の話なのですが、友人は、当時、夫の実家がある七尾市に里帰りをしていたそう。揺れが起こった瞬間、夫は買い物に出ていてなかったそうです。安全に避難するにはどこに逃げたら良いのかわからなくてすごく困ったという話を聞きました。冷静に避難するためには、しっかりと避難場所を決めておかないといけないですね。
佐藤)帰省をしている人は、旅行者に比べて避難場所はわかるかと思ったのですが、そのような状況だった人も何人かいました。帰省先といえども、避難場所に困った人がたくさんいたことがわかりました。
西村)想定していない分、不安も大きくなりますね。
佐藤)やはり事前に備えていれば冷静に対応できると思いますが、思ってもいないことが起きると不安やパニックに陥ってしまうと思います。
西村)旅行や帰省をする前にどのように備えておけば良いのか教えてください。
佐藤)帰省・旅行先に想定されている災害を把握する。目的地のハザードマップを見て、災害が起きた場合の安全な避難場所を確認しましょう。帰省や旅行を楽しみにしているときに、調べることは難しいかもしれませんが、荷造りや移動途中のスキマ時間を使って、事前に確認することが大事。普段、自分の家で十分に備えをしている人でも「旅行先では困った」という人が多かったです。さらに、家族や旅行者を受け入れるも対策が必要です。今回、「揺れた瞬間にいる建物の安全性・耐震性がわからなかった」と多くの人が回答しました。十分な耐震性と身を守る場所を確保すること、避難生活が中長期的に発生することを想定して、備蓄を多くするなど、受け入れる側もさまざまな対策が必要になるのです。
西村)おじいちゃんやおばあちゃんにわたしたちから話してみるのも、大きな方法かもしれませんね。
佐藤)「今度帰るんだけど、家の耐震性大丈夫かな」と話してみてください。耐震補強の負担が生じますが、それをきっかけにサポートをすることも、大事な家族の命を守る行動になると思います。
西村)佐藤さん、どうもありがとうございました。
08月03日(日)
第1504回「和歌山県などに津波警報~そのとき、白浜の旅館では」
電話:紀州・白浜 温泉旅館「むさし」女将 沼田弘美さん
西村)7月30日午前8時25分頃、ロシア・カムチャツカ半島付近を震源とする地震がありました。地震の規模を示すマグニチュードは8.7。アメリカの地質調査所によると、8.8という非常に大きな地震でした。日本からは1000km以上離れたところで起こった地震ですが、北海道から和歌山県の太平洋沿岸部に津波警報が発表されました。岩手県の久慈港では1.3mの最大津波を観測。近畿でも和歌山県白浜町で40cmの津波が観測され、全国で200万人以上に避難指示が出されました。これはどんな地震津波だったのでしょうか。京都大学 防災研究所 教授の西村卓也さんのインタビューをお聞きください。
音声・西村教授)この地域は太平洋プレートという海のプレートが陸地の北米プレートの下に沈み込んでいる場所。マグニチュード8.8で非常に規模が大きい地震でした。東日本大震災とプレートの組み合わせやメカニズムが似た地震で、東日本大震災に近い規模の大きな揺れや津波が発生しました。
音声・記者)どうして日本に津波の影響が出たと考えられますか。
音声・西村教授)マグニチュードが非常に大きかったからです。アメリカの地質調査所の研究によると8.8という数字が出ています。マグニチュード9に近い地震は、超巨大地震と呼ばれています。地震が観測されるようになった100数十年の間で10回も起こっていない規模。その一つが東日本大震災です。このぐらいの規模になると、太平洋の周辺のどこで起こっても、太平洋全体に津波が広がります。東日本大震災のときも、日本だけではなく、対岸のアメリカにも津波が押し寄せて被害が出ました。1960年のチリ地震でも、日本に津波が来て大きな被害が出たことがあります。地震の規模がとにかく大きかったことが一番の原因です。
西村)この場所では、73年前の1952年にもマグニチュード9.0の地震が起こっていて、そのときも岩手県に最大1mの津波が来ました。今回の津波警報では、夏休みで旅行中の人、猛暑の中高台に長時間避難した人もいて大変だったと思います。この経験を近い将来起こると言われている南海トラフ地震など、未来の災害への備えにつなげていきましょう。
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西村)ここからは、津波警報が出たときの和歌山県白浜町の状況について、紀州・白浜温泉 旅館「むさし」女将の沼田弘美さんに話を聞きます。
沼田)よろしくお願いいたします。
西村)「むさし」は日本の夕陽百選の宿に選ばれるなど、美しい夕日を眺めることができる人気の温泉宿。白良浜がすぐそばにあるそうですね。
沼田)歩いて1分ほどで白良浜にお出かけできます。
西村)夏休みで、多くの人が宿泊していたのではないですか。
沼田)夏休みシーズンは、海水浴に来るお客さまが多いです。
西村)30日の朝はどんな状況でしたか。
沼田)注意報が出たときは、和歌山県で地震があったわけではなかったので、携帯のアラームが鳴ってもあわてることはありませんでした。しかし、10時前に警報に変わると、チェックアウト後、早めに帰宅準備をするお客さまが多かったです。
西村)お客さまはどの地方から来ていましたか。
沼田)白浜温泉は関西圏のお客さまが多い観光地。大阪や滋賀方面に帰るお客さまが多かったです。注意報・警報のアラームが何度か鳴り、海側を通ると危険なので、山側の高速道路を通るルートを案内しました。
西村)ルートの説明があると安心ですね。
沼田)海沿いは危険なので、できるだけ高台に逃げて帰宅することをおすすめしました。
西村)バスや電車を利用する人はどうしたのですか。
沼田)警報が出てから、チェックアウトをして、バス停で並んでいたお客さまもいました。「バス停で待っているけどバスが来ない」とカウンターに来られた人に、「警報で路線バスが止まったようです」と案内し、バス停に一緒に戻って、待っているお客さまに状況説明をしました。当館のお客さまには、一旦戻るように案内。向かい側のホテルも案内しました。
西村)ほかにはどんな対応をしましたか。
沼田)海外からのお客さまで、電車に乗って大阪や京都へ行く人もいましたが、電車も止まっていて、このままタクシーを待っていても来ない状況だったので、一旦「むさし」の大きな宴会場をおすすめしました。宿泊客以外の人にも、一旦わたしたちの建物で待機をすることをおすすめしました。
西村)「むさし」は何階建てですか。
沼田)建物が2つあって、タワーの建物は17階建て。4階から上はお客さまが利用するフロアです。1階はロビー、2階はレストラン、3階は社員が使う場所。4階の冷房完備の大きな宴会場で待機してもらいました。
西村)冷房も効いて高さもあると安心ですね。
沼田)部屋がないお客さまには、一旦荷物を持って、4階まで上がってもらいました。
西村)地震の揺れがない中で、安全な場所に避難をすすめるには、説明も必要ですよね。海外のみなさんはどんな反応でしたか。
沼田)英語が通じれば、簡単な英語とジェスチャーで伝えました。バス停で待つ人の中には、中国語やスペイン語など、英語が通じない人もいたので、携帯電話の多言語のツールで説明をしました。「津波」という言葉は知っているけど「津波がなぜここに来るの?」「揺れていないのに間違いじゃない?」という人もいました。携帯のアラームがたくさん鳴っていたので、アラームの画面や日本の地図を見せて「津波の予測があるので避難しませんか」と説明しました。
西村)今回は、地震が起こった場所がかなり遠かったにも関わらず、和歌山に津波警報が発表されました。説明も大変だったと思います。
沼田)日本の地図を見てもらって、視覚で訴えることも大事だと今回つくづく思いました。
西村)旅館として普段から災害の備えはしていますか。
沼田)当館は、部屋数が148あり、400~500人近くのお客さまの宿泊が可能です。レストランもあるので、常に3~4日分ぐらいの食材ストックがあります。お米は1週間分くらいはあるので、食料の備蓄については安心してもらえると思います。部屋に配るペットボトルの水のストックもたくさんあります。
西村)耐震工事はしていますか。
沼田)和歌山県は、2017~2019年に県や国の補助金で耐震工事を済ませています。当館も耐震工事をしているので、建物への避難を案内しました。
西村)宿泊客以外も受け入れたということですが、「むさし」は避難場所として指定されているのですか。
沼田)当館のような耐震工事をしている大型施設は、一時避難所として指定されています。津波到達予測時間が11時半ごろだったので、まずは一旦安全確保のために避難を最優先しました。
西村)去年のお盆に南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」が出ました。それを受けて、何か対策したことはありますか。
沼田)去年の8~9月に避難方法について冊子を用意。夏は海水浴に出かけるお客さまが多いので、海側の出入口に、和歌山県のハザードマップ、白浜・田辺エリアのハザードマップをラミネート加工して貼って注意喚起をしました。
西村)災害が起こった場合、建物が倒壊した場合の安全な避難経路を書いた地図を貼っているのですね。
沼田)地図だけではわかりにくい場合もあるので、目印の写真も載せています。
西村)言葉が通じなくても目で見てわかると、いろんな人も安心につながりますね。普段から旅館で避難訓練はしていますか。
沼田)年に2回、法定基準の消防訓練、火災訓練をしています。和歌山県は南海トラフ地震の影響があるエリアなので、地震津波を想定した訓練をしています。お客さま役のスタッフを当館のスタッフが15分以内に高台まで案内します。
西村)日頃の訓練があるからこそ迅速な誘導につながるのですね。今回の津波警報の対応で、「もっとこうすればよかった」と感じることはありましたか。
沼田)昨年、和歌山県で「和歌山県防災ナビ」というアプリが出されていたんです。多言語対応していて、避難場所が地図上に表記されている便利なアプリ。QRコードでダウンロードすれば、どこの国の人でも言語を選んで確認することができるので、これを海外の人に見せてあげればよかったな...と後で思いました。
西村)今のうちにダウンロードしておくと、旅先で役に立つときがあるかもしれません。このような備えは大切ですね。
沼田)わたしもこのアプリをダウンロードしているのですが、ほかのエリアに行ったとときも、熱中症のアラートなども鳴るのでとても便利です。
西村)わたしも早速ダウンロードしようと思います。沼田さんどうもありがとうございました。