第1507回「紀伊半島大水害の教訓を絵本で伝える」
ゲスト:和歌山大学客員教授 後誠介さん

西村)2011年、台風12号の影響で、紀伊半島を中心に大きな被害が出た紀伊半島豪雨。和歌山県内では土砂災害が多発し、三重、奈良、和歌山の3県で88人の死者と行方不明者が出ました。この豪雨の教訓を子どもたちに伝える絵本「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」が出版されています。
きょうは、この絵本を企画した和歌山大学 客員教授 後誠介さんにスタジオにお越しいただきました。
 
後)よろしくお願いいたします。
 
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」はどんな絵本ですか。
 
後)動物たちが通う"森の学校"が舞台。近くを流れる川が大雨で氾濫してしまうという物語です。雨が降り続くと、堤防が決壊しないのに川があっという間にパンク(氾濫)してしまいます。大人も見落としていることを子どもと一緒に気づき合いながら、読み進められる絵本にしました。
 
西村)「堤防が決壊していないのにあっという間にパンクしてしまう」ということが、絵本でどのように描かれていくのでしょう。後さんは、元々絵本を書く仕事をしていたのですか。
 
後)絵本は初めてです。専門は地質学です。2011年の紀伊半島豪雨の後に、地盤災害の合同調査が3つの県で編成されました。合同調査団のメンバーに加わり、現地調査をしたり、報告をまとめたりしました。それをベースに、「紀伊半島大荒れ」という本を執筆。その一部を絵本にしました。
 
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」の朗読をお届けします。どうぞお聞きください。
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「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」
 
「ざあ ざあ ざあ、雨が ふる。
あきずに ざあ ざあ ふりつづく。
だけど、小川は あふれてない。
お山も どっしり そこにある」
 
もう なん日も 雨が やみません。
でも、だれかが そう うたいだすと、
森のがっこうの みんなは
ほっとしました。
「雨も きっと あしたには やむよね」
 
ところが、 おしごとででかけていた
こうちょうせんせいの ふくろうが、もどってくると さけびました。
 
「みなさん、にげましょう!
もうじき そばの小川が あふれます!
くわしいことは あとで はなします!
もっと たかいところへ にげましょう!」
 
せんせいの かおは しんけん そのもの。
 
「きっと なにか あったんだ......」
 
以下略
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西村)後さんはなぜこの本を企画したのでしょうか。
 
後)3年前に和歌山県新宮市の幼稚園で、幼稚園児に減災学習会を開催したことがきっかけです。寸劇風に水害の話をしたところ、子どもたちが真剣な眼差しで聞いてくれて、質問もありました。「お父さんとお母さんがいないときにこういうことになったらどうしたら良いですか」と。
 
西村)子どもたちはそれが一番不安なんですね。
 
後)「隣近所の大人の人を頼るんだよ」「おじちゃん助けて!おばちゃん助けて!と言ってね」と答えました。
 
西村)隣近所の大人たちが冷静になれないかもしれません。この絵本で知らなければいけないと感じました。
 
後)子どもたちの感覚、感性に訴える防災教育が必要だと感じたんです。寸劇のまま中途半端で終わらせるのではなく、全国で普遍的に使えるものができないかと考えて絵本にしました。
 
西村)2011年の紀伊半島豪雨での経験や調査を絵本に盛り込んだとのこと。和歌山のみなさんは、紀伊半島豪雨について語り継ぎをしているのでしょうか。
 
後)語り継ぎをしていますが、みなさん年齢を重ねています。経験していない人や当時は幼かった人も多く、正しくは知りません。救助活動をしたことがない町や県の職員が増えています。
 
西村)絵本を通して伝えていくことはとても大切ですね。これまでに水害をテーマにした絵本は、あったのでしょうか。
 
後)物語になっている水害の絵本は、ほぼないと思います。津波や地震の絵本は東日本大震災がきっかけになって作られるようになりました。
 
西村)新たに紀伊半島号を題材にした絵本を作るとなると、いろいろ工夫した点もあったのでは。
 
後)文を担当した黒川さんは、夢の持てる物語にしたいとこだわりました。「怖い」「汚れる」だけではなく、最後は夢を持てるようなストーリー展開にしたいと。
 
西村)救助に来てくれたシーンがありました。みんなで炊き出しをするシーンも。復興へと進んでいく道のりが描かれていました。
 
後)防災絵本の中には、絵本の形をとっていても土砂災害や水害について解説した解説本のようなものあります。絵を担当した吉田さんもこだわっていて、よく見るとページごとに少しタッチが違います。わたしは、学術的な視点にこだわりました。そのような3つの視点からこの絵本ができました。
 
西村)それぞれのプロが手がけて、わかりやすく、楽しく伝えられるように、希望が持てる絵本にしようと描かれたのですね。だから、絵のタッチについては、川があふれているシーンは、輪郭が太めに描かれています。動物たちが避難所で夜を明かすシーンは、優しいタッチで描かれています。よく見てみると、ウサギの子どもが赤い車のおもちゃを持っていて。「避難所に行くときは車のおもちゃを持っていこう!」と思いました。登場人物は全員動物というのもこだわりですか。
 
後)こだわりです。動物の方が子どもにはうったえることができると思いました。
 
西村)わたしの娘もかわいい動物に惹かれていました。川がパンクする理由もわかりやすく描かれていたので、この絵本を読んだ後に「パパ!なんで川がパンクすると思う?」と夫に言っていました。そんなふうに家族で語り合うきっかけになる。この絵本で子どもたちに一番伝えたいことは何ですか。
 
後)豪雨災害は、少しずつ事態が悪化していくのではなく、ある時点で川があっという間に溢れて、あっという間に避難できなくなります。これを伝えたい。子どもが水害に関する知識を持って、率先して避難者になってくれたら、大人たちも変わると思います。この絵本をきっかけに、親子で、地域で、避難行動につながる会話をしてもらえたらうれしいです。
 
西村)「川がパンクしちゃった!もりのがっこうとどうぶつたち」は、書店やインターネットで購入することができます。みなさん、ぜひご覧ください。

第1506回「天気予報が消えた日~気象学者の遺言」(再放送)
取材報告:亘佐和子プロデューサー

西村)8月15日は終戦の日でした。戦争の体験談を聞いて、改めて平和について考えた人も多いのではないでしょうか。戦後80年の夏を目前に控えた今年6月、1人の気象学者が亡くなりました。元気象庁 気象研究所 研究室長 増田善信さん。101歳でした。ネットワーク1・17では、2021年8月に「天気予報が消えた日」というテーマで、亘佐和子記者による増田さんのインタビューを放送しました。戦争中の体験から、気象の専門家として、戦争と平和の問題に向き合い続けた増田さん。追悼の思いを込めて、4年前のインタビューをお届けします。お聞きください。
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西村)きょうは、この番組でもたびたびテーマにしている天気予報について、いつもとは違う視点でお伝えします。
 
亘)よろしくお願いします。わたしたちの生活の中で天気予報は大切ですよね。
 
西村)そうですね。毎日チェックしています。
 
亘)天気予報がない生活は想像ができないですが、過去に天気予報が秘密にされた時代がありました。
 
西村)なぜですか。
 
亘)1941年12月8日に日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まってから、1945年8月に戦争が終わるまで、天気予報は軍事機密として、市民には伝えられなかったのです。戦争で多くの命が失われましたが、大切な天気予報や気象に関する情報が伝えられなかったために失われた命もたくさんありました。今回、この天気予報が軍事機密だった時代のことを証言してくださる人にインタビューすることができました。元気象庁気象研究所 研究室長で気象学者の増田善信さんです。天気予報が伝えられなくなった1941年12月8日、増田さんは18歳でした。京都府宮津市の観測所に勤務していて、出勤する途中にラジオで真珠湾攻撃を知ったそうです。世の中は「勝った、勝った」の大騒ぎ。増田さんは天気図を書く当番にあたっていて、夜の6時、いつものように中央気象台からの無線を聞いて天気図を書こうとしたところ、いつもとは違う数字が読み上げられたそうです。そのときの話をお聞きください。
 
音声・増田さん)その日は、突然全く違った電報が入ってきたんです。「そういえばきょうは開戦の日だ。変更があったのかもしれない」と思い、約200m離れたところにある所長の官舎にいって、「所長さん、変な電報がきましたよ」と言いました。所長は驚かず「おー、来たか」と金庫を開けて、真っ赤な表紙の2冊の本を出したんです。「これを使えば暗号は解読できる」と。その日から天気予報が一般の人には知らされることはなくなり、台風が来ても警報を伝えられず、風向や風速などの気象資料も一般の人には伝えてはいけないことになりました。
 
音声・亘)なぜ一般市民に伝えなくなったのですか。
 
音声・増田さん)市民がスパイ的な行為をして、気象資料をアメリカに渡すかもしれないという心配があったんだと思います。戦争が終わる最後まで、気象管制が続けられました。
 
音声・亘)日本の天気のデータをアメリカに知られてはまずいということですね。
 
音声・増田さん)飛行機で爆撃するときは、相手国の天気を知って、天気のいい日や目標がよく見える日に爆弾を落としていたんです。
 
音声・亘)市民のみなさんは困ったのではないですか?
 
音声・増田さん)いちばん影響を受けたのは漁師。命に関わることがある。特に日本海側は冬の季節風が吹く時、大変危険な状態になります。普通の漁船だと転覆の恐れもある。季節風が吹くときは天気予報を教えてあげたかったができなかった。残念でしたね。
 
西村)漁師という命がけの仕事をする人にとって、天気予報が知らされないのは大変だったでしょうね。
 
亘)日本海側の冬の天気は非常に変わりやすく、晴れていても急に暴風雪に変わることがあります。仲良くなった漁師さんに「明日の天気どうですか」と聞かれることもあったそうです。しかし、教えてはいけないと国から言われているので教えられない。仕方なく、「きょうは天気がいいですが、明日はどうでしょうね」と言って、明日の天気が悪くなることをなんとなくわからせることしかできなかったそうです。それがとても心苦しかったと話しておられました。
 
西村)本当につらいですね。一般の人に知らされない天気予報は、戦争中はどのように使われていたのでしょうか。
 
亘)ひとことで言うと、戦争のために使われました。海軍の航空部隊にとって天気は作戦上、非常に重要でした。増田さんも1944年に海軍に入り、気象隊の一員として航空部隊に天気図の説明をする仕事をしていました。増田さんにとって忘れられないのが 1945年8月の6日・7日・8日の3日間、増田さんは島根県の大社航空基地から沖縄に向けて特攻出撃する兵士に天気図の説明をして送り出しました。
 
西村)特攻とは敵に体当たりする攻撃ですね。
 
亘)兵士が死ぬことが前提になった攻撃。死がわかっている兵士に天気図の説明をして送り出したという増田さんのお話を聞いてください。
 
音声・増田さん)8月6日・7日・8日の3日間、わたしのいた大社基地から沖縄特攻が出されました。兵士が飛行服を着て、白いマフラーをつけて並んでいる。飛行長が「ただいまから那覇空港の敵船、輸送船の攻撃を命ず」という命令を出す。その後、わたしが黒板に貼ってある天気図で天気の説明をしました。大社基地から宮崎県の都井岬を越えて南下し、那覇の上空で魚雷を投下するまでの道筋の天気予報です。那覇上空の天気予報も非常に重要でした。自分の落とした爆弾によって、敵の目標が見えなくなると大変なので、必ず風上に向かって飛行機を侵入させなければならない。風の方向、雲の高さ、雲の量などが非常に重要。那覇の上空の細かい天気予報を教えました。飛行長が「かかれ」と号令をかけると、それぞれが自分たちの飛行機にわかれて乗っていきました。今でもその光景は忘れられません。夕焼けの中を南西の方向に向かって編隊で飛んで行きました。ほとんど帰ることができないのがわかっているのに。こんなことで果たして勝てるのかと思いながら送り出しました。
 
西村)自分が説明した天気の情報が人の命を奪うために使われて、その攻撃する兵士自身も死んでしまう......本当にやりきれない話ですね。
 
亘)天気予報は戦争と密接に関連していて、戦争の歴史の中で発達してきたところもあります。命を守るために使われることもあれば、命を奪うためにも使われる。命に直結する情報なのだと改めて思います。
 
西村)戦争中に天気予報が伝えられなくなっても、自然災害はありましたよね。
 
亘)1942年8月に山口県を襲った周防灘台風がありました。台風が上陸し、夜中に高潮が発生して、死者・行方不明者が1100人を超える大きな被害が出ました。このとき事前に被害が予想されていたのですが、天気の情報は一般の人に伝えられませんでした。増田さんによると、特例で1回だけ暴風警報が発表されたそうです。でも台風の位置、進路などの情報は出されなかった。それで多くの人が高潮にのみ込まれてしまったのです。
 
西村)恐ろしかったでしょうね。どれぐらいの台風がいつ来るかがわかっていたら備えることもできたし、救えた命もあった。
 
亘)守れたはずの命が守れなかったのです。1944年12月7日には昭和東南海地震が起こりました。亡くなった人は1200人を超える大きな被害でしたが、この被害情報も隠されました。
 
西村)なぜ隠されたのですか。
 
亘)日本が大きな被害を受けことが敵に知られるとまずいからです。1945年1月には三河地震が起こり、愛知県などで2300人が亡くなりましたが、この被害情報も隠されました。東海地方は軍事的にも非常に重要な拠点だったので、大きな被害があったことはオープンにしてはいけない情報だったのです。当時、日本が戦争で負け続けていることも隠されていました。とにかく正しい情報は隠される時代だったのです。この時代を振り返って、今どういうことを感じているのか増田さんに聞きました。
 
音声・増田さん)戦後、天気予報が復活したのは、1945年8月22日。最初に東京地方の天気予報が一般市民に伝えられました。わたしは戦争中もいろいろと感じることがありました。「今に神風が吹く。必ず勝つ」という標語がそこらじゅうに貼ってあった。何かにつけて「今に神風が吹く」と先生が生徒に教えていた。気象の専門家として、「神風なんか吹くはずがない」ということがわかっていっても、それを口に出すことができなかった。勇気がなかったと言えばそれまでですが、わかっていながらみんなに伝えることはできなかった。天気予報がなくなるということは本当に大変な事態です。全てが戦争状態になることを意味します。したがって、天気予報が生きているということは、平和な社会が存在しているということと同じ。天気予報は平和のシンボルだと思います。天気予報をなくす事態は絶対に起こしてはならない。
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西村)「天気予報は平和のシンボル」という増田さんの言葉が心に響きました。
増田さんは、戦争中に大切な気象の情報を伝えることができなかった反省から、戦後、平和のために様々な活動をされました。広島に原爆が落とされた後に降った「黒い雨」の裁判では、広島の現場を詳しく調査して、「国が認定した区域よりも広い範囲に黒い雨が降った」ということを証明しました。
増田さんの論文が、黒い雨で健康被害を受けたという原告の主張を支えたのです。
きょうは、戦争と平和と天気について、先日亡くなった気象学者の増田善信さんのインタビューをお届けしました。

第1505回「旅行や帰省先での災害に備える」
オンライン:東北大学 災害科学国際研究所 准教授 佐藤翔輔さん

西村)みなさんは夏休みにどこかお出かけする予定はありますか。もし、お出かけ先で災害が起きたらどうすれば良いのでしょうか。7月30日にロシア・カムチャツカ半島付近で地震が起こり、津波警報が出されたときは、和歌山県白浜町に観光に生きていた人たちが旅館などに一時避難しました。
きょうは、お盆シーズンの旅行や帰省先での備えについて、東北大学 災害科学国際研究所 准教授 佐藤翔輔さんにお話を伺います。
 
佐藤)よろしくお願いいたします。
 
西村)8月30日の津波警報での避難行動で課題を感じましたか。
 
佐藤)今回の津波は、専門用語で遠地津波といいます。震源から日本まで距離があったので冷静に避難できましたが、夏休みで多くの観光客が街に出ている状況でした。和歌山県では、たくさんの人が砂浜で海水浴を楽しんでいた中で津波避難警報が出たので、きちんと避難できるかが改めて課題になりました。
 
西村)佐藤さんは去年1月1日に起きた能登半島地震で、帰省や旅行中に地震や津波に巻き込まれた人たちに調査を行ったのこと。なぜこのような調査をしようと思ったのですか。
 
佐藤)1月1日は多くの人が自宅にいて、帰省や観光をする人が多い時期でした。わたしは新潟出身で、実家に着いた30分後に能登半島地震が起きました。実家がある新潟市内も大きな揺れに見舞われました。自分が実際に帰省中に地震が起きたことで、調査をしようと思いました。
 
西村)実家は大丈夫でしたか。みなさんケガはなかったですか。
 
佐藤)家は新耐震の建物でしたが30年以上も経っているのでギシギシと音がして、ヒヤッとしましたが、家族全員無事でした。
 
西村)よかったです。揺れたあとどのように行動しましたか。
 
佐藤)新潟県内は海に接した県。津波の浸水を予想しました。自宅のある場所は浸水想定範囲内ではないと知っていましたが、改めて確認するためにハザードマップをインターネットで見ようとしたんです。たくさんの人がアクセスしていたようで、サイトにつながりませんでした。災害時にはなかなか情報にアクセスすることができないと実感しました。
 
西村)やはり事前の備え、確認・準備は必要ですね。アンケートでは、実際に佐藤さんと同じように旅行や帰省先で災害に巻き込まれた人が多かったのでしょうか。
 
佐藤)今回、約1000人にアンケートをとりました。1000人のうち、51%が東京23区から石川・富山・新潟に訪れていました。26%は大阪からでした。1000人のうち37%は、実家や親戚の家にいた人。34%は旅行先の宿泊施設にいた人。冬休み期間に旅行をしていた人もたくさんいたようです。
 
西村)その人たちが被害に遭わなかったのか心配です。
 
佐藤)回答してくれた人たちには、大きな被害はなかったと思いますが、揺れたとき実家や宿泊施設が傾いた、潰れたという回答が1割もいました。1割の人が自分自身の命が危なかったという状況。いた場所に津波が来たかも聞いたのですが、全体の9%が、自分がいた場所が後に浸水したと回答。帰省や旅行先で危ない目にあった人がたくさんいたのです。元日で帰省を目的に移動していた人が多く、冬休み期間中ということもあり、観光地で被災した観光客が多かった。帰省や旅行で普段その場所にいない人がたくさん被災した災害でした。
 
西村)今までの災害とは大きく異なりますね。アンケートの結果では、みなさんどんなことに困っていたのですか。
 
佐藤)1番多かったのは、「建物の安全性がわからなかった」という回答。揺れた瞬間にいる建物の耐震性についての情報がなかったということです。普段住んでいる自分の家なら判断がつきますが、たまたまいた場所で建物の安全性の情報が全くないので困ったようです。2番目は、「身を守るための安全な避難場所がわからなかった」という回答。普段自分が生活している場所では、安全な避難場所について知っていると思いますが、帰省先、旅行先ではどこに避難すればいいのかわからない。3番目は、「地震から身を守るためのスペースがわからなかった」という回答。家や職場や学校なら、どこにテーブルがあるかわかっているので、さっと下に潜り込めると思います。しかし、実家や旅行先の宿泊施設には、どこに安全な空間があるかがすぐわからなかったということです。
 
西村)実家なら大きなテーブルがあるかもしれませんが、ホテルの部屋はどこに隠れたら良いのか迷います。お正月は家族みんなが集まっているので、全員の身を守ることができる場所を探すのは難しいかもしれません。
 
佐藤)上にから物が落ちてこない場所に行くことも大事。そのような場所を日頃から見つけておきましょう。
 
西村)避難しなかった人もいたのでしょうか。
 
佐藤)今回アンケートをとった1000人のうち避難した人は6割。安全のための行動をとらなかった4割の人は、「今いる場所が安全だと思った」「避難が面倒だった」とのことでしたが、一番深刻だったのは、「安全な避難場所がわからなかった」という理由が多かったこと。これは、旅行先、帰省先にいた人特有の理由です。普段の場所ならどこに避難すれば良いかがわかっている人でも、避難場所がわからなくて避難しなかった、もしくは避難できなかったということです。
 
西村)わたしの友人の話なのですが、友人は、当時、夫の実家がある七尾市に里帰りをしていたそう。揺れが起こった瞬間、夫は買い物に出ていてなかったそうです。安全に避難するにはどこに逃げたら良いのかわからなくてすごく困ったという話を聞きました。冷静に避難するためには、しっかりと避難場所を決めておかないといけないですね。
 
佐藤)帰省をしている人は、旅行者に比べて避難場所はわかるかと思ったのですが、そのような状況だった人も何人かいました。帰省先といえども、避難場所に困った人がたくさんいたことがわかりました。
 
西村)想定していない分、不安も大きくなりますね。
 
佐藤)やはり事前に備えていれば冷静に対応できると思いますが、思ってもいないことが起きると不安やパニックに陥ってしまうと思います。
 
西村)旅行や帰省をする前にどのように備えておけば良いのか教えてください。
 
佐藤)帰省・旅行先に想定されている災害を把握する。目的地のハザードマップを見て、災害が起きた場合の安全な避難場所を確認しましょう。帰省や旅行を楽しみにしているときに、調べることは難しいかもしれませんが、荷造りや移動途中のスキマ時間を使って、事前に確認することが大事。普段、自分の家で十分に備えをしている人でも「旅行先では困った」という人が多かったです。さらに、家族や旅行者を受け入れるも対策が必要です。今回、「揺れた瞬間にいる建物の安全性・耐震性がわからなかった」と多くの人が回答しました。十分な耐震性と身を守る場所を確保すること、避難生活が中長期的に発生することを想定して、備蓄を多くするなど、受け入れる側もさまざまな対策が必要になるのです。
 
西村)おじいちゃんやおばあちゃんにわたしたちから話してみるのも、大きな方法かもしれませんね。
 
佐藤)「今度帰るんだけど、家の耐震性大丈夫かな」と話してみてください。耐震補強の負担が生じますが、それをきっかけにサポートをすることも、大事な家族の命を守る行動になると思います。
 
西村)佐藤さん、どうもありがとうございました。

第1504回「和歌山県などに津波警報~そのとき、白浜の旅館では」
電話:紀州・白浜 温泉旅館「むさし」女将 沼田弘美さん

西村)7月30日午前8時25分頃、ロシア・カムチャツカ半島付近を震源とする地震がありました。地震の規模を示すマグニチュードは8.7。アメリカの地質調査所によると、8.8という非常に大きな地震でした。日本からは1000km以上離れたところで起こった地震ですが、北海道から和歌山県の太平洋沿岸部に津波警報が発表されました。岩手県の久慈港では1.3mの最大津波を観測。近畿でも和歌山県白浜町で40cmの津波が観測され、全国で200万人以上に避難指示が出されました。これはどんな地震津波だったのでしょうか。京都大学 防災研究所 教授の西村卓也さんのインタビューをお聞きください。
 
音声・西村教授)この地域は太平洋プレートという海のプレートが陸地の北米プレートの下に沈み込んでいる場所。マグニチュード8.8で非常に規模が大きい地震でした。東日本大震災とプレートの組み合わせやメカニズムが似た地震で、東日本大震災に近い規模の大きな揺れや津波が発生しました。
 
音声・記者)どうして日本に津波の影響が出たと考えられますか。
 
音声・西村教授)マグニチュードが非常に大きかったからです。アメリカの地質調査所の研究によると8.8という数字が出ています。マグニチュード9に近い地震は、超巨大地震と呼ばれています。地震が観測されるようになった100数十年の間で10回も起こっていない規模。その一つが東日本大震災です。このぐらいの規模になると、太平洋の周辺のどこで起こっても、太平洋全体に津波が広がります。東日本大震災のときも、日本だけではなく、対岸のアメリカにも津波が押し寄せて被害が出ました。1960年のチリ地震でも、日本に津波が来て大きな被害が出たことがあります。地震の規模がとにかく大きかったことが一番の原因です。
 
西村)この場所では、73年前の1952年にもマグニチュード9.0の地震が起こっていて、そのときも岩手県に最大1mの津波が来ました。今回の津波警報では、夏休みで旅行中の人、猛暑の中高台に長時間避難した人もいて大変だったと思います。この経験を近い将来起こると言われている南海トラフ地震など、未来の災害への備えにつなげていきましょう。
 
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西村)ここからは、津波警報が出たときの和歌山県白浜町の状況について、紀州・白浜温泉 旅館「むさし」女将の沼田弘美さんに話を聞きます。
 
沼田)よろしくお願いいたします。
 
西村)「むさし」は日本の夕陽百選の宿に選ばれるなど、美しい夕日を眺めることができる人気の温泉宿。白良浜がすぐそばにあるそうですね。
 
沼田)歩いて1分ほどで白良浜にお出かけできます。
 
西村)夏休みで、多くの人が宿泊していたのではないですか。
 
沼田)夏休みシーズンは、海水浴に来るお客さまが多いです。
 
西村)30日の朝はどんな状況でしたか。
 
沼田)注意報が出たときは、和歌山県で地震があったわけではなかったので、携帯のアラームが鳴ってもあわてることはありませんでした。しかし、10時前に警報に変わると、チェックアウト後、早めに帰宅準備をするお客さまが多かったです。
 
西村)お客さまはどの地方から来ていましたか。
 
沼田)白浜温泉は関西圏のお客さまが多い観光地。大阪や滋賀方面に帰るお客さまが多かったです。注意報・警報のアラームが何度か鳴り、海側を通ると危険なので、山側の高速道路を通るルートを案内しました。
 
西村)ルートの説明があると安心ですね。
 
沼田)海沿いは危険なので、できるだけ高台に逃げて帰宅することをおすすめしました。
 
西村)バスや電車を利用する人はどうしたのですか。
 
沼田)警報が出てから、チェックアウトをして、バス停で並んでいたお客さまもいました。「バス停で待っているけどバスが来ない」とカウンターに来られた人に、「警報で路線バスが止まったようです」と案内し、バス停に一緒に戻って、待っているお客さまに状況説明をしました。当館のお客さまには、一旦戻るように案内。向かい側のホテルも案内しました。
 
西村)ほかにはどんな対応をしましたか。
 
沼田)海外からのお客さまで、電車に乗って大阪や京都へ行く人もいましたが、電車も止まっていて、このままタクシーを待っていても来ない状況だったので、一旦「むさし」の大きな宴会場をおすすめしました。宿泊客以外の人にも、一旦わたしたちの建物で待機をすることをおすすめしました。
 
西村)「むさし」は何階建てですか。
 
沼田)建物が2つあって、タワーの建物は17階建て。4階から上はお客さまが利用するフロアです。1階はロビー、2階はレストラン、3階は社員が使う場所。4階の冷房完備の大きな宴会場で待機してもらいました。
 
西村)冷房も効いて高さもあると安心ですね。
 
沼田)部屋がないお客さまには、一旦荷物を持って、4階まで上がってもらいました。
 
西村)地震の揺れがない中で、安全な場所に避難をすすめるには、説明も必要ですよね。海外のみなさんはどんな反応でしたか。
 
沼田)英語が通じれば、簡単な英語とジェスチャーで伝えました。バス停で待つ人の中には、中国語やスペイン語など、英語が通じない人もいたので、携帯電話の多言語のツールで説明をしました。「津波」という言葉は知っているけど「津波がなぜここに来るの?」「揺れていないのに間違いじゃない?」という人もいました。携帯のアラームがたくさん鳴っていたので、アラームの画面や日本の地図を見せて「津波の予測があるので避難しませんか」と説明しました。
 
西村)今回は、地震が起こった場所がかなり遠かったにも関わらず、和歌山に津波警報が発表されました。説明も大変だったと思います。
 
沼田)日本の地図を見てもらって、視覚で訴えることも大事だと今回つくづく思いました。
 
西村)旅館として普段から災害の備えはしていますか。
 
沼田)当館は、部屋数が148あり、400~500人近くのお客さまの宿泊が可能です。レストランもあるので、常に3~4日分ぐらいの食材ストックがあります。お米は1週間分くらいはあるので、食料の備蓄については安心してもらえると思います。部屋に配るペットボトルの水のストックもたくさんあります。
 
西村)耐震工事はしていますか。
 
沼田)和歌山県は、2017~2019年に県や国の補助金で耐震工事を済ませています。当館も耐震工事をしているので、建物への避難を案内しました。
 
西村)宿泊客以外も受け入れたということですが、「むさし」は避難場所として指定されているのですか。
 
沼田)当館のような耐震工事をしている大型施設は、一時避難所として指定されています。津波到達予測時間が11時半ごろだったので、まずは一旦安全確保のために避難を最優先しました。
 
西村)去年のお盆に南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」が出ました。それを受けて、何か対策したことはありますか。
 
沼田)去年の8~9月に避難方法について冊子を用意。夏は海水浴に出かけるお客さまが多いので、海側の出入口に、和歌山県のハザードマップ、白浜・田辺エリアのハザードマップをラミネート加工して貼って注意喚起をしました。
 
西村)災害が起こった場合、建物が倒壊した場合の安全な避難経路を書いた地図を貼っているのですね。
 
沼田)地図だけではわかりにくい場合もあるので、目印の写真も載せています。
 
西村)言葉が通じなくても目で見てわかると、いろんな人も安心につながりますね。普段から旅館で避難訓練はしていますか。
 
沼田)年に2回、法定基準の消防訓練、火災訓練をしています。和歌山県は南海トラフ地震の影響があるエリアなので、地震津波を想定した訓練をしています。お客さま役のスタッフを当館のスタッフが15分以内に高台まで案内します。
 
西村)日頃の訓練があるからこそ迅速な誘導につながるのですね。今回の津波警報の対応で、「もっとこうすればよかった」と感じることはありましたか。
 
沼田)昨年、和歌山県で「和歌山県防災ナビ」というアプリが出されていたんです。多言語対応していて、避難場所が地図上に表記されている便利なアプリ。QRコードでダウンロードすれば、どこの国の人でも言語を選んで確認することができるので、これを海外の人に見せてあげればよかったな...と後で思いました。
 
西村)今のうちにダウンロードしておくと、旅先で役に立つときがあるかもしれません。このような備えは大切ですね。
 
沼田)わたしもこのアプリをダウンロードしているのですが、ほかのエリアに行ったとときも、熱中症のアラートなども鳴るのでとても便利です。
 
西村)わたしも早速ダウンロードしようと思います。沼田さんどうもありがとうございました。

第1503回「夏休みに取り組みたい 『ジュニア防災検定』」
オンライン:防災アナウンサー 奥村奈津美さん

西村)この夏休みを利用して防災を学ぶのもいいですね。
きょうは、「ジュニア防災検定」という子どもたちの防災検定について、防災アナウンサーの奥村奈津美さんにお話を伺います。
 
奥村)よろしくお願いいたします。
 
西村)「ジュニア防災検定」とはなんですか。
 
奥村)「防災教育推進協会」が実施する検定で、わたしも講師を務めています。東日本大震災の教訓を受け、「子どもたちが自分の命を自分で守れるようになってほしい」と作られました。子ども向けの「ジュニア防災検定」は、初級・中級・上級があり、受験対象は小学校4年生以上の小学生・中学生・高校生。毎年5000人ほどの子どもたちが挑戦しています。
 
西村)たくさんの子どもたちが挑戦しているのですね。
 
奥村)個人のほかに、学校の部活やクラブチームなどで受験する人もいます。
 
西村)どんな試験があるのですか。
 
奥村)暗記問題だけではなく、自由研究、家族会議レポートがあり、主体的に自分でテーマを決めて、実際に防災アクションをします。研究したり、レポートを作ったりして、自分で考えて行動することを大切にしている試験です。わたしは毎年、表彰式の司会を担当しているのですが、大変素晴らしい取り組みばかりで、いつも感心しています。
 
西村)これまでにどんな発表がありましたか。
 
奥村)昨年度の発表から紹介します。広島県の小学校4年生の男の子は、「家族防災訓練」というタイトルで発表してくれました。西日本豪雨当時は、まだ3歳で記憶にはないとのことでしたが、「再び西日本豪雨のような大雨が降ったら」という想定で、停電・断水している状況を家の中で作り、家族で実際に食事を作って食べたり、災害用のトイレを使ったりしました。さまざまな災害用トイレを使って比較検討し、音・匂い・価格・ゴミの量などを表にまとめ、どれが1番良いのかを新聞記事のようにまとめていて、本当に素晴らしい発表でした。「防災グッズはあるだけではダメ。みんなが使えるように訓練するのが大事」という最後のメッセージも素敵でした。
 
西村)新聞のように発表するのは、小学生ならではですね。
 
奥村)手書きで一生懸命作っていて。表もあって、すごくわかりやすかったです。そのほかにも、学校の防災部として受験して発表した中学生たちは、1年を通した活動について発表してくれました。地域の災害の歴史を学んだり、地域の防災訓練に参加して避難誘導したり。
 
西村)地域のどんな人と一緒に訓練したのでしょうか。
 
奥村)過去の歴史を学ぶ時は、歴史について知っている人、地域の防災訓練は、自治会の人々と活動したのだと思います。
 
西村)どんな感想がありましたか。
 
奥村)「もっとハイレベルな防災に取り組んでいきたい」という感想がありました。「より地域の人たちが助かるために貢献できることはないか」と、前向きに取り組んでいる姿が印象的でした。津波や能登の地震、これまでの災害を自分ごとに考えて取り組んでいると感じました。
 
西村)1つ目の家族防災訓練の発想について、どう思いましたか。
 
奥村)素晴らしいと思いました。学校で避難訓練はよくやると思いますが、家でも避難訓練をすることが大事。何か起きた時に初めてやるのはなかなか難しいものです。防災グッズも初めて使うとなると思うように使えないことも。事前に家族でやってみるのは、素晴らしい取り組みだと感じます。
 
西村)発表してくれた小学4年生は、西日本豪雨当時は3歳だったとのこと。ご家族は災害を経験しているのですね。
 
奥村)はい。大変怖い思いをしたのだと思います。自宅は被災しませんでしたが、地域が被災する中で、同じようなことが起きたら...と想定して、タイムラインを作っていました。
 
西村)それは、過去の災害を振り返って語り継ぐことにもつながりそう。
 
奥村)子どもたちが防災を学ぶと、地域に良い影響があります。家庭内で子どもが防災の自由研究をするとなら、備蓄や家具の転倒防止対策をするために家族の協力が必要です。そうすると、家全体の防災力が高まることになる。地域の災害について学ぶために、災害を知っている人に話を聞くことで、地域とのつながりができ、その情報が発表されることによって、未来に伝承することもできる。ある地域では、子どもたちが地域の災害の歴史を学んで、劇にして発表しました。実際にその地域で災害が起きたとき、子どもたちが劇のことを思い出して、「早く避難しよう!」と家族や地域の人に呼びかけて助かったという事例もあります。子どもたちが主体的に学ぶ中で、地域とのつながりができ、防災が見直され、未来へ伝承することにもつながる。子どもたちは"防災ヒーロー"だと思います。そんなきっかけづくりがこの「ジュニア防災検定」でもできたらと思っています。
 
西村)この自由研究は夏休みに実施されるのでしょうか。
 
奥村)防災検定は、年間を通して定期的に開催されています。まとまって受験する場合は、定期開催ではない機会に受けることも可能。詳しくは「防災教育推進協会」のホームページから問い合わせてください。大人用の防災検定もあるので、これを機に親子で挑戦するのもいいですね。大人用の防災検定は、1級になると、指導者ぐらいのレベル・スキルが求められます。小論文や面接もあります。学校の先生や企業の防災担当など防災に関わっているみなさんにぜひ挑戦してもらいたいです。
 
西村)子どもと一緒に防災を学ぶ意義や意味について、どう思いますか。
 
奥村)子どもが1人でいる時に災害が起きることもあります。家や学校ではない場所や、1人で留守番している時に災害が起きてしまうことも。1人1人が自分の命を自分で守れるように知識や判断力を身につけておくことが大事。受け身ではなく、自ら率先して調べながら、自分の興味のあるところから防災を学べば、興味がつながっていきます。以前、お城好きの女の子が「熊本城の防災力」というタイトルで発表しました。その子は歴史が好きで、防災にも関心を持つようになったそう。熊本城は、畳や壁が食べられるもので作られているそうなんです。
 
西村)どういうことですか!?
 
奥村)畳がサツマイモの茎でできていたり、土壁にかんぴょうが練り込まれていたり。わたしも知りませんでした。その子は、熊本城の歴史について調べている内に、防災や備蓄につながることに気づき発表してくれたんです。
 
西村)子どもならではの視点ですね。
 
奥村)昔は天守の中にも井戸があったそう。城内には約120の井戸があり、水も確保できていたそうです。その子は歴史がきっかけで、防災につながったのですが、逆に防災から林業に興味を持ち、森林を管理する仕事に興味を持つ人もいて。そんな風に将来の夢にもつながります。子どもが興味のあるところから防災を学んでいくと、楽しみながら自宅の備えをアップデートできて、防災力もつく。地域の防災力にもつながるし、本当に可能性を感じてます。
 
西村)家族の防災をテーマにした奥村さんの新しい本が発売されました。
 
奥村)ありがとうございます。6月に『大切な家族を守る「おうち防災」』という本を出版いたしました。
 
西村)どんな内容ですか。
 
奥村)地震、水害、原子力災害、地球温暖化対策まで、家族でできることを1冊にまとめた本です。防災は、家族構成によって必要な備えが変わります。妊娠中の場合、赤ちゃんがいる場合、障害がある人が家族にいる場合は、それぞれの分野の専門家の先生に必要な備えをインタビューしています。書籍の印税は、能登の子どもたちに防災授業を届けるため使われます。自身の備えを見直すことで、能登の子どもたちにもエールを送ってもらえたらうれしいです。
 
西村)能登の子どもたちにつながるとは、素敵な活動ですね。
 
奥村)ありがとうございます。能登の支援は発災直後からずっと続けています。人口減少の影響もあり、能登の学校から、子どもたち人数が減って予算が減り、講師を呼ぶことが難しいと相談を受けました。ほかにも多くの学校が、子どもに防災について伝えたくてもできない状況です。今は授業を希望する学校を募っている段階ですが、10月以降、いろいろな学校で防災授業ができたらと思っています。
 
西村)きょうは、ジュニア防災検定について、防災アナウンサーの奥村奈津美さんにお話を伺いました。

第1502回「ゼッタイに楽しめない茶道体験」
ゲスト:大阪市港区まちづくりセンター 防災アドバイザー 多田裕亮さん

西村)きょうのテーマは、「ゼッタイに楽しめない茶道体験」です。先月、大阪市港区で開かれたこのイベントに番組ディレクターが取材に行ってきました。
きょうは、「ゼッタイに楽しめない茶道体験」を企画したスタッフのひとりで、大阪市港区まちづくりセンターの防災アドバイザー 多田裕亮さんにスタジオにお越しいただきました。
 
多田)よろしくお願いいたします。
 
西村)「ゼッタイに楽しめない茶道体験」とはどんなイベントですか。
 
多田)地震を体験できる起震車の中で、茶道と震度7の揺れを体験できるイベントです。
 
西村)起震車の中で茶道体験をするのですか。
 
多田)今、大阪市・港区は、外国人観光客が増えています。地震のない国から観光に来ている人もたくさんいます。インバウンドには体験型の観光が流行っていて、茶道体験は興味をもたれているので、茶道をしながら、地震の揺れも体験することで、防災意識をもってもらおうとイベントを開催しました。
 
西村)震度7はかなり大きいですね。
 
多田)震度7は日本人でも体験したことがない人が多いと思います。
 
西村)わたしも起震車で震度6の揺れを体験したことがあるのですが、かなり揺れて怖い思いをしました。「ゼッタイに楽しめない茶道体験」の起震車の中は、どうなっているのですか。
 
多田)起震車の中に和室を再現しています。畳を敷いて掛け軸をかけています。
 
西村)本格的!つかまるところはあるのですか。
 
多田)つかまるところはありません。
 
西村)畳の部屋で震度7の揺れが起こるのですね。お抹茶を飲んで、お菓子を食べている最中に震度7の揺れがくるのですか。
 
多田)それができたら面白いのですが、火傷の危険もあるので、茶道体験が終わった直後に揺れるようにしています。外国人や地域の人に体験してもらったのですが、起震車に乗ったことがない人ばかりでした。
 
西村)日本人ですら、防災イベントに行かなければ、起震車を見る機会もないですよね。「ゼッタイに楽しめない茶道体験」をしたアメリカ人のローズさん(22)に感想を聞くことができました。
 
音声・ディレクター)今まで地震を経験したことがありますか。
 
音声・ローズさん)小さい地震を経験したことはあるけど、こんなに大きな地震は初めてです。
 
音声・ディレクター)震度7を体験していかがでしたか。
 
音声・ローズさん)こんな大きな地震を体験したことはありません。テーブルの上のグラスが揺れて、テーブルや椅子が動くぐらいだと思っていました。実際は物が落ちるほど揺れるということを今回知ることができて、地震のイメージが変わりました。
 
音声・ディレクター)日本は地震の多い国なのですが、何か地震に対する備えはしていますか。
 
音声・ローズさん)どのように準備すれば良いのかよくわかりません。避難経路は調べた方がいいと思います。旅行中に地震が起きることもあるので、今回のように地震を実際に体感できるのはとても良いことだと思います。
 
西村)初めて大きな揺れを体験して、イメージが変わったのですね。ほかの参加者はどんな反応でしたか。
 
多田)外国人のほかにも地元の子どもたちにも体験してもらいました。これまで大阪の最大の地震は、大阪北部地震の震度6弱。港区は震度5弱。日本人でも震度7を経験していない人が多いです。子どもたちは座布団を頭にかぶったり、畳に突っ伏したりして、体験してくれていました。このイベントをきっかけに防災意識を高めてほしいです。
 
西村)阪神・淡路大震災のときは、これぐらいの大きな揺れが起こったのだな...と感じることもできますね。外国人は帰国後に防災体験を伝えることもできそう。なぜこのような地震の体験会を開催しようと思ったのですか。
 
多田)このイベントが行われた大阪市港区では、1年前から事業所や行政、個人が連携して外国人観光客のための防災啓発活動として、「おもてなし防災」というプロジェクトを立ち上げています。港区は津波浸水の危険がある地域。南海トラフ巨大地震が発生すると、最短1時間50分で津波が港区に到達し始めると言われています。港区は防災訓練や学習会を続けていますが、外から来る人に啓発する機会がありませんでした。特にインバウンドに防災意識を持ってほしい。「ゼッタイに楽しめない茶道体験」イベントもその一環で行っています。
 
西村)「おもてなし防災」は、ほかにどのような取り組みをしているのですか。
 
多田)イベントで啓発することもありますが、主に公式ウェブサイトに情報をのせています。「おもてなし防災」と検索してみてください。
 
西村)今パソコンで検索してみます。黄緑色のおしゃれなホームページが出てきました!
 
多田)英語版の避難誘導ポスターや啓発ポスターなど、さまざまな防災啓発ポスターやチラシがあります。無料でダウンロードできます。
 
西村)大阪市港区の災害啓発ポスターには、「ここに114分以内に津波がきます。丈夫な建物の3階以上に、にげてください」と英語や日本語、ほか地域の言語でも書かれていますね。
 
多田)中国、韓国、ベトナムなどの言語にも対応しています。
 
西村)全国版のポスターは、津波の高さを書く部分が空白になっているので、自分たちの地域の情報を入れることができるんですね。
 
多田)地域によって津波の到達時間や被害も変わるので、空欄にして、自由に書き込んでもらえるようにしています。
 
西村)ほかにも飲食店向けのマニュアルやポスターを印刷して貼ることができます。
 
多田)自由にダウンロード・印刷して活用してもらえるように呼びかけています。XなどのSNSで、防災や減災、インバウンド向けの防災の情報を発信しています。
 
西村)「おもてなし防災」で検索してみてください。「ゼッタイに楽しめない茶道体験」を現場で見守っていた大阪市港区の山口照美区長にも話を聞くことができました。
 
音声・ディレクター)地震を知らない訪日外国人に防災を伝えるのは、難しいと思うのですが。
 
音声・山口区長)今回は、体験型イベントで実際に地震を体験してもらいましたが、地面が揺れる経験に対して次の行動を起こしてほしい。言語で伝える、ホテルや民泊飲食店で備えるなどあらゆる手を使おうと思っています。ただ、あまり怖がせると、旅行先に選んでもらえない。備えへの意識をうまく広げられたら。「おもてなし防災」は、外国人を守ることを前提としていますが、日本に住んでいるみなさんの命を守ることが一番大事です。自分の命、大事な人の命を守る準備をした上で、余裕があったら、周りの困っている人に協力してください。
 
西村)「おもてなし防災」は、外国人観光客だけに向けたものではないんですね。
 
多田)区長の話にもあった通り、まず日本人がほかの人に安全な場所を説明できるぐらい詳しくなってほしい。まずは被害を一番先に受ける自分たちが、正しい避難場所や防災対策をした上で、余裕があったら近くにいる人にも伝えて一緒に避難してほしい。そのような住民を増やすことが目的です。
 
西村)わたしたちが詳しくなれば、外国人観光客はもちろん、地域に住んでいる外国人、日本語が得意ではない外国人にも伝えることができます。みんなの命を救うお手伝いができるんですね。
 
多田)わたしもポスターを活用しています。隣にスリランカの人が住み始めたとき、「おもてなし防災」のチラシを持っていって「ここは津波の危険がある場所です。いざというときは、すぐそばにある学校に避難してください」と話したら、それがきっかけで仲良くなりました。おすそわけをくれたことも(笑)。多文化交流が始まっています!
 
西村)声をかけたことで、安心・信頼できる関係が生まれるのですね。
 
多田)防災は、誰しも逃れられないもの。ゴミ出しなどいろいろな地域のルールがあると思いますが、まずは防災。近所に外国人が住むのは当たり前になってきましたし。
 
西村)「おもてなし防災」の今後に向けて課題は。
 
多田)どのように継続していくかだと思います。「ゼッタイに楽しめない茶道体験」は地元のイベントの協力があってできたもの。今は万博期間中でインバウンドが増えていますが、閉幕後もインバウンドが減ることはないと思うので続けていけたら。
 
西村)どんなことをしていきたいですか。
 
多田)「ゼッタイ楽しめない茶道体験」が好評だったので、啓発を続けていくためにも、「おもてなし防災」プロジェクトパートナーを募集しています。我々だけでは、資金面も活動機会も作ることが難しいので、企業や団体、個人でもイベント企画などで協力できるパートナーを募集しています。WEBサイト見て、「おもてなし防災」PR事務局にご連絡をいただけたらと思います。
 
西村)今後も「おもてなし防災」の輪がどんどん広がっていくと良いですね。多田さんどうもありがとうございました。

第1501回「トカラ列島群発地震」
オンライン:京都大学防災研究所 教授 西村卓也さん

西村)鹿児島県のトカラ列島近海で、この3週間地震が続いています。十島村では6月21日以降、これまでに震度1以上の地震を1700回以上観測しました。7月3日には最大震度6弱の揺れを観測し、多くの住民が島の外へフェリーで避難しました。現在、悪石島と小宝島から64人が鹿児島市などに避難しています。一時的に島を離れて避難を決めた人の話、避難が難しい人の話をお聞きください。
 
音声・住人1)横揺れや下から上からドーンと来ました。いつどうなるか不安だったから鹿児島に行きます。行きたくても行けない人のことを思うと不安もあります。
 
音声・住人2)息子がまだ低学年なので避難してホっとしています。
 
音声・住人3)ずっと地震が続いて不安で。大きいのが来るのかと思うと不安。まだ島に残っている人たちのことを考えたら...。早く収まってほしいです。
 
音声・住人4)うちは牛を飼っていて簡単には避難できないので残ることにしました。長く続くなら、奥さんと子どもたちだけでも避難させることも考えています。

 
西村)大きな不安が続いて、みなさんの体調が心配です。地震の回数は多いときは1日に180回以上も観測されていたのですが、ここ数日はかなり回数が減ってきています。十島村の久保源一郎村長は、一定期間、震度4以上の地震がなければ住民が島に帰れるよう準備を進めることを明らかにしました。
 
音声・村長)震度4以上の地震が5日間以上発生しなかった場合、帰島する意向の有無を確認することとしました。帰島に向けての準備を進めます。
  
西村)この群発地震、早く収まってほしいと願うばかりです。ここからは、地震のメカニズムに詳しい京都大学防災研究所 教授 西村卓也さんに聞きます。
  
西村教授)よろしくお願いいたします。
  
西村)今回のトカラ列島近海での群発地震の要因はなんですか。
 
西村教授)トカラ列島近海では過去に何度も群発地震がありました。今回は、1995年以降の観測記録が残っている中で、最大規模の地震が起こっています。地震の回数も過去に比べるとかなり多いです。トカラ列島は陸のプレートの下に海のプレートが沈み込んでいる場所。今回の地震は、ユーラシアプレートの比較的浅いところで起こっています。この辺りには活断層や火山がたくさんあります。火山のマグマ活動も関連して断層を動かしていることが、小さな地震がたくさん起きている原因ではないかと考えています。
 
西村)マグマの活動が関連しているのですね。
 
西村教授)トカラ列島の島々には火山が多く、悪石島や小宝島の周辺には海底火山もあります。活断層による地震を頻繁に起こさせる原因となっているのが、マグマの活動ではないかと考えています。
 
西村)ほかに、一般的な地震と異なる点はありますか。
 
西村教授)普通の地震活動では、最初に大きな本震が来てその後に小さな余震が続きます。そして時間とともに数が減っていく。しかし、トカラ列島の地震活動は群発地震と呼ばれる地震で、必ずしも明確に大きい地震があるわけではありません。同じような規模の地震が何回も続くのが特徴です。
 
西村)住民からは、「ずっと地震が続くのが不安」「大きい地震が来ると思うと不安」という話がありました。
 
西村教授)過去の例では、約2~3ヶ月続いた事例も。ここ数日間は地震活動も低下してきたので、このまま落ち着いてほしいですね。
 
西村)群発地震はなぜ長い間続くのですか。
 
西村教授)地下10kmぐらいのところに"マグマだまり"という、マグマが大量にたまっている場所があり、そこからマグマが浅い方向に移動します。移動している間は地震が継続して起こります。マグマが海底まで達すると海底から噴火することも考えられますが、マグマはほとんど途中で冷え固まってしまうので、それ以上マグマが移動することはありません。そうすると、群発地震も収まります。
 
西村)今後、大きな地震や津波が起こる可能性はありますか。
 
西村教授)現状、マグニチュード5程度の地震が起こっています。この規模なら津波の原因となる海底変動は生じませんので、津波が起こる可能性は低いです。ただ、これが周囲の大きな断層を刺激し、大きい地震につながることも。地震の揺れに伴った海底の地滑りや大規模な土砂崩れが海に流れ込むと、津波の危険性が高まります。
 
西村)今起こっている地震は、マグニチュード5程度なのですね。
 
西村教授)はい。現状では、津波を起こす規模ではありません。
 
西村)震度6弱の大きな揺れもありましたが、それもマグニチュード5クラスですか。
 
西村教授)震源と人が住んでいる島が近いため、震度が大きくなっていますが、地震の規模としてはそこまで大きな地震ではありません。
 
西村)鹿児島県では新燃岳が噴火しました。何か関連はあるのでしょうか。
 
西村教授)新燃岳の噴火も地下のマグマの移動が原因ですが、新燃岳とトカラ列島は約300km離れています。関連性はあまりなく、それぞれが同じような時期に活動が活発化したというふうに考えられます。
 
西村)トカラ列島では、諏訪之瀬島で噴火があり、震度3の揺れが5回ありました。これについてはいかがですか。
 
西村教授)こちらも地震が今起こっているところから約50km離れています。諏訪之瀬島は、普段から頻繁に噴火しています。今回の地震の影響を受けて噴火したのではなく、独立した現象ではないかと考えています。
 
西村)同じ時期にいろいろなところで、噴火したり地震が起こったりすると不安になります。
 
西村教授)日本列島は地震や火山が多い場所。ある時期に活動が集中することもありますが、お互いに因果関係があるわけではありません。日本列島で普段から起きている活動がたまたま集中してしまっただけと考えて、それほど心配せずに、普段から地震や火山の噴火に対する備えを強めるきっかけにしてもらえたら。
 
西村)気温が暑くなる夏に噴火しやすいということはありますか。
 
西村教授)気温は、噴火には関係しないというふうに言われています。ただ、季節と地震の発生の関係についての研究もされています。まだまだ研究段階で調べている段階です。
 
西村)トカラ列島の外に避難している住民がいます。早く日常生活に戻りたいという話も。十島村の久保源一郎村長によると、震度4以上の地震が5日間以上発生しなかった場合、島に帰ることができるとのことです。
 
西村教授)大きな地震が5日以上発生しなければ、地震活動が収束したと判断するのは妥当だと思います。原因の一つであるマグマ活動については、マグマは、1度冷え固まってしまうとそれ以上地震を起こすことはなくなります。過去の事例でも、1週間~1ヶ月で固まって止まってしまうことが多いです。
 
西村)どれぐらいの期間、注意が必要なのでしょうか。
 
西村教授)過去のトカラ列島の活動を見てみると、一旦落ち着いたように見えても、1~2ヶ月の間にぶり返すことがあったので、今後もその可能性は十分あると思います。ただ、活動的な期間は1~2週間に集中することが多いので、一旦地震活動が下火になれば、しばらくの間は地震活動に注意しながら通常の生活を続けられると思います。今回のようなことが起こりやすい地域であると認識して、今後も群発地震が発生する可能性があることを知ってほしいです。
 
西村)今回の地震が南海トラフ巨大地震を誘発する可能性はありますか。
  
西村教授)心配要りません。今回の地震の規模や南海トラフ地震の震源域までの距離を考えると、今回の地震が南海トラフ地震に何らかの影響を与えることは考えにくい。ただ、南海トラフ地震は、今後30年間に80%の確率で発生すると言われているので、十分に備えをしてください。
 
西村)改めてどんな備えが必要でしょうか。
 
西村教授)まずは身の回りの家具の固定、簡易トイレ・食料・水の備蓄など。連絡が取れなくなった場合、どのように集まるのか家族で確認しておくということも必要です。
 
西村)夏休みに、家族や友人と改めて備えについて確認しましょう。
きょうは、京都大学防災研究所 西村卓也さんにお話を伺いました。

第1500回「番組1500回~災害時に頼れるラジオとなるために~」
ゲスト:元番組プロデューサー 毎日放送報道情報局 大牟田智佐子さん

西村)1995年に発生した阪神・淡路大震災をきっかけにスタートしたこの番組は、1500回目を迎えることができました。災害報道と防災に特化した番組が30年にわたって続いているのは、全国的にみても例のないことです。リスナーのみなさん、番組にご協力いただいている災害・防災関連の研究者の方々、被災地から声を届けてくださっているみなさまのおかげです。長い間、番組を支えていただき、ありがとうございます。
きょうは、"災害時に頼れるラジオ"となるためにはどうしたら良いのか。1998年から12年間、この番組のプロデューサーをしていた毎日放送 報道情報局の大牟田智佐子さんと考えます。
 
大牟田)よろしくお願いいたします。
 
西村)大牟田さんは番組を離れてからも防災関連の取材や発信を続け、兵庫県立大学大学院で災害時のラジオの役割について研究し博士号も取得。その原動力は?
 
大牟田)2つあります。ひとつは"ラジオが作り出す温かいコミュニティの魅力"。わたしとラジオの縁は1980年頃までさかのぼります。当時はAMラジオの深夜放送のとある人気番組を聞かないと翌日のクラスの話題についていけない...という中学生時代を送っていました。友人に誘われてパーソナリティに差し入れを渡しに行ったことも。テレビに出ている有名な人がラジオだと身近になりました。ラジオで呼びかけると、リスナーがそれに答えて集まったり、行動を起こしたりすることを実感しました。その次の縁は、この毎日放送に入社したとき。最初に配属されたのはラジオ局でした。そこで番組ディレクターをしたり、人気番組「ヤングタウン」のハガキ選びを手伝ったり、ベテランのラジオディレクターが常連さんと接する姿を見たり。制作者側から見ても、ラジオの作り手とリスナーの距離が近く、ほんわかするコミュニティがあることを実感しました。
ふたつ目は、"災害や防災を伝える手段としてのラジオの可能性"。これは「ネットワーク1・17」を担当していたときに気づきました。この番組を担当する前はテレビの報道で災害担当記者をしていたので、余計にテレビとラジオの違いを感じました。テレビは、映像の力で地震のメカニズムを解説して防災を呼びかけるのですが、ラジオでは映像やCGは使えません。対話形式で伝えることになります。ひとりひとりの生活に密着して防災を考える。被災者が直接自分の言葉で語り、大切な家族を亡くした人が亡くなった家族のこと、自分の人生がその日を境にどう変わってしまったかを語って、それを聞くパーソナリティやわたしたち制作者が涙を流す...といった体験をして。リスナーさんからも「災害に対する考え方が変わってきました」「自治会で防災担当に手を挙げました」というお便りをいただくようになりました。ひとりひとりの声や物語を伝えることによって、聞いている人の行動が変容する手応えを感じたんです。

 
西村)放送開始当時、「ネットワーク1・17」は、どんな番組だったのでしょうか。
 
大牟田)この番組は阪神・淡路大震災が起きた3ヶ月後の1995年の4月15日にスタートしました。当時のスタッフ・出演者全員が被災者で、"被災者による被災者のための番組"として始まったのです。土曜日夕方45分間の生放送でした。その時間帯になるとスタジオの窓から夕日が見えて、ゆったりと時間が流れていたことを覚えています。生放送中にリスナーさんからFAXやメールがきて、最後のコーナーでそれを紹介すると、ゲストがその質問に答えてくれて。放送中にも地震の速報を入れていました。毎回慌ただしかったのですが、スタジオの中とリスナーさんがつながっている感覚がありましたね。
 
西村)そんな中で、番組打ち切りの危機もありましたか。
 
大牟田)ありました。一番それを感じたのが震災の5年後2000年頃。この年に仮設住宅が全て解消したんです。そのニュースを受け、「この番組は役割を終えた」という声がラジオ局の内部からも上がってきて。番組を存続させるためにいろんなことを考えました。まずはスポンサーを探しました。でもなかなか中立の立場のスポンサーが見つかりませんでした。次に聴取率を上げるために著名なゲストを呼ぶことに。キダ・タローさんなど震災で大切な人を亡くした経験のある著名人に番組に出ていただきました。さらに賞に出品し、社会的な評価を高めようと考えました。結果的に、「防災まちづくり大賞(総務大臣賞)」の受賞がひとつのターニングポイントに。また、トルコ、台湾、新潟など大きな地震が国の内外で続いたことが大きな契機になりました。次への備えがまだまだ必要だと認識されたことで番組が継続されました。
 
西村)今年で番組開始から30年が経ちました。きょう、1500回目を迎えた今の気持ちを聞かせてください。
 
大牟田)おめでとうございます。みなさん、ありがとうございます。一口に1500回といってもなかなかできることではないと思います。災害や防災だけをテーマにした番組が1500回を迎えたことはすごいことだと思います。まず、この番組を作ろうとした当時の関係者に先見の明があった。番組のタイトルは「1月17日に生まれたつながりを大切にしよう」という思いでつけられたものです。その名の通り、パーソナリティも制作に携わるスタッフも、何代にもわたってバトンをつなぎながら今に至っています。番組が好調だったときも、なくなりそうになったときも、出演者スタッフが頑張って、番組を応援し支えてくださるゲストやリスナーのみなさんがいたからこそ、今があって、西村愛さんもそのバトンを受け取ってここにいるのだと思います。
 
西村)改めてこのバトンを受け取って、ここにいることに感謝です。今年は、ラジオ放送の開始から100年になります。災害におけるラジオの意義は何だと思いますか。
 
大牟田)日本でラジオが始まったのは1925年。1923年に発生した関東大震災がきっかけです。ラジオは、停電になっても電池と受信機があれば聞くことができます。ただ、災害時は情報だけが求められているのではないと思っています。阪神・淡路大震災のときは、「いつもの声が聞こえてほっとした」というお便りをいただきました。東日本大震災では、「ラジオに物心両面で救われた」「ラジオがなかったら精神的にどうなっていたかわからない」という声が被災地から寄せられました。熊本地震のあとも、「災害直後は情報を求めてラジオ聞いていたが、ひと月以上経ってみると人の声のぬくもりを求めて聞いているような気がする」という感想が寄せられました。正確な情報を届けることに加えて、被災者に直接語りかけることができるメディアとして、災害におけるラジオの意義は大きいと思います。
 
西村)被災地では、大変な思いをしていても自分の困り事はなかなか口にできないという人も。心と心がつながっているっていう実感を与えられるのは、すごくうれしいし、大切なことですね。この番組もそういうラジオでありたいです。防災のレギュラー番組で、災害・防災を伝える番組の役割は、どこにあると思いますか。
 
大牟田)5つあります。ひとつめは、日常に防災を自然に根付かせる役割。防災の世界でも、"フェーズフリー"という考え方が浸透してきています。フェーズフリー(日常と災害に境目を作らない)とは、特別な防災グッズを用意するのではなく、「普段使いのものを活用する」「災害時のことを考えて普段の仕組み作りをする」という考え方のことです。「ネットワーク1・17」もフェーズフリーを伝える役割があると思います。ふたつ目は災害が起きた後の"いつもの声"となるということ。「いつもの声が聞こえてほっとした」と言ってもらうには、普段から慣れ親しんもらうことが大事。3つ目は日常から専門家と連携することによって、正確で深い内容を届ける役割。専門家や被災者を支援する団体と日頃から信頼関係を結ぶことが大事です。大きな災害のニュースになってから慌てて出演していただくのではなく、日頃から信頼関係を結んでいると、相手も番組への不安を抱かなくて済みます。日頃から専門家の見解を直接言葉で伝えてもらうことによって、リスナーも自然と理解が深まっていくと思います。
 
西村)それを日々の話題として家族や近所の人と話してほしいですね。そんなふうに広がっていく番組になるようにしていきたいです。
 
大牟田)4つ目は、被災地に埋もれていた問題やあまり注目されない問題を取り上げる役割。この番組でいち早く取り上げた震災障がい者の問題もその一つ。これは、ひとりのつぶやきを拾い上げて、支援をしている側の声を番組で拾うことから始まりました。大きなニュースになる前に伝えていくことが大事です。5つ目は、直後には答えが出ない災害後の問題を長期的な視点で検証する役割。1年や2年で答えが出せない町作りの問題などを何度も取り上げて、時期に応じて検証することができます。
 
西村)長期的な視点で語り合って、検証するとによって、これからの防災や街作りにも生かしていくことができます。災害時に頼れるラジオとなるために、放送2000回に向けて、要望や提言がありましたらお願いします。
 
大牟田)できる限り番組を継続してほしいです。ジャンルは違いますが、長崎には、被爆者の証言を伝える短い番組を1968年から放送し続けているラジオ局があります。今年で57年になるということです。この番組もまだ頑張れると思います。今は、ラジオの聞かれ方が2通りに分かれています。それぞれの聞かれ方で頼れるラジオになって欲しい。以前は時計代わりにつけっぱなしで聞くというスタイルが一般的でした。
 
西村)わたしも学生時代、そんな聞き方をしていました。
 
大牟田)「この時間になったらおなじみのこの声が聞こえてくる」というふうに、親しみを持って聞いてもらえるようになってほしい。もうひとつは、radikoなどで、好きな時間に好きな番組を選んで聞くスタイルが浸透しています。それはメリットになることも。この番組もradikoだけでなく、ポッドキャストやYouTubeにアーカイブが保存されています。さらに放送内容の書き起こしを活用すれば、防災ハンドブックのような役割を果たすこともできます。研究者と連携して、資料として残していくこともできると思います。
 
西村)改めて、30年続いてきた番組のバトンを受け取っている今、ひとりでも多くの人が命を守ることができるように、番組を一緒に作ってきてくださったみなさんの思いを、これからの防災へとつないでいきたいなと思います。

第1499回「大雨への備え~ハザードマップの見方」
オンライン:備え・防災アドバイザー ソナエルワークス代表 高荷智也さん

西村)各地で大雨が相次いでいます。きょうは、災害への備えとして大切なハザードマップの見方について、備え・防災アドバイザーで、ソナエルワークス代表 高荷智也さんに聞きます。
 
高荷)よろしくお願いいたします。
 
西村)ハザードマップを見るには、まず何から始めたら良いですか。
 
高荷)おすすめしたい地図が2つあります。ひとつは自治体が作っているハザードマップ。紙で印刷をされたものが各家庭に配られていると思います。自分が住んでいる町の紙のハザードマップを見てみてください。
 
西村)ハザードマップが家にない人はどうしたら良いですか。
 
高荷)スマートフォンやパソコンが使えるなら、「〇〇市 ハザードマップ」と自分が住んでいる町を入力して検索してください。市役所・区役所・町役場などのホームページにデジタルのハザードマップがあります。画像やPDFで紙のハザードマップと同じものを見ることができますよ。
 
西村)紙とデジタルならどちらのハザードマップがオススメですか。
 
高荷)自治体が作っているハザードマップなら紙もデジタルも中身は同じ。見やすい方で大丈夫です。スマホの画面が小さくて見づらい場合は紙がオススメ。紙のハザードマップが家にない場合は、町の役場の防災課・危機管理課などの窓口に行くと無料でもらえます。
 
西村)なぜ紙の方がオススメなのですか。
 
高荷)紙の方が広い範囲が載っているので地図として見やすいです。災害時にハザードマップを確認したいとき、停電が起こるとパソコンやインターネットが使えないことも。今はデジタル化の世の中ですが、確実に見られる媒体は紙だと思います。
 
西村)紙のハザードマップを見やすい場所に貼ると良さそう。どこに貼るのが良いですか。
 
高荷)家の中の見やすいところに貼っておきましょう。普段から目に入るので防災意識が高まります。リビングでも廊下でもトイレでも良いと思います。もうひとつ、国が作っているハザードマップもあります。これはスマートフォンやパソコンから見ることができるデジタル専用の地図。スマホやパソコンを使えるならぜひ覚えてください。「重ねるハザードマップ」という地図です。
 
西村)今、パソコンが目の前にあるので、検索してみますね。みなさん一緒に検索しましょう。
 
高荷)普段インターネットを見ている画面から「重ねるハザードマップ」と入力をしてください。地図が画面に出てきます。「重ねるハザードマップ」は、国土交通省が運営しているものなので、大きな利点があります。自治体が作っているハザードマップは、その町の情報しか載っていませんよね。災害や避難場所の情報は隣町のものは載っていません。「隣町の職場や学校に通っている」「隣町のスーパーで買い物をしている」などという場合は、自分の町のハザードマップだけでは情報が足りないことがあります。その点、「重ねるハザードマップ」は国の地図なので、日本中、北海道から沖縄まで同じ地図上で、災害や避難場所の情報を見ることができるのです。
 
西村)出張や旅行に行くときも、あらかじめ調べておくことができますね。
 
高荷)初めて出かける場所に行くときには、「重ねるハザードマップ」を見て、自分が行く駅、泊まるホテルや観光地にどのような災害リスクがあるのか確認してください。わたしは全国に講演会などで出張していますが、初めての駅やホテルに着いたら、まず「重ねるハザードマップ」を開いて確認しています。「今日泊まるホテルは、津波は来ないから、地震が来たらその場にとどまろう」という風に。慣れれば10秒でチェックできますので、ぜひ使ってみてください。
 
西村)今、「重ねるハザードマップ」の画面を開いています。
 
高荷)画面の左上にボタンがいくつかあると思います。「重ねるハザードマップ」の中には、洪水・高潮・土砂災害・津波の4種類のハザード情報をオン・オフしながら"重ねて"表示させることができます。自分が見たい情報のボタンを押すと重ねて表示されます。災害が多い地域は全部押すと、たくさん色がついてわかりにくくなるので、その場合は、ボタンをひとつずつオン・オフしてください。これでまず自宅周りにどのようなリスクがあるのをチェックしてください。
 
西村)一番上の検索窓に住所を入力すると付近の情報が表示されます。MBSラジオがある「大阪市北区茶屋町17-1」を入力してみます。出てきました!洪水・高潮・土砂災害といろいろありますが、洪水を見てみると、MBSラジオがある茶屋町は、3~5m浸水するエリアだそう。桃色になっています。2階部分まで浸水するようです。しかし、高潮になると一段階上の赤色になっていますね。5~10mで、2階の屋根以上が浸水するようです。高潮の方が一段階上がることに驚きました。
 
高荷)場所によって情報が変わります。町が大雨で沈む状況には二種類あります。ひとつが洪水。川の堤防が決壊して、水が街の中にあふれる。これは比較的イメージしやすいと思いますが、もうひとつが高潮という現象です。高潮は、大阪なら大阪湾が満潮を迎えるタイミングで、台風が海を通過すると低気圧の効果と強い風の勢いで、海側から水があふれる現象のことです。そうなると、川の堤防は1ヶ所も切れていないのに海水が盛り上がって海の方から浸水します。まるで津波のように沈んでしまうのです。過去に起こった最大の高潮被害は、1959年に起きた伊勢湾台風によるもの。伊勢湾台風は、死者約6000人という日本史上最大の水害でした。主に被害を受けた名古屋は、高潮で海側から浸水して甚大な被害を受けました。これは今の時代でも起こり得ます。堤防が決壊しなくても海側から沈むことがあるので、洪水・高潮はセットでチェックをしましょう。
 
西村)淀川が近いので、川の方が危険かと思い、高潮のことはあまり考えていませんでした...。いろいろ調べないとわからないですね。
 
高荷)ハザードマップを見れば、具体的な情報が載っています。改めてハザードマップを確認してください。
 
西村)MBSラジオは、ビルの9階にあるので、移動して避難するのではなく、高いところへ垂直避難をすれば良いですか。
 
高荷)ハザードマップの自宅周辺に色がついていない場合は、避難指示が発表されても、家にとどまって電気・ガスの停止に備えましょう。色がついている場合は、最大の高さまで沈んだ場合、部屋がどうなるかをイメージしてください。一戸建ての場合、洪水で3mまで水が来たら2階の床が沈むので、避難をしなければ命が危ないということになります。この場合、避難指示が出たら速やかに逃げましょう。マンションの4階、5階なら、3m沈んでも部屋は大丈夫ということに。ただし、停電や断水は、いつでも起こる可能性があるので、備蓄品はきちんと準備をしておかなければなりません。逃げるべきなのか、とどまって良いのかを判断をする材料として、ハザードマップを使ってください。
 
西村)広島で土砂災害が起こったときに、「大雨の被害大丈夫?」と広島の友人に連絡したんです。そうしたら「うちはマンションなので大丈夫」と。でもすぐそばに山があったんです。この場合、土砂災害に巻き込まれる可能性がありますよね。
 
高荷)土砂災害・崖崩れ・土石流・地滑りの危険性があります。重ねるハザードマップや自治体の紙の地図には、崩れそうなところにすべて色が付けられています。2014年の広島の土砂災害がきっかけとなり、ハザードマップの整備が進みました。もし自宅が土砂災害の危険性がある範囲にあるなら、建物ごと飲み込まれてしまう可能性もあります。マンションでも高層階なら土砂災害が起こっても安全である可能性は高いですが、2~3階で、ベランダ側に崖がある場合は、危ないので、念のために避難をすることを考えてほしいですね。
 
西村)西日本豪雨のときも逃げ遅れた人が多かったですよね。避難について、しっかりと備えておかないといけません。
 
高荷)最近は、ハザードマップに書かれている通りの被害が起こっています。逃げれば助かります。水害で命を落とさないために、紙のハザードマップ、重ねるハザードマップを改めて確認してほしいですね。
 
西村)どのようなポイントをチェックすれば良いですか。
 
高荷)紙のハザードマップには逃げる場所が記載されています。ハザードマップには、「命を守るための避難場所」と「生活をするための避難所」という2つの施設が載っています。
 
西村)避難場所と避難所は違うのですね。
 
高荷)名前は似ているのですが、津波から逃げる「津波避難ビル」「津波避難タワー」、水害が起こったときに逃げる「沈まない場所の学校」、大地震の火災から避難するための「運動場や広場」など災害から命を守る場所は避難場所と書かれています。一方で、災害で自宅が被害を受けて、家で生活ができなくなったときに、一時的に身を寄せるのが避難所。避難所は最寄りの学校であることが多いですが、避難場所は災害の種類ごとに違います。避難場所には、対応している災害が地図上に書かれています。
 
西村)災害への備えとして大切なハザードマップの見方についてお話を伺いました。高荷さん、どうもありがとうございました。

第1498回「災害時の偽情報に注意」
オンライン:防災科学技術研究所 総合防災情報センター センター長 臼田裕一郎さん

西村)来月、日本で大きな地震が起こるという"噂"がSNSなどで出回っています。この噂に科学的な根拠は全くありません。しかし、この噂を信じて日本への旅行を取りやめる外国人も多くいて、観光面への影響も出ています。
きょうは、災害時の情報について、防災科学技術研究所 総合防災情報センター センター長 臼田裕一郎さんに聞きます。

臼田)よろしくお願いいたします。
 
西村)今回のような地震予知に関する"偽の情報"や"噂"はなぜ出回るのでしょうか。
 
臼田)地震というのは非常に大きな災害です。心配からこのような情報がたくさん出てくるのだと思います。
 
西村)「7月に大きな地震が起こる」という説についてどう思いますか。
 
臼田)現在の科学では、地震予知や予言は不可能とされています。「30年間に1回地震が起きる確率」は出されていますが、それがいつ起こるかまではわかりません。今日かもしれないし、明日かもしれない。30年の間でいつ起こるかわからないとなれば、常日頃から備えることが重要です。
 
西村)いつどこで大きな地震が起こるかわからないから備えを進めていくことが大切ですね。特に災害時に、"偽の情報"や"噂"が増えるイメージがあります。
 
臼田)大きな地震が起きて社会にとってつらい状況になると、いろんな人が情報を発信したくなります。今は簡単に拡散できるので、そのような情報が出回りやすくなってしまうのかもしれません。
 
西村)能登半島地震のときも偽の情報が出回りましたよね。
 
臼田)救助要請や支援を求める投稿がSNSで相次ぎました。
 
西村)それはなぜだったのでしょうか。
 
臼田)不安からそのような情報を発信する人もいますが、当時はSNSで投稿を表示する回数が多いほど収益が得られる仕組みがありました。さまざまな手を使って表示回数を増やしたいという人もいたのです。
 
西村)実は、国際災害レスキューナースの辻直美さんが撮影した写真が、Xの偽投稿に使われました。投稿されたのは、キッチンの床一面に割れたお皿や調味料などが散乱している写真。これは2018年に発生した大阪北部地震の写真ですが、この写真が今年4月に発生した長野県の地震の被害写真として、別の人の投稿に使われていたんです。その件について、辻直美さんにお話を聞きました。
 
音声・辻さん)ある新聞社の記者さんから、「あなたの写真、勝手に使われてますよ!」と連絡があって知ったんです。
 
音声・ディレクター)偽投稿を見たときどう思いましたか。
 
音声・辻さん)「ふざけんな!」と思いました。あれを見たら「そんなにひどいことになってるの!?」と現場の人も思うし、そのエリアに住んでいる友達や家族がいたら不安になりますよね。何より、あの写真は本物なのに違う地震の写真として使われるとあの写真が嘘で、AIで作ったと思われるかもしれません。わたしはすぐに削除・謝罪依頼をリプライしたんです。何の返事もないです。怒り心頭です。めちゃめちゃ腹立ってます。
 
西村)今のお話を聞いていかがですか。
 
臼田)最近本当にこういうことが多いですよね。
 
西村)自分の写真がまさか偽投稿に使われるなんて。辻さんは、長野県の新聞記者から連絡を受けて、初めて偽情報の投稿に使われているということを知ったそうです。この新聞記者は、自分が取材した現場の実際の被害の状況と比べて、「この写真おかしいな」と思って調べたとのこと。類似画像を見つけるアプリで検索をしてみると、この写真は2018年の大阪北部地震のときに辻直美さんが撮影した写真ということがわかりました。そこで、新聞記者が辻さんにSNSを通じて連絡をしたということなんです。このようにインターネット上から無関係の写真をコピーして投稿する人もいるのですか。
 
臼田)災害時に、ほかの災害やほかの地域の写真を使って投稿されるものもよく見かけます。ここ最近そういうことが多いと感じています。
 
西村)最近増えてきたのはなぜだと思いますか。
 
臼田)それによってアクセス数を稼ぎたいのかもしれません。
  
西村)もう一つ、この件に関して辻直美さんが訴えたいことがあります。お聞きください。
  
音声・辻さん)まだ腹が立つことがあるんです。そこにいろんな人がリプで取材依頼をしてくるんです。テレビ・ラジオ・新聞から「この写真について詳しく知りたいので連絡ください」という取材依頼がDMではなく、リプライでくる。だからみんなが見られる。それは愉快でしょうね。一般の人がメディアに取材されるのはすごいこと。有名なテレビやラジオから自分が取材される立場になる。承認欲求が満たされると思うんです。こういうことがフェイクニュースを助長しているということにメディアは気がついてない。それにもまた腹が立っています。
 
西村)投稿写真や動画が本物かどうか見極めるのは、大手のメディアでも難しいのでしょうか。
 
臼田)最近は生成AIを使って画像や映像を作るので、見極めるのは難しいと思います。
 
西村)どうしたら良いのでしょう。
 
臼田)一個人が発信しているSNSの情報を全面的に信じないことが重要。メディアから「写真について詳しく知りたいので連絡ください」と話がくるとのことですが、それによって情報の拡散が助長されるので、メディアには気をつけてもらいたいですね。メディアは情報を伝える立場。現場での直接取材を活発に行ってほしいです。
 
西村)リプライで有名な番組が注目しているのなら、「本当かな」と思ってしまう気持ちもわかります。メディアにいるわたしとしても、現場取材を大切にしたいと思いました。生成AIはかなり進化してきています。今はどんなことができるのでしょうか。
 
臼田)自然な会話文や絵や動画を作ることができます。
 
西村)普通の写真のように偽画像を作ることができるのですね。例えばどんな写真からどんな画像を作り出すことができるのですか。
 
臼田)災害時には、普段の風景写真から作った洪水時の写真がよく出回ります。
 
西村)でもそれが本物かどうか見極めるのは難しいとのこと。どうやって見極めたら良いのでしょう。
 
臼田)一つの画像をすぐ信じてしまうのではなく、複数の発信源から情報が出されているかを確認すること。個人ではなく政府・自治体、公的機関の公式のアカウントが発信している情報は、信じられる情報です。そのようなところから複数発信されていることを確認してください。
 
西村)信頼している友達や先輩がSNSに書いている内容は疑った方がいいですか。
 
臼田)その人がほかの人の情報を発信している可能性もあります。気をつけた方がいいと思います。
 
西村)怪しい投稿に共通するポイントはありますか。
 
臼田)拡散されている投稿です。拡散はその人が本当に見た情報ではないことが多いので、まず1回落ち着いて、情報源を見てみましょう。
 
西村)リポストですね。実際に今まで見てきた投稿の中で、怪しい印象だったものはありますか。
 
臼田)数年前に静岡で洪水が起こっている画像を目にしたのですが、不自然に感じました。風景写真に泥水が流れているんです。深い川の写真なんですが、「流れが不自然だな」と思っていたらやはり偽画像でした。
 
西村)先生でもだまされるということがあるのですね。
 
臼田)今のAI技術があればわからないものがあっても不思議ではないと思います。
 
西村)技術の進化はうれしいけど、悪いことに使われるのは困りますね。「困ってる人のために、何かできることはないか」という気持ちでリポストしてしまう人もいると思いますが、きちんと情報を見極めることが必要。改めてSNSの情報を受け取る場合、発信する場合に注意した方がいいことがあれば教えてください。
 
臼田)「だいふくあまい」という言葉があります。SNSの情報を受け取る場合、発信する場合に気をつけてほしいことの頭文字です。
 
西村)最初の「だ」は何ですか。
 
臼田)「だ」は情報を受け取る場合に、「誰が」発信しているのかということ。「い」は「いつ」の情報か。1時間や半日前、数日前の情報も一緒に流れてくるので、「いつ」発信された情報なのかを確認してください。
 
西村)「ふく」は?
 
臼田)「ふく」は、「複数」の情報源があるのかを必ず確かめる。
 
西村)最後の「あまい」は?
 
臼田)「あまい」は自分が情報を発信するときの注意点です。「あ」は自分の安全を確保する。自分が安全でないと情報発信をしてはいけません。「ま」は、その情報が間違った情報ではないか。人が発信した情報を拡散する場合は、それが間違った情報ではないかということを気にしてください。「い」は、位置情報を上手に使う。この情報はどこで起こったことなのかをきちんと示して発信すると良いですね。
 
西村)大切なことを教えてくださってありがとうございます。最後に改めて伝えておきたいことはありますか。
 
臼田)SNSでは、リポスト(拡散)を安易にしないこと。もし偽情報だった場合、偽情報を拡散して、より社会に不安を与えてしまいます。リポストをするときは特に気をつけてください。
 
西村)誰かのためにと思ったリポストが、混乱を招くきっかけになってしまうかもしれません。気をつけましょう。
きょうは、災害時の偽情報について臼田さんにお話を伺いました。