12月14日(日)
第1523回「災害時のフレイル予防」
オンライン:東京大学 高齢社会総合研究機構 教授 飯島勝矢さん
西村)災害後、避難所で生活を送る高齢者は、筋力や体力が低下しやすくなります。その状態をフレイルといいます。このフレイルを放置すると、要介護状態、災害関連死につながることもあり、注意が必要です。
きょうは、災害時のフレイル予防について、東京大学 高齢社会総合研究機構 機構長、未来ビジョン研究センター 教授 飯島勝矢さんに聞きます。
飯島)よろしくお願いいたします。
西村)フレイルとはどんな状態ですか。
飯島)フレイルは日本語で虚弱という意味。フレイルは、健康な状態と要介護状態の中間の段階です。高齢になると体が衰えるだけではなく、社会性、地域とのつながりも弱くなり、自立度が落ちやすくなります。
西村)過去の災害でも高齢者のフレイルが問題になっていましたか。
飯島)日本は災害が多い国ですが、フレイルは歴史が浅いです。過去の大きな災害を振り返るとフレイルに関連した状態が多くありました。わたしは、阪神・淡路大震災の被災地で、医療班として現場で救護・医療活動をする中で、いろんな人と出会ってきました。突然生活が変わってどん底にいる人、避難所で不自由な生活をしている人、家族を失って心に穴が開いてしまった人など、心身ともに落ち込んでしまう人が多くいました。
西村)それは、表情や会話からも感じ取れましたか。
飯島)はい。何十年住んできた家が壊れて、一瞬で思い出や家族を失ってしまったあとは、医学的な問題以上に心のケアが重要です。
西村)阪神・淡路大震災当時の避難所では、高齢者はどんな様子で生活していましたか。
飯島)寒い時期に起こった大震災だったので、大きな体育館や教室で震えながらストーブや毛布にくるまっていると心が折れてしまう。みんなで声を掛け合って、一歩ずつ前向きな気持ちを取り戻していました。
西村)高齢者のみなさんの体調はどう変化しましたか。
飯島)毎日飲んでいた薬がなくなって、血圧のデータが悪くなる人もいました。冬場は感染症が流行りやすいので、いかに体調をきちんと維持できるのかが問われます。
西村)冬場は、寒いですし...。
飯島)高齢者はお手洗いが近くなります。これまでは、暖かい自宅でお手洗いに行っていたけど、避難所では、体育館の外の仮設トイレに行くことになります。衛生的な問題も発生します。お手洗いに行きたくなると、ほかの人に配慮しなければならないので、水分を控えてしまう。そうすると、血液がドロドロになって、脳梗塞や心筋梗塞、足の静脈に血栓ができるエコノミークラス症候群などの怖い病気も起こりやすくなります。
西村)トイレ以外に動かなくなってしまう原因は何がありますか。
飯島)環境の変化、寒さ、家族を失った虚無感で、体を動かそうという気持ちにならない。暖かい時間帯も頑張れる気持ちになれません。
西村)元気がない高齢者がいたら、「わたしが物資を取ってくるね。おばあちゃんそこに座っといて」と言ってしまいそう。
飯島)避難所には子ども、若い人もたくさんいます。元気な若い人が過剰に手助けをし過ぎると、高齢者の生活が不活発になります。最低限のことは支援して、高齢者にも動いてもらいましょう。
西村)声をかけて「一緒にやりましょう」というのも大切なんですね。
飯島)高齢者は、お孫さん、お子さん世代からの声はエネルギーになります。
西村)それを続けると、高齢者のフレイルを予防することができますか。
飯島)はい。予防できると思います。災害時は、体を動かさなくなって活動量が減り、筋肉の衰えが加速してしまうので。
西村)フレイルを予防するためにはどうすれば良いですか。
飯島)フレイル予防には3つの柱があります。「栄養」「身体活動」「人とのつながり」どれかひとつだけではなく、これら3つの柱を総合的に組み合わせながら全体的に底上げすることがポイントです。
西村)栄養、運動、社会参加を合わせてやっていくためには、具体的にどんなことをすれば良いですか。
飯島)複数人数でお喋りをして、昼ご飯が終わってからは、避難所の周りを散歩したり、みんなで掃除をしながら体を動かしたりする。夕ご飯も複数人数でワイワイと食べる。避難所という環境では、そのような工夫をすると良いと思います。
西村)お弁当を1人で食べるのではなく、「一緒に食べませんか?」と声かけをしてみんなでワイワイと食べるのは良いですね。
飯島)1人で冷たいお弁当を食べると半分ぐらいしか食べられないけど、5~6人でワイワイと食べると会話がおかずとなって、全部食べられたという高齢女性もいました。どんな雰囲気で食べるのかも大事です。
西村)1人で食べていると、今後の不安や楽しくないことを考えながら食べてしまいそうですね。能登半島地震の被災地で、知人が仮設住宅に住んでいるのですが、毎週木曜日にみんなでお茶会やお散歩をしたり、花壇のお手入れをしたりしているそう。これもフレイル予防につながりますか。
飯島)フレイル予防は、決まった運動を定期的にやらなければならないということはありません。みんなで花壇の手入れなどをしながら、しゃがんだり立ったりすると運動にもなる。共通の価値観を持って達成感を得るとこともできる。そのような取り組みは素晴らしいと思います。
西村)避難所だけではなく、その後の生活でも大切ですね。
飯島)避難所では急に生活環境が変わります。生活がおとなしくなると、筋肉を失ってしまいます。みんなで声を掛け合って、いろいろなことに取り組むと結果的に体を動かすことになります。筋肉だけはなく、口の衰えについても気をつけましょう。しっかり噛んで食べる、飲み込む、滑舌よく話すためには、口周りの筋肉が必要です。災害時は、口の筋肉の衰えが進みやすい。普段から歯医者さんに行って、定期的にお口のメインテナンスをしてもらうと同時に、災害時のときは、口の中を綺麗にして、みんなでしっかり嚙んで食べることを心がけましょう。
西村)みんなでお茶会をしてよく喋ると良いですね。歌うのも効果的ですか。
飯島)歌は非常に効果的です。楽しいですし、大きい声でお腹から体全体を使って歌うと全身運動にもなると思います。
西村)オーラルフレイル(口の機能低下)を防ぐためにも、歯医者に通う、喋る、歌うなどに気をつけて、フレイル予防していきましょう。
飯島さん、どうもありがとうございました。
12月07日(日)
第1522回「片付けながら災害に備える"防災お片付け"」
オンライン:Nice Life代表・防災士・整理収納アドバイザー 熊田明美さん
西村)12月に入り、大掃除のシーズンがやってきました。おうちを片付けながら一緒に防災もできる「防災お片付け」というのがあるそうなんです。
きょうは、「防災お片付け」を提唱する熊田明美さんにくわしく教えてもらいます。
熊田)よろしくお願いいたします。
西村)「防災お片付け」は、普通のお片付けとどう違うのでしょうか。
熊田)「防災お片付け」は、3つの視点でお片付けをします。
「家の中が安全かどうか」「災害時に備えた整理整頓」「ローリングストックで備蓄」の3点です。
「家の中が安全かどうか」
怪我をしないように家具家電の転倒防止、落下防止を行います。怪我をしない目線でいろいろなところを見てください。背の高い家具、冷蔵庫、食器棚が大地震のときに倒れてこないか。電子レンジ、オーブントースター、テレビなどが落下しないか。それらを固定します。
「災害時に備えた整理整頓」
家の中に物が散乱しないようにする。避難するとき怪我をしないように床に物を置かない。重いものは下に収納する。物を見直して、防災備蓄品を収納します。
「ローリングストックで備蓄」
普段から食べ慣れている食品や使い慣れている日用消耗品を在庫数を決めて保管、備蓄すること。これは在宅避難のときにも役立ちます。
西村)この3つの視点で「防災お片付け」をすると、どんなことが良くなりますか。
熊田)防災の視点でお片づけをすると、災害への備えになるだけではなく、普段の生活がスムーズ、快適になります。ものが適正量になり、管理しやすくなるからです。
西村)良いことずくめですね。
熊田)そのほかにも、怪我のリスクが減り、家事効率がアップします。在庫数を把握することで、余分なものを買わなくなり節約にもつながります。
西村)大掃除をしていると同じものが2つあるなんてことも。おもちゃが散らばっていると、ブロックを踏んで怪我をすることもあります。怪我のリスクを減らすことが大切ですね。では、お片づけについて場所ごとに教えてください。まずは、玄関のお片付けはどこに気をつけたら良いですか。
熊田)玄関は、外に出るときや帰宅するときに使う出入口であり、避難口。できるだけ物を減らしてすっきりさせることが大切。ポイントは、傘を減らすこと。傘立てが陶器だと割れることもあり、傘が散乱しているとつまずいて危険です。
西村)確かに。うちにも傘がたくさんあります。
熊田)晴雨兼用傘を1人1本で十分。
西村)ついコンビニでビニール傘を買ってしまって、傘が増えてしまいます。この機会に傘を見直そうと思います。靴もなかなか捨てられませんよね...。
熊田)古い靴は怪我のリスクがあります。靴底に溝がない靴を履いていると、雨の日に滑って転んで怪我をすることも。古い靴は見直して処分しましょう。
西村)靴箱を見直しましょう。我が家は子どものサイズアウトした靴がそのまま置いてあります。自分の靴も含めて見直していきたいと思います。廊下はいかがですか。
熊田)廊下は、物を搬入・収納しやすい場所。玄関や廊下に水などを収納すると搬入・収納が楽で見直しも楽。日常的に外出するときに携帯もできて便利です。
西村)熊田さんは備蓄用の水を玄関や廊下に置いているのですか。
熊田)我が家は玄関の靴を減らして、靴箱の一部に防災用品を入れています。
西村)なるほど。靴箱はさっと取り出すことができて良いですね。
熊田)ただし、注意点があります。水は高いところに置かないこと。ペットボトルが落下したときに、ペットボトルが破裂してしまう危険があります。缶の場合、落下して人に当たると危険です。
西村)次に思いつくのがリビング。リビングのお片付けのポイントを教えてください。
熊田)吊るすタイプの照明は素材を確認しましょう。
西村)シャンデリアを飾っている家もありますよね。
熊田)今は、樹脂製の割れないシャンデリアもあります。リビングに紐で吊るすライトはコードクリップを使って紐を短くすると、照明同士が当たって割れるのを防ぐことができます。
西村)ぜひチェックしておこうと思います。リビングには大きなテレビがあります。
熊田)最近のテレビは大型化しています。テレビは地震のときに倒れて割れる・壊れることを想定してください。固定しましょう。おもちゃなどは、棚に入れておけば大丈夫と思っている人も多いですが、災害時は飛び出してくると考えて対策をしましょう。
西村)我が家もおもちゃ箱が引き出しタイプ。ブロックやプラレールなど硬いものがたくさんあるので、飛び出したら大変。どうしたら良いでしょう。
熊田)衝撃を吸収してくれる柔らかい素材の収納グッズにおもちゃや雑貨などを入れて、滑り止めシートなどで対策します。
西村)リビングのソファでも対策できることはありますか。
熊田)ソファには、頭を守れるようにクッションや座布団を多めに置いておきましょう。大地震のときにすぐに頭を守ることができます。家族の人数分を置いておくことをおすすめします。写真や絵画を飾っている場合は、ガラス素材を使ってないかをチェック。ガラスは割れて危険なので、アクリル樹脂など割れない素材に変更しましょう。
西村)キッチンの注意点はありますか。
熊田)キッチンはかなり危険な場所だと思ってください。冷蔵庫が倒れてくるし、食器棚が倒れて、中の食器が割れてしまう危険性もあります。転倒防止グッズなどで対策しましょう。さらに、フライパンや鍋を減らすのもポイント。ガスコンロとかIHコンロに同時に火にかけられるのは2~3口。同じようなサイズのフライパンや鍋は減らしましょう。そこへ出しっぱなしの調味料、瓶の調味料などを入れると瓶が割れるリスクを減らすことができます。
西村)確かにコンロの周りにいろいろ置いてしまいます。棚の中にしまっておくことが大切なんですね。
熊田)物を出しっぱなしにすると飛んできて、下に落ちると割れてしまう。怪我のリスクがあります。
西村)包丁をマグネットで付けたり、お気に入りの鍋を飾ったりする"見せる収納"もありますが、なるべくしまっておいた方が良いですね。
熊田)防災の観点からはしまっておいた方が安全。割れやすいものは飛び出さないようにする。耐震グッズで固定する。扉に耐震ラッチがついているかも確認してください。耐震ラッチは大きな揺れで扉が開かないようにロックする部品のこと。初めから付いている食器棚もありますし、後から付けられるものもあります。
西村)食器棚を買い換えるというときはチェックします。トイレに何か置いておくと良いものはありますか。
熊田)トイレは大地震のときに閉じ込められるリスクがあります。窓のないトイレでは停電対策として、灯を備えておきましょう。そのほかは非常用トイレ。凝固剤と大きめのビニール袋、飲み水も常備しておくと安心。
西村)なぜ飲み水が必要なのですか。
熊田)トイレに長時間閉じ込められたときのためです。夏場だと熱中症などのリスクがあります。トイレは、大地震のとき大きな揺れでドアの枠がゆがんで、ドアが開かなくなることがあります。
西村)年末は、このような防災目線でお片付けするとまた違った大掃除になりそうですね。
熊田)食品庫を掃除するときは、賞味期限が近い備蓄品を食べたり、カセットガスコンロで調理したりすると良いと思います。
西村)これをきっかけに家族で防災コミュニケーションをとりましょう。熊田さんどうもありがとうございました。
11月30日(日)
第1521回「避難時の感染症対策」
オンライン:白鷗大学 教育学部 教授 岡田晴恵さん
西村)各地で感染が急拡大しているインフルエンザ。空気が乾燥して気温が低くなるこの時期はインフルエンザやコロナなどの感染症が広がりやすく、十分な注意が必要です。もし今、大きな地震が発生したら、避難所ではどのようなことに気をつけたら良いのでしょうか。
きょうは、コロナなどの感染症に詳しい白鷗大学教育学部 教授 岡田晴恵さんに伺います。
岡田)よろしくお願いいたします。
西村)インフルエンザが急拡大しています。今、大きな災害が起こるとどうなりますか。
岡田)避難所には人がたくさん集まるので、インフルエンザ、ノロ、コロナが流行りやすくなります。インフルエンザは、高熱、頭痛、全身の倦怠感などの症状が出ます。
西村)しっかりと感染対策をしないといけませんね。
岡田)人が集まるということは感染者も紛れています。避難所では、十分に換気ができません。災害で命が助かっても感染症で病気になってしまいます。
西村)助かった命をつなぐために感染症対策をしっかりしましょう。インフルエンザが流行しています。今年は例年より早いですか。
岡田)1ヶ月ぐらい流行が早いです。来月12月の半ばくらいからピークになると予想されています。
西村)まだまだ気が抜けませんね。避難所での感染症対策について教えてください。
岡田)手洗い・うがいが基本。避難所には十分な水がありません。初期は消毒用アルコールで手をふくこともなかなかできないので、事前にワクチンを打っておくと良いです。ワクチンは死亡・重症化のリスクを下げます。高齢者は重症化を阻止するためにコロナワクチンの定期接種をおすすめします。
西村)早めのワクチン対策も必要ですね。ワクチンのほかに用意しておいた方がいいものはありますか。
岡田)非常用持ち出し袋には、消毒用アルコールシート、液体、不織布マスクを数枚。子どもには、アセトアミノフェンの解熱剤も必要です。
西村)なぜアセトアミノフェンの解熱剤が必要なのですか。
岡田)インフルエンザは、15歳未満の子どもには合併症を防ぐために、アセトアミノフェンの解熱剤が推奨されています。大人の薬を飲ませるわけにはいきません。口の中を衛生的に保つことも大事。わたしは歯磨きセットのほかに液体歯磨きを持ち出し袋に入れています。口腔内を清潔にするとインフルエンザの予防になります。
西村)非常用持ち出し袋には、アルコール消毒液や不織布マスク、子どもがいる家庭は、アセトアミノフェン成分の解熱剤、常備薬、口腔ケアグッズ、マウスウォッシュ。水も一緒に入れておくといいですね。
岡田)血圧の薬など毎日飲む薬がある人は、多めにもらっておきましょう。避難所が混んでいるなら、自宅避難や車中避難をして人を分散させることも大事。一箇所に集中しないように。
西村)インフルエンザ、コロナ以外でも災害時に気をつけたい感染症はありますか。
岡田)破傷風です。東日本大震災では、避難所で60歳以上10人に破傷風がありました。破傷風菌は、世界中の土壌にいます。地震や豪雨災害では、泥まみれの怪我が多いです。泥水の中で怪我をすると、破傷風菌が泥と一緒に傷から体内に入ってきて、破傷風という病気になります。傷がでてでたとき、この泥を洗い流すキレイな水が避難所にはありません。傷を洗い流す水もない状況で、医療の救援が来るまで、何時間も待っている間に破傷風菌が体の中で発芽して、神経毒素を作るんです。
西村)恐ろしいいですね。東日本大震災の津波被害で破傷風が広がったことが想像できます。
岡田)真っ黒な泥水の津波にのまれてけがをして、破傷風を発症した人がいました。豪雨災害や地震は、泥まみれの怪我がつきものです。
西村)災害時はみんなが怪我をしているから、「擦り傷ぐらいなら大丈夫」と我慢をしてしまう人もいそうです。
岡田)呂律が回らない、顔がこわばるなどの初期症状が出ていても、避難所では「もっとひどい人もいるから...」と我慢してひどくなった事例もありました。
西村)破傷風の症状について詳しく教えてください。
岡田)頭痛、呂律が回らなくなるなどの初期症状があります。治療が遅れると、全身の筋肉がけいれん性の強い硬直をおこして、最後は呼吸困難になって窒息死することもあります。
西村)そんなに怖い病気なのですか。
岡田)平時でも100人前後の破傷風の患者が毎年確認されています。治療できる環境がある平時でも致死率は10~20%。災害時では適切な医療が受けられず、薬もワクチンも不足します。重症化のリスクを想定しなければなりません。
西村)断水してキレイな水もないと傷を放置してしまう人もいますよね。
岡田)破傷風ワクチンは事前に打つことができます。子どもたちは5種混合ワクチンで接種済です。後の世代は、3種混合ワクチン(破傷風・百日咳・ジフテリア)で接種済。東日本大震災のときの破傷風患者10例はすべて中高年でした。これには理由があって。破傷風のワクチンは、1968年に定期接種になっています。1968年以前に生まれの人は、破傷風ワクチン無接種で育った世代。免疫がないために東日本大震災のときは、この世代に多くの破傷風患者が出てしまったのです。さらに、1975~1981年は3種混合ワクチンが中止に。1981年以前生まれの人は、破傷風ワクチン未接種の人が多いので、任意で打つことが必要です。
西村)今からでも打つことができるのですね。
岡田)わたしは、1963年生まれなので、東日本大震災後にその報告を見て驚いて、すぐに打ちに行きました。母子手帳を見たこともなかったので。1968年以前、1981年以前生まれでワクチンを打ってない人は、破傷風ワクチンを一般病院で打つことができます。ワクチンは3回打ちます。まず1回目を打って、約3~8週間間隔を置いて、もう1回打つ、その後、半年以上間隔を空けてもう1回。3回接種で基礎免疫ができます。半年~1年かかります。
西村)結構長い時間がかかりますね。
岡田)破傷風ワクチンの接種は、事前にできる災害対策のひとつです。
西村)南海トラフ地震への備えとしても大事ですね。
岡田)子どもの頃に破傷風や3種混合のワクチン、4~5種混合のワクチンを受けた人でも、接種完了から10年以上経つとワクチン免疫が低くなっています。30歳以上になると免疫力が低下してくるので、10年ごとぐらいに破傷風ワクチンを追加接種していくと良いです。未接種の人は、まず3回を半年から1年かけて打ってください。
西村)岡田さん、どうもありがとうございました。
11月23日(日)
第1520回「防災目線で考える空き家対策」
オンライン:明治大学 教授 野澤千絵さん
西村)きょうは、全国にある空き家の災害リスクについて考えます。空き家は地震で倒れたり、津波で流されたりと、二次被害を引き起こす可能性があります。どのように対策すれば良いのか。
きょうは、住宅問題や都市開発に詳しい明治大学 教授 野澤千絵さんにお聞きします。
野澤)よろしくお願いいたします。
西村)今、全国にどれぐらいの空き家があるのでしょうか。
野澤)2023年の「住宅土地統計調査」では全国に約900万戸、住宅総数の13.8%が空き家という調査結果が出ています。900万戸の中には、賃貸用、売却用、別荘なども含まれています。住宅地の空き家は約385万戸あります。
西村)多いですね...。
野澤)町を歩いていると、10年前に比べて空き家が目につくようになりましたよね。
西村)わたしの家の周りでも、屋根瓦が外れてブルーシートが張ったままの家、蔦が絡まって朽ち果てた家もあって不安になります。なぜ空き家が増えているのですか。
野澤)高齢化が進み、相続される持ち家が増えていることが一つの要因。思い出のつまった実家をすぐに処分できない、遺品整理をする時間と体力がない、相続人同士の確執や不仲が原因で話し合いが持てないなど、さまざまな理由があって放置されることが多いです。屋根が飛んだ家、草木が繁茂している家など荒廃した空き家の多くは、既に何代にもわたって登記がされていない、所有者がわからないことも。相続人が主体的に手間や時間、コストをかけて解決するケースが少なく、核家族化が進行し、地元を離れる人が多い状況で、対応されない空き家が増えています。
西村)空き家は災害時にどんなリスクを引き起こしますか。
野澤)地震や台風などで空き家や擁壁が倒壊したり、建材が吹き飛んで通行人や隣の住民にけがをさせてしまったり。命に関わる危険性をもたらすリスクがあります。さらに近隣の住宅を壊す、避難をするための道路をふさぐなどの二次被害も問題です。
西村)避難だけでなく救助活動の遅れにもつながりますね。
野澤)大規模な土石流、浸水、水害が発生した際、どの家に人が住んでいるのかがわからないと、空き家にも救助活動に入り、人がいないことを確認しなければなりません。そうすると緊急性を要する人命救助に大きな影響が及びます。別荘や空き家が多いエリアで起こった熱海市の土石流災害では、一刻を争う救助活動の中で、空き家が被災者の所在確認を混乱させました。災害発生後の人命救助にも影響があります。
西村)空き家が地震火災の火元になることもありますか。
野澤)地震火災だけではなく、平時も火災が起きることがあります。犯罪に使われることも。放火等で火災の出火点になってしまうこともあります。
西村)大分で先週、大きな火災がありました。空き家が多い地域だったそう。
野澤)あのエリアは2020年度の調査によると、空き家が561軒あります。市内の空き家の16.5%を占めていて、被災した170戸のうち、空き家や倉庫など人が住んでいない建物が約40戸。4つにひとつは人が住んでない状況で、延焼にも影響が及んだのだと思います。
西村)空き家が少なければ、こんなにも広がることはなかったのでしょうか。
野澤)それはまだわかりません。空き家の影響があったかは今後の調査によります。燃えやすいものがたくさんあり被害が拡大した可能性はあるかもしれません。元々、木造の密集地だったこと、地形や風の向き・強さなど複合的な要因があると思います。
西村)災害の後にも影響はありますか。
野澤)2020年7月、熊本県・人吉市に大規模な水害が発生。所有者不明の空き家が解体できずに避難道路整備の足かせになりました。ほかの地域でも全国各地で空き家が残り続けて、地震・台風・豪雨の復旧・復興の妨げになっています。
西村)能登半島地震の被災地に行ったときも、更地にひとつだけ残っている家があって。所有者不明の空き家と聞いたことがありました。
野澤)空き家でも自治体が所有者にすぐに連絡が取ることができたら、公費解体もできるのですが。空き家は所有者不明状態が多く、自治体が所有者を探索してもたどり着けない。相続放棄が相次いで所有者がいない状況も。あるいは代替わりで所有者が多くなりすぎて、どうしようもないこともあります。
西村)自治体はどうやって所有者を把握しているのですか。
野澤)自治体ですら、所有者の連絡先を把握するのは至難の技。固定資産税台帳を調べて、戸籍から1件1件家系図を作る。家系図を作ってたどり、それぞれに書面で連絡し、連絡を待つ。連絡が返ってこないことが多いです。災害で緊急を要する場合、このプロセスをやるのは大変。災害エリアでポツンと空き家が残っているのは、まさにその所有者に連絡が取れない、所有者がいない状況だと思います。
西村)空き家の緊急連絡先を把握しておくことが大切ですね。
野澤)平時から空き家を特定し、空き家の所有者リストを作っておく。浸水、土砂災害の危険性がある場所の空き家は、連絡先を把握しておくことが大事。災害が起きて、自治体にマンパワーがないときに、1軒1軒家系図を作って連絡を取らなければならなくなると、全体の復旧復興に影響を及ぼします。
西村)空き家対策が進まないのがわかりました。どうすれば所有者の重い腰を上げられると思いますか。
野澤)空き家対策は「北風と太陽」の両面が必要。最近「空き家特別措置法」が改正されました。固定資産税の住宅用地特例では、固定資産税の評価額が6分の1に軽減されます。管理不全の空き家は、住宅用地ではないので、固定資産税を上げることができるようになりました。それによって、東京23区など固定資産税が高いところは、6分の1の軽減がなくなると、多額の固定資産税を払わないといけなくなるので、所有者が動き出しています。この措置は、都会では効果的ですが、固定資産税が安い地方は、固定資産税の軽減がなくなっても痛手がないので不十分な効果がありません。
一方で介護の政策も必要。対応しない所有者を責めても問題は解決しません。所有者も事情を抱えていることが多い。和歌山県・田辺市は、事情を抱えた所有者に寄り添って、サポートするスタンスを大事にしています。その結果、多くの空き家が解体に向かっています。それぞれの事情が解決しないと空き家問題も解決しない。自治体や民間事業者、NPOと一緒に、知恵を絞りながらサポートしていくことも大事です。「北風と太陽」の両面で空き家の所有者のやる気スイッチを押すことが必要と考えます。
西村)野沢さんどうもありがとうございました。
11月16日(日)
第1519回「震災を語り継ぐ~遺族と小学生の対話」
取材報告:亘 佐和子プロデューサー
西村)きょうは、阪神・淡路大震災で8人の児童が亡くなった芦屋市立精道小学校で行われている「震災を語り継ぐ授業」を紹介します。清道小学校では、亡くなった児童のひとり、米津漢之(よねづ・くにゆき)君の父親の米津勝之(よねづ・かつし)さんを毎年招いて、命について考える時間をもっています。取材した亘佐和子プロデューサーです。
亘)10月20日、精道小学校に取材に行ってきました。震災の遺族である米津勝之さんが、5年生の子どもたちに語ったことを、きょうは、西村さんにもリスナーのみなさんにも考えていただきたいと思います。米津さんは、震災で精道小学校の1年生だった長男の漢之君と精道幼稚園に通っていた長女の深理(みり)ちゃんを亡くしました。米津さんの授業は、一方的に語るのではなく、子どもたちと対話しながら進められます。
音声・米津さん)みなさんこんにちは。今ご紹介いただいた米津です。よろしくお願いします。早速、第1の質問!30年前、1月17日に起こったこと知っていますか。知ってること書いてみて。
音声・児童)阪神・淡路大震災が起きました。
音声・児童)たくさんの人が亡くなりました。
音声・児童)43号線が倒れた。
音声・児童)地震で火災が起きた。
音声・米津さん)"震災"と聞いて、どういう言葉が浮かびますか。
音声・児童)恐ろしい。
音声・児童)南海トラフ...。
亘)こんな感じで、まず子どもたちの持っているイメージを聞いていきます。みんなどんどん手を挙げて発言するんです。この後、授業は本題に入っていきます。米津さんは、震災前に撮った家族写真、地震直後の町を写した写真を子どもたちに見せます。
音声・米津さん)95年の1月に撮った写真です。4人家族でした。わたしはまだ34歳。まだ若かった。この人は奥さん。この女の子が幼稚園に通っていた深理。隣が小学校1年だった漢之。4人で暮らしていました。津知町に住んでいたんです。津知町に住んでいる人!?
音声・児童)はい!
音声・米津さん)今は想像もできないけど、当時の津知町はこんな感じ。
音声。児童)えー!やば!
音声・米津さん)これ津知公園。クスノキ、今も真ん中にあるやろ?公園の東隣にいたんです。どうなってますか?
音声・児童)倒壊してる...。
音声・米津さん)家がガシャッと全部壊れました。この下に家族4人がいました。残念ながら、わたしの隣で寝ていた漢之と深理が亡くなってしまいました。
西村)子どもたちが写真を見て「えー!」と声を上げて驚いていましたね。
亘)米津さんが住んでいた津知町は、芦屋市の中でもいちばん被害が大きく、9割以上の建物が倒壊して、この町内だけで56人の方が亡くなりました。子どもたちは自分たちがよく遊んでいる津知公園の周りの建物が倒れている写真を見てびっくりしていました。米津さんの住んでいたアパートも全壊で漢之君と深理ちゃんが亡くなりました。授業はここから深理ちゃんが通っていた精道幼稚園の慰霊碑の話になります。精道幼稚園では深理ちゃんら3人の園児が亡くなりました。慰霊碑に刻まれた言葉の意味について、米津さんが問いかけます。
音声・米津さん)今は精道こども園にあるこれ(慰霊碑)、見たことある?この場所で3人の子どもが亡くなりました。慰霊碑には
「わすれない あなたのことを わすれない あのひのことを」
と書いてあります。みんなに質問です。
「あなた」とは誰?
「あのひ」とはいつ?
亘)難しい質問だと思うのですが、西村さんは「あのひ」とはいつだと思いますか。
西村)1月17日の阪神・淡路大震災の日ですか。
亘)子どもたちの答えもそれが多かったです。この答えについては、また後でもう一度考えたいと思います。
亘)授業ではここから米津さんが、漢之君と深理ちゃんの写真を見せて、思い出を語っていきます。まずは2人が満開の桜の前で笑っている写真を見せました。
音声・米津さん)この写真は、94年の4月に撮りました。震災の10ヶ月前。これはどこでしょう?
音声・児童)芦屋川!
音声・児童)尼崎!
音声・児童)宝塚!
音声・児童)宝塚大劇場!
音声・米津さん)そんな上品なとこ違う(笑)。土曜日と日曜日に馬が走る場所です。
音声・児童)競馬場?
音声・米津さん)正解です。これは、阪神競馬場で撮った写真。「桜花賞」というレースがあって3人で予想しました。わたしを入れた3人の中で、1着を当てた人は誰だったでしょう?
亘)3人それぞれが1着の馬を予想して、米津さんが馬券を買ったという話。1着を当てた人は誰だったでしょう。
西村)あまり物欲がなさそうな深理ちゃんかな?
亘)正解!深理ちゃんが当てたそうです。子どもたちも「深理ちゃん」という予想が多かったです。このように漢之君と深理ちゃんの思い出を語っていくんです。5年生の子どもたちは事前に勉強しているので、米津さんのお宅の「カレーの話」を知っています。
西村)「カレーの話」とはどんな話ですか。
亘)漢之君は、震災で亡くなる前日、「先生あのね~」で始まる「あのね帳」に、お母さんと深理ちゃんといっしょにカレーを作ったことを書いています。その最後に「あした食べるのが楽しみです」と書いたのですが、漢之君は震災で亡くなり、カレーを食べる「あした」は来なかった。米津さんの家では、毎月17日はカレーの日なんです。震災後に生まれた英(はんな)さんと凛(りん)さんという2人のお子さん、奥さんといっしょにカレーを食べるそうです。今回の授業では、米津さんは、この「カレーの話」とは別に、もう一つ漢之君の食べ物にまつわる話をしました。
音声・米津さん)12月22日、米津漢之の誕生日でした。誕生日に漢之が好きなもの食べようということになって。彼は何が食べたかったと思う?
音声・児童)カレー!
音声・児童)たらば蟹!
音声・児童)ビーフシチュー!
音声・米津さん)ビーフシチューは深理ちゃんの好物。漢之は肉が好きやった。
音声・児童)焼肉!
音声・米津さん)ちゃうなー。
音声・児童)ステーキ!
音声・米津さん)正解!ステーキでした。当時、わたしは「ステーキなんか贅沢やからあかん!」って言ったんです。漢之は「じゃあ、お父さんはカレーが好きやから、僕はお肉食べたいから、カツカレーに変えよう」と言いました。だからその日はカツカレーを食べました。でも、震災の後、後悔しました。なぜあのとき漢之にステーキを食べさせてあげなかったんだろう、と。その後の誕生日には漢之はいません。12月22日に家族で何を食べてると思う?
音声・児童)ステーキ!
音声・米津さん)そうです。この漢之のランドセルの中に「あのね帳」が入っています。みんな知ってると思うけど、「カレーをあした食べるの楽しみです」という話が書いてあります。そのカレーだけではなく、漢之が12月の誕生日に食べられなかったステーキを今、家族で12月22日に食べています。
西村)「明日が来る」「次食べよう」と思っていたけど、明日は来なかったんですね...。米津さんが家族で過ごした大切な時間、喜びや後悔などさまざまな思いが伝わってきました。
亘)そうですね。ここで再び米津さんは、子どもたちに問いかけます。精道幼稚園の慰霊碑の話です。「わすれない あなたのことを」の"あなた"とは誰なのか。
「わすれない あのひのことを」の、"あのひ"とはいつなのか。
音声・米津さん)「あなた」について考えて欲しい。ここ「あなたたち」になっていないでしょ?「あなた」はひとりひとりという意味です。ひとりひとりのことを忘れませんということ。そんな想いを込めて、この慰霊碑を作った人は、「あなた」と書きました。「あのひ」は、みんな1月17日だと思うでしょ?「震災のこと忘れないでください」と。でも、いっしょに生きた時間を忘れないことが大事。
「わすれない あのひのことを」には3つ意味があります。これちゃんと覚えておいてください。大事だと思ったらメモしてください。
①"あのひ"までのこと、1月17日までいっしょに過ごした時間のこと。
②1月17日のこと。
③あのひから~、1月17日からあとのこと。
みんなは1月17日のことを直接知らない。でもみんなが勉強した今日から始まっています。震災のことを考えるということが。
西村)そういうことだったのですね。
亘)「あなた」とは、ひとりひとりということ。亡くなった人を数で捉えるのではなく、「あなたたち」という複数形でもなく、「あなた」=ひとりひとりを大切にしようということ。そして、「あのひ」とは、1995年1月17日のことだけではありません。「それまでに一緒に過ごした時間を忘れない」ということです。では、震災後に生まれた人はどうなのか。「亡くなった人のことを学んだその日」から考え続ける日々も「忘れてはいけない"あのひ"」になっていくのだと思います。
西村)授業を受けた子どもたちにとって、「あのひ」がこの授業の日だったかもかもしれませんね。
亘)子どもたちからは、たくさんの質問が米津さんに投げかけられました。授業が終わって、給食の時間になっても、米津さんの前にどんどん列を作って質問をしていきます。そのようすを聞いてください。
音声・児童)質問いいですか?(米津さんは)なんでほかの人はしていない(語り部の)活動をしているんですか?
音声・米津さん)震災の後、しばらくはこんなことしてなかった。しんどくて。でも、漢之と深理がそんなわたしを見てよろこぶと思う?漢之と深理ために「何ができるかな」と考えたときに、私にできることは、こんなふうに次の世代のみんなといっしょに勉強すること。そこに漢之と深理もいっしょにいる。そういう役割を果たしたいから、こういう活動をしています。
音声・児童)漢之君と深理ちゃんが1日だけ帰ってきたら何したいですか?
音声・米津さん)そういう質問は初めてだなあ。なにもしゃべらなくていいから、少しでもいっしょにいたい。2人の生の笑顔を見たい。
音声・児童)漢之君は、好きな人いましたか?
音声・米津さん)おってん!おってんけど(好きと)よう言わんかった。ちょっと奥手な子だったからなかなか言えんかった。
音声・児童)地震のことはどう思いますか?
音声・米津さん)ない方がいいよな。地震がなかったらあんなことならなかった。でも地震は起こる。そのためにできることは何か。防災だけでいいのかな。災害があって、今も生きている人のことを考えて、想うことも大事にしてほしいと思います。
音声・児童)ありとうございました。
音声・米津さん)みんな熱心やなあ!
西村)本当にみんな熱心ですね。米津さんと児童の心の距離が縮まっているからこそ、これだけたくさんの質問が出たのでしょうね。
亘)災害を語り継ぐことは、経験者が未経験者に一方的に伝えることではなくて、このような対話の中で、命や人との関わり、生きる喜び、苦しみ...そのような大切なことを分かち合って、いっしょに育てること。精道小学校では、これから各学年で、それぞれ阪神・淡路大震災についての学びを深めて、12月の語り継ぐ会で各学年発表。1月17日の追悼式に臨みます。
西村)子どもたちの想いがどう成長していくのか。わたしたちも見守っていきたいと思います。
きょうは、震災を語り継ぐ精道小学校の教育について、亘さんの報告でした。
11月09日(日)
第1518回「視覚障がい者の避難」
電話:石川県珠洲市在住の大口史途歩さん
西村)目の不自由な人は、地震や津波から避難する場合、どんな困難があるのでしょうか。
きょうは、能登半島地震で被災した視覚障害者にお話を伺います。石川県珠洲市在住の大口史途歩さんです。
大口)よろしくお願いいたします。
西村)大口さんはいつからどんな視覚障害があるのですか。
大口)先天性難病の「網膜色素変性症」という病気です。小さい頃から遺伝子異変があり、発症が早い人と遅い人がいます。わたしは、36歳くらいのときに「網膜色素変性症」と診断されました。今は52歳10ヶ月です。
西村)今はどれぐらい見えるのですか。
大口)お医者さんが目の前に手をかざずと、影が見える程度です。
西村)能登半島地震が発生したときは、どのような状況でしたか。
大口)元旦ということもあり、自宅でのんびりしていました。16時6分ごろに震度5強の地震がありました。「揺れたな。テレビつけようかな」と思った矢先に次の地震が来ました。一歩も動くことができませんでした。横になっていた布団にしがみ付くのが精一杯。家の木材がバキバキと、今までにない音を立てて恐怖を感じました。
西村)不安な中避難したのですか。
大口)強い地震がおさまって、自分が無事であることを確認してから、日頃から用意してあった避難道具を持って下の階に降りようとしました。しかし、崩落した土壁が階段の上を埋め尽くしていました。
西村)どうやって外に出たのですか。
大口)急な階段だと知っているので、座りながら少しずつお尻をずらして降りていきました。
西村)ご家族は無事でしたか。
大口)父も兄2人も無事でした。放送が聞こえてきて、大津波警報と流れていたので、とりあえず逃げようと。
西村)どこに逃げたのですか。
大口)住んでいる場所は、海から200m、山から200mくらいの位置にあります。小高い山の上に津波専用の避難所があるので、みんなでそこへ向かいました。津波が来るかもしれないという恐怖を感じました。歩き慣れている道ですが、液状化現象で穴が開いたり割れたりしていて、足元の状況が悪かったです。白杖をつきながら歩くのですがつまずくこともありました。
西村)なんとか高台に避難し、そのあとはどこかに避難したのですか。
大口)津波がきた様子もないので、16時50分くらいには、特定避難所である母校に行くことにしました。
西村)そのとき雪は降っていましたか。
大口)雪は降っていなかったのですが、前前日ぐらいに降った雪が積もっていたので、歩くのは困難でした。小学の避難所は開設されたばかりで、防災ボランティアも素人なので、玄関の鍵を開けて、「みんな入ってください」というだけ。教室に入って、青いビニールシートに座って一晩を過ごしました。
西村)避難所ではどんな困り事がありましたか。
大口)初日は全然寝られませんでした。寒かった。2日目の朝、家は無事だったので、暖かい服を着ようと自宅へ戻りました。おせち料理に舌鼓を打ちつつ、服を用意して、昼は家、夜は避難所で過ごす生活が始まりました。
西村)おせち料理を食べられる状況なら、家にとどまった方が良かったのでは。なぜ避難所に戻ったのですか。
大口)視覚障害を持っていること、インフラが止まっているという理由からです。
西村)どんなことが困りましたか。
大口)一番困ったのはトイレです。浄化槽式のトイレが液状化現象の影響を受け、浄化槽がコンクリ―トを持ち上げて浮いていたんです。水が流れなくて、自宅のトイレが使えないので学校へ行きました。学校も水が流れないので、防災用の携帯トイレを便座につけて使いました。
西村)携帯トイレは持ち込んだのですか。
大口)特定避難所に指定されていたので、倉庫の中に防災の備蓄がありました。
西村)学校に準備されていたのですね。非常用トイレの袋を便器にかぶせて、その上に用を足して、袋を閉じて、捨てるという流れで使ったのですか。
大口)そうです。使ったら片付けて、次の人のために袋を付けるのですが、わたしは目が見えないので、便座の位置を確認するときに便座の上を触らなければなりません。でも、ルールを守らないのではなく、ルールがわからなくて守れない高齢者が多く、新しい袋を付けるルールが守られていませんでした。わからないから、何もつけていない便座にどんどん用を足していく。そうすると便座の上に汚物が残り、わたしはその汚物をどうしても触ってしまうことになります。水道が出ないので手が洗えません。ウェットティッシュで手を拭くことしかできなくて。そういった苦労がたくさんありました。
西村)他人の汚物を触ってしまって、大丈夫でしたか。
大口)衛生環境も悪く、避難所として機能し始めても、ボランティアも被災者で素人なので、ルールの設定ができずに感染症があちこちで出始めました。わたしも共用のドアノブを触ってしまうのでどんなに綺麗にしていても、雑菌がついている状態で避難食を食べ、口の中に雑菌が入って下痢に。熱と下痢がひどく、大腸炎になりました。
西村)トイレのほかに困り事はありましたか。
大口)避難所は60cm幅のマットレスが1枚あるだけ。そこ以外は他人がいるので移動に苦労しました。本来なら1人で動けるはずなのに、ギュウギュウ詰めに人がいるので、下手に歩けば他人の足や体を踏んでしまいます。
西村)通路は確保されていないのですね。
大口)全然ありません。本来は、避難所の端を通路にして、通れるようにするのが当たり前なのですが、防災マニュアルも中途半端でした。本来なら片側に物が寄せてあれば歩けるはずなのに、両側に物が置いてあるので、白杖を振ることができません。両側に物があるので、誰かの誘導がないとぶつかってしまう。ご飯の配給を受け取りに行く、トイレに行くにしても家族に付き添ってもらわなければならず、移動が困難でした。
西村)避難生活が長く続きましたが、ご家族にお願いはできましたか。
大口)最初は「いいよ」とやってくれるのですが、家族もストレスを抱えているので、夜寝ているときに、トイレで起こすと嫌な雰囲気になります。「面倒くさいな」というのが感じられるようになって。家族にも頼みづらくなっていきました。
西村)今後、避難所運営にはどのような支援やサポートが必要だと思いますか。
大口)東日本大震災や熊本地震の経験を経て、防災に関しての法整備が進んでいますが、能登半島地震で感じたのは、高齢者、障害者に対応したマニュアル作りをしなければいけないということ。障害がある人は何もできなくなってしまいます。
西村)そのためにはどうしてほしいですか。
大口)一刻も早く法整備をし、福祉避難所が機能するようにする。個別避難計画を作ってもらいたいです。
西村)福祉避難所が早く開かれたらよかったですか。
大口)福祉避難所も被災地にあったので動いていませんでした。
西村)開設できない状況だったんですね。だから小学校に行ったんですね。
大口)本来なら、民生委員や個別避難計画に基づいた連絡員が来てくれるはずが、全く機能していなかったのが現実です。
西村)一般の避難所でも障害がある人が来たときの対策を考えておかなければいけませんね。
大口)障害者だから周りから離れるのではなく、障害者だからこそ、自分が障害を持っていること、自分という人間がいることを地域に示しておくことが大事だと思います。それはすごく簡単こと。挨拶をすればいいんです。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「ごきげんいかがですか」これだけでいいんです。
西村)どんな風に声をかけて助けて欲しいですか。
大口)震災に関わらず、日常も同じですが、急に腕をつかまないでください。親切でやってくれるのはわかるのですが、急に腕をつかまれたら怖いです。「できればお手伝いしましょうか」とまず声をかけてくれたら、「大丈夫です」「お願いします」という対応ができます。
西村)まずは「お手伝いしましょうか」という声掛けから始まるコミュニケーションを大切にしたいですね。大口さんどうもありがとうございました。
11月02日(日)
第1517回「夜の避難訓練」
オンライン:京都大学防災研究所 教授 矢守克也さん
西村)地震はいつどこで発生するかわかりません。もしも、寝ている夜の時間帯に地震が起きたら、昼間と違う状況の中、どのように身を守れば良いのでしょうか。きょうは、夜の避難訓練について、京都大学防災研究所 教授 矢守克也さんに聞きます。
矢守)よろしくお願いいたします。
西村)避難訓練は明るい昼間にしか経験したことがありません。夜の避難訓練もあるのですね。
矢守)昼間しか訓練をしたことがない人が多いと思います。地震や台風は昼間だけではなく、夜に襲ってくることもあります。
西村)阪神・淡路大震災や熊本地震も深夜、明け方の時間に発生しました。
矢守)多くの地震が夜中に起こっています。夜中に大雨が降ることもあります。夜の時間帯の避難訓練は大事です。
西村)夜に大きな地震が起きたら、昼間とは何が違うのでしょうか。
矢守)大きく2つ違います。1つは夜中なので暗いということ。大きな地震が起きたら停電になる可能性が高いです。熊本地震で親戚が被災したのですが、地震ですぐに電気が消えて、真っ暗になったそうです。2つ目は心理的な特徴。寝ていた場合、不意を突かれるので、十分に準備体制がとれません。寝起きで何が起こったかわからないと判断力も鈍ります。阪神・淡路大震災のときも、「真っ暗闇の中で何が起こったのかわからなかった」という人が多かったです。
西村)わたしは、中学1年生のときに大阪で震度4を経験したのですが、何が起こったかわかりませんでした。
矢守)真っ暗に加えて何が何だかわからず、準備ができない。夜中は条件が悪いです。昼間とは違います。
西村)真っ暗闇の中、地震が起こるとどんな危険があるのでしょうか。
矢守)そもそも避難訓練をやるときに、「玄関がスタート地点で外に出かけていく」という訓練をやってないでしょうか。「玄関までは何の問題もなく行ける」ということが前提になっている人が多いと思います。でも夜の場合は、そもそも玄関まで怪我をせずに無事に行けるのか。蛍光灯や食器などのガラスの破片が散乱しているかもしれない。自分の周りに大きなタンスが倒れていて動けないかもしれない。防災リュックは準備していてもどこにあるかわからない。戸棚がどっちの方向かわからないし、戸棚が開くかもわからない。熊本地震で被災した親戚は、下水の配管が壊れて、高層階なのに室内が水浸しになったそうです。
西村)それはかなりうろたえますね。
矢守)阪神・淡路大震災では2階で寝ていたはずなのに、外へ出ようと思ったら階段がなかったという例も。夜は室内から屋外に出るまでに起こることを想像しておくことが大事です。
西村)灯りがないのは、大きなハンデになりますね。
矢守)ヘッドライトや懐中電灯は、寝ているときに身の回りに置いておかなければなりません。
西村)手の届く範囲に置いておいて、飛ばされないようにくくりつけておく。家具の固定も大事ですね。自分が動けないと避難できないですもんね。何とか外に出られたとして、暗い中を歩くとなるとどんな危険がありますか。
矢守)10回以上、夜の避難訓練に参加して気づいたことは、小さな段差や小石のような障害物に自分の歳のせいもあるかもしれませんが、よくつまずくということ。階段などは気をつけるので大丈夫ですが、普段は気づかない傾いた道や側溝と道路の隙間などに足取られます。シルバーカーの車輪がひっかかることも。昼間だったら意識して避けることができますが、夜になると難しいです。マンホールで滑ることもあります。
西村)ただでさえマンホールは滑りやすいですよね。暗闇だとわからないし、転んでしまいそうですね。
矢守)被災地では液状化によって、マンホールが地面の上に飛び出ていることがあります。
西村)能登半島地震の被災地の輪島市でたくさん見ました。
矢守)電柱や電線が倒壊して垂れ下がっていると、昼間ならわかりやすいですが夜は見えにくいです。
西村)いろんな障害物があるし、上から何かが落ちてくる危険も。想像して動かないといけないし、体験しておくことは大切ですね。矢守さんがサポートした夜の避難訓練は、どんな地域で行われたのですか。
矢守)津波が来る危険のある地域で、海岸沿いの小さな集落で行われることが多かったです。高知県四万十町興津地区で、10回ぐらい夜の避難訓練をしました。夜だからこそ起こるトラブルやハードルがあるので、夜も避難訓練をやることになりました。
西村)四万十町では大きな地震が発生したら、何分で何mの津波が来るのですか。
矢守)興津地区の海岸線には、南海トラフ地震の場合、地震が起きてから20分後には津波の第1波がやってきて、35~40分後くらいに第2波もやってきます。高いところでは、10m以上浸水するかもしれないという厳しい地域です。
西村)だから夜間の避難訓練を何回も続けているのですね。
矢守)東日本大震災の後に避難訓練を始めました。2014年の伊予灘地震は、夜中に起こって高知県もだいぶ揺れました。2016年の熊本地震も夜に起こって、高知県内も揺れました。夜に地震が多いと思います。夜に津波から逃げなければならなくなったらどうするのかという声が住民や自治体からも上がって。危険も伴うけど、夜に避難訓練をやろうと始まりました。
西村)住民の声から始まったのですね。夜の避難訓練を実施している自治体は多いですか、少ないですか。
矢守)残念ながら多いとは言えません。高知県四万十町や黒潮町は10年近く、昼も夜も避難訓練を続けています。私の知っている限り、大きな事故は起こっていません。逆に夜ならではの課題も見つかり「やってよかったね」と言っています。ぜひ他の自治体でもやってほしいと思っています。
西村)昼間の避難訓練と夜の避難訓練で参加人数は変わりますか。夜は寒いし、暗いし怪我しそうと思ってしまいます。
矢守)地域の避難訓練は、土日の午前中に行われることが多いです。その時間帯は、子育て世代は、学校や子どもの行事がある。共働きの場合、たまの土日は、午前中は寝ていたいという人も多いです。土日は、避難訓練に出たいと思う時間帯ではないんです。その点、夜にやると仕事が忙しい人や子育て世代が参加しやすい。夜といっても夜中にやるわけではなく、冬場は18時くらいから暗いですよね。そのような時間帯に暗いときを想定した訓練をやって、その後はうちへ帰って夕飯にできます。夕飯前に少し運動をするノリで参加できます。昼の訓練に一度も参加したことがない人が意外に参加してくれます。避難訓練は昼も夜もやるのが正解だと思います。
西村)わたしたちが住んでいる街中で震度5の大きな地震が来た場合、津波の影響がない地域に住んでいても、避難した方が良いですか。それとも頑丈な建物なら家にとどまって良いのでしょうか。
矢守)建物の耐震性によりますが、耐震性が十分であれば、少々の余震程度で大きな影響を受けることはないでしょうから、慌てて外に出るよりは建物の中で様子を見る方が良いと思います。家具を全部固定できれば良いですが、中には固定できない家具もあると思うので、倒れそうな家具からは離れること。地震で建物が大丈夫だとしても、電気や水が止まってしまうと大変だとは思いますが...。
西村)でも火災が迫ってきていたら逃げなくてはいけないので、夜の避難訓練は、我が家もやらないといけないと思いました。
矢守)火災も大きな要因。しばらくは自宅にとどまるとしても寝入るのはよくない。テレビやラジオを通して、情報を取り続け、周りの様子に気を配ること。それなら、慌てて家から出ない選択肢もあると思います。
西村)矢守さんどうもありがとうございました。
10月26日(日)
第1516回「台風や豪雨時の車避難の注意点」
オンライン:アウトドア防災ガイド あんどうりすさん
西村)台風や豪雨の際の避難手段として車を利用する人も多いのではないでしょうか。しかし土砂降りの中での車避難には、水没や転落など多くの危険が伴います。
きょうは、アウトドア防災ガイドで、車の防災に詳しいあんどうりすさんに、台風や豪雨のときの車避難の注意点について教えてもらいます。
あんどう)よろしくお願いいたします。
西村)台風や豪雨のときの車避難の注意点を教えてください。
あんどう)「雨に濡れたくない」「高齢者がいる」などの理由で、車避難をしたい人も多いと思います。2019年に東日本に被害をもたらした台風19号では、犠牲者の3割が車中死でした。橋を渡ろうとしたとき、手前の道路が陥没して落ちてしまった例もあります。冠水している夜道をヘッドランプで照らすと、水で反射して真っすぐな道に見えることがありますが、進むとすり鉢状になっている場合も。冠水した道には、想定を超えるリスクがあると思ってください。
西村)恐ろしいですね。暗い時間、土砂降りのときに車で移動してはいけませんね。
あんどう)夜は夜のリスク、昼は昼のリスクがあります。夜は本当に怖いと思います。農村部で道路が冠水すると、田んぼや畑で用水路と道路の区別がつかなくなり、路外に落ちると水没するリスクが高まります。都市部では、道路の縁石にタイヤをぶつけてパンクさせたり、乗り上げてしまったりするリスクも。縁石ぐらいの高さまで冠水したら走らないこと。最近はマンホールが吹っ飛んだりしていますよね。
西村)マンホールの下から水が持ち上がって噴水のようになりますね。
あんどう)その上を車が通ってしまったら、バーンと下から水が来てしまうこともあります。脱輪で済めばいいですが、何が起こるかわかりません。水圧受けることになるので、冠水した道は非常に怖いと思っておいてください。
西村)冠水した道には、たくさんのリスクがあるのですね。
あんどう)泥水だったら何も見えないので、どこに縁石があるかもわからなくなります。
西村)歩道か車道か見分けがつかなくなりますね。縁石まで冠水したら、車避難はやめておいた方が良いですね。もし車が浸水してしまった場合は、どうなるのでしょうか。
あんどう)最近の車の電気系統は、脆弱ではなくなっているので、「冠水した道でも走りました」というような走行動画をみかけます。でもテストコースはまっすぐで、縁石もありません。そのような動画を見ると、「自分もいけるかも」とチャレンジ精神を持ってしまって、浸水した道を進んでしまう人もいます。気をつけてほしいです
西村)冠水した道で自分の前に走っている車がいたら、行けるかもしれない、と走ってしまいそうです。
あんどう)前の車が進むと、止まることが難しいかもしれません。エンジンが止まらなくても、ドアの敷居(タイヤの半分くらい)より水深が深くなると、浸水するリスクが高まります。車は雨が中に入らないように、ドアのところにパッキンのようなゴムがついています。雨が入らない程度のものなので、水圧を受けたら耐えられません。軽いパッキンなので水圧まで想定してないからです。水圧をかけると、じわじわ水が入ってくる可能性があります。そうすると、布張りの床の下には、良い車ほど厚いフェルトのようなものが車全体に敷かれていて、それが全部水を吸い取ります。そうすると、車が臭くなります。浸水した道には汚物も含まれるので、それを全部吸ってしまう。水がキレイだったとしても、後からカビ臭くなり、修理代がかかることになります。
西村)臭くなるのはイヤですね......。
あんどう)車が臭くなると思うと、水の中を進むのはやめようと思いますよね。車の臭さを気にして引き返すと、命を守ることができます。
西村)でも、どうしても迎えに行かないといけない事情などで、冠水した道へ車を走らせてしまったとき、冠水した道路で車が動かなくなってしまったらどうなりますか。
あんどう)ドアのあたりまで浸水すると水圧でドアが開けられなくなって脱出が不可能になります。そんなときは、浸水時に車から脱出するためのツールを利用してください。先がとがった金槌などで、窓ガラスを割ります。
西村)車から出られなくなってしまうのですか。
あんどう)ドアが開けられないので、窓ガラスを割るしかなくなります。そのまま天井まで浸水してしまうと、ドアが開くことがありますが、どこまで待っていいかわからないので、窓ガラスを割るツールが必要。
西村)窓ガラスを割るツールは、どんなものがありますか。
あんどう)先が尖った金槌のような物があります。振りながら窓を割るツールです。フロントガラスは、割れにくい合わせガラスになっているので、簡単には割れません。運転席の横や、後部の窓の四隅は割れる場合があります。高級車ほど横のガラスも割れない仕様になっているので、どんなガラスが使われているか調べてください。ネットでは、「ヘッドレストを取り外して窓ガラスを割ることができる」という情報が出回っていますが、JAFの実験では割れないという結果が出ています。車のヘッドレストは、衝撃を受けたときに頭を守るためのもの。簡単には取り外せなくなっているので、水没したときにうまく取り外せないこともあります。割ることも難しいので、専用のツールを持っている方が命を守ることができると思います。
西村)いろんなツールがあるんですね。あんどうさんがおすすめのものはありますか。
あんどう)国民生活センターや消費者庁はJIS規格のものを推奨しています。正規品と名前が一文字違うものなど、怪しい製品が多いからです。規格をクリアしているものはシートベルトカッター付きのものが多いです。車が横転したときに、自分の体重の重みでシートベルトが切れなくなることがあります。脱出するためにシートベルトカッターがあると役に立つので持っておいてください。これは、水没対策用ではなく、事故で車が炎上したときに脱出するためのもの。普段から備えておきましょう。水害で窓を割らければ出られないほどの状況では、窓から出ることができても流されてしまうリスクがあります。水に入ることで病気になることもあります。"ツールを持っているから安心"ではなく、そのような事態になる前に決断する、浸水しないようにすること何よりも大事です。
西村)早めの避難・決断が大事ですね。道具を揃えていたら安心してしいますが。
あんどう)浸水した道に入ってしまったら、窓ガラスを割っても助かるかわかりません。浸水して歩けない道は、車で走ることも危険になります。1.5m/sの水流になると、歩行者には、両足に約8.6kgずつの力がかかります。水の塊が押し寄せてくるので、3m/sになると木造家屋が倒壊してしまうことも。流れが速い水は怖いです。ハザードマップを見て、車で避難するときは、警戒レベル3で安全な場所に避難しましょう。「Yahoo!防災速報」や「NERV防災」など自治体が推奨するアプリを入手して、早めに判断してください。冠水した道には突っ込まないようにしましょう。
西村)警戒レベル3=高齢者等避難で避難できればベター。明るい時間の方が良いですね。
あんどう)明るい時間に避難するのが良いですが、明るくても雨がたくさん降っていると危険です。
西村)事前にハザードマップをチェックしておくことも大切。アプリも役立つのですね。
あんどう)雨がひどくなる前に通知を受け取れると思います。
西村)平時に、家族や友達と一緒に確認をしておきましょう。わたしたちの親世代も高齢者も今は、スマートフォンを持っている人も多いですし。うちの母は、まだアプリは使いこなしていないのですが......。
あんどう)防災アプリを入手して、一緒に使う練習をしてみてください。字が大きくなるから高齢者も使いやすいと思います。
西村)一緒にチェックして設定しておくと良いですね。
あんどう)"冠水した道を入ると車が臭くなる"ことも覚えておいてください。
西村)覚えておきます。早めの避難を心がけておきたいと思います。あんどうさん、ありがとうございました。
10月19日(日)
第1515回「台風や豪雨時、浸水から車を守る」
オンライン:アウトドア防災ガイド あんどうりすさん
西村)先月中旬、記録的な大雨に見舞われた三重県四日市市。四日市駅前の地下駐車場には大量の水が流れ込み、車274台が浸水しました。
きょうは、アウトドア防災ガイドで、車の防災に詳しいあんどうりすさんに台風や豪雨のときの車の防災について教えてもらいます。
あんどう)よろしくお願いいたします。
西村)あんどうさんはアウトドア防災ガイドとして、この番組にたくさん出演していただいていますが、車の防災にも詳しいのですね。
あんどう)夫がモータージャーナリストをしているので、一緒に車と防災の情報を発信しています。
西村)そうなんですね。そこで今回は、車の防災についてお聞きします。台風や大雨のときに車が駐車場で浸水しているのを見かけます。これはどのように防いだら良いのでしょうか。
あんどう)四日市の駐車場の浸水は、「管理者が扉を閉めていなかった」「故障を知りながら修理していなかった」という個別の事情がありますが、ここ数年、急速に状況が悪化する浸水害が増えてきています。ほかの場所でも同じようなことが起こる可能性はあると思います。四日市の場合は、21時53分に浸水害の大雨警報が発表になり、22時14分までの1時間の雨量が123.5mmで、観測史上最高を記録しました。
西村)あっという間だったのですね。
あんどう)都市部は通常1時間に50mmくらいの雨が降ると内水氾濫のリスクがあります。排水が追いつかないからです。1時間に100mmの雨はどれくらいの雨かイメージしにくいと思いますが、1m✕1mの範囲に1時間に1回、100kgの力士が1人落ちてくると思ってください。あらゆる場所、広い面で力士が落ちてくると考えてみてください。
西村)ものすごい重量ということですね。
あんどう)100mm=10cmでたいしたことはないと思ってしまいますが、すごい威力です。東京都で1時間に100mmの雨が降ったとき、10分ぐらいで浸水したという話もあります。相当怖い状況です。
西村)他人事ではありませんね。自分の車を地下の駐車場に停めているときに大雨が降ってきたら、どのタイミングで車を移動させるか悩んでしまいます。
あんどう)最近の雨は急速に状況が悪くなるので、警戒レベル4で避難していてはもう遅いです。警戒レベル3だとまだ間に合うかもしれません。四日市の大雨のときは、警戒レベル3の洪水警報が19時40分に出されました。市の対策本部も立ち上がっていて、2時間ぐらい余裕がありました。
西村)警戒レベル3相当なら、大丈夫かなと思いがちですよね。
あんどう)「高齢者等避難」は、"高齢者だけが避難"というイメージですが、警戒レベル3は、"高齢者でも避難できる余裕を持ったタイミング"です。だからこそ、その状況で危ないと判断するのが難しいと思います。球磨川の水害では、警戒レベル3のときに雨が止んで晴れてきていました。まだ大丈夫、と思いがちですが、低い土地に車を停めている場合には危ないと判断してほしいです。
西村)最近は雨の量も増えてきているので、あっという間に膝から腰の高さまで浸水してしまいます。"晴れてきたから大丈夫"ではなく、"晴れているからこそ避難のチャンス"と思った方がよさそうですね。覚えておく数字としては、「警戒レベル3」ですね。
あんどう)車を停めた場所が、浸水エリアではないかハザードマップで確認しておきましょう。国土交通省が運営しているハザードマップを検索すると、「重ねるハザードマップ」と「自治体のハザードマップ」が出てきます。「重ねるハザードマップ」は住所を入力すれば、その場所のリスクがわかります。「自治体のハザードマップ」はPDFになっていて、自分でリスクがある場所を調べます。「重ねるハザードマップ」にはない内容や過去の浸水リスクが書かれている場合もあるので、両方調べておきましょう。「重ねるハザードマップ」は、小さな川の情報や用水路の浸水については、反映していない場合があるので注意が必要です。
西村)小さな川や用水路もあふれると危険ですか。
あんどう)川の大きさに関わらず氾濫すると危険です。用水路は、道路が浸水するとどこにあるのかわからなくなってしまいます。用水路がある場所だけ流れが速くなっていて、引ずり込まれてしまう危険性があります。
西村)用水路のところが流れが速くなるのはなぜですか。
あんどう)川でも速い流れと緩い流れがありますよね。浅いところは緩いけど、深いとことは流れが速く、引き込まれてしまいます。国土交通省のYouTube「きみの街にひそんでいる。気をつけ妖怪図鑑」という動画がわかりやすいです。そこに「妖怪ひっぱりだこ」というのが出てきます。用水路にいるタコみたいな妖怪が速い流れに引きずり込んでくるんです。
西村)子どもと一緒に見ても楽しそうですね。小学生編、高校生編などあるんですね。
あんどう)セリフが違ったりするだけで、内容は大体一緒です。
西村)高齢者にも伝えやすそうです。
あんどう)この動画はよく公演でも使っていて、大人気です。アンダーパスや木造家屋倒壊の危険性などをわかりやすく妖怪で説明しています。いい動画なのに、あまり知られていません。ぜひ検索して見てみてください。
西村)事前にいろいろ調べておくことが大切ですね。
あんどう)車を運転している人はハザードマップでいつも停めている場所、職場や学校などを調べておきましょう。高低差がある場合があるので、移動している途中に、よく浸水している場所がないかチェックしておきましょう。川や橋の近くは低くなっている場合があります。Googleマップの自転車ルートで検索すると、道の高低差が出てきます。
西村)旅行先もチェックしておくとよさそうですね。
あんどう)旅先で被害にあう場合もありますので、駐車場だけではなく、旅先の浸水区域も調べておきましょう。
西村)車を守りたいときできることは、ほかにもありますか。
あんどう)台風が来そうなとき、マンションの1階や地下に車を停めている人が、上の階に停められるように練習しているマンションもあります。上の階の権利を持っている人たちと協力して避難させるのです。
西村)みんなで練習するのは良いですね。コミュニケーションをとることができる関係性も素晴らしいですね。
あんどう)ほかにもショッピングモールの屋上駐車場など、高さがある駐車場を臨時避難場所として使えるように自治体と協定を結んでいるところもあります。オープンスペースになっていると端の方は台風だと外から物が飛んでくるので、注意が必要です。
西村)外から物がとんできて、車が破損することもありますね。
あんどう)真ん中のスペースは人気ですぐ埋まってしまうそうです。和歌山など台風に慣れている地域では、若い人でも車を避難させるのが当たり前で、すぐ行動しているのを見たことがあります。当たり前のところは当たり前なんだなと。
西村)家族も周りの人もそのようにしてきたのでしょうね。
あんどう)過去に浸水被害があったのだと思いますが、「台風のときには車も避難するのが当たり前」と考えているのがすごいなと思いました。
西村)地下駐車場だけでなく、家の駐車場でも浸水被害にあうこともあります。旅行先、職場でもどこに停めるかをあらかじめ決めておいた方が良いですね。
あんどう)水は必ず高いところから低いところに流れていくので、ほんの10cmの段差でも乗り越えられずに低いところに流れていくこともあります。少しでも高いところに停めると良いと思います。台風は事前に知ることができる災害。急激に悪化してくる雨は、悪化してきてからは何もできないことも多いのですが、事前に情報をしっかりキャッチして、警戒レベル3ぐらいから車を安全に守る方法を検討してください。高台にできるだけ車を避難させてください。
西村)あんどうさん、ありがとうございました。
10月12日(日)
第1514回「写真洗浄ボランティア"あらいぐま大阪"」
ゲスト:あらいぐま大阪 篠原佳代子さん
西村)2011年の東日本大震災をきっかけに始まった「写真洗浄ボランティア」。津波で流され、海水や泥で汚れてしまった写真を洗浄し、持ち主に返すボランティア活動です。この活動はその後、「あらいぐま作戦」として全国各地に広まりました。
きょうは、2019年から大阪を拠点に、写真洗浄の活動を始めた「あらいぐま大阪」の代表 篠原佳代子さんにスタジオにお越しいただきました。
篠原)よろしくお願いいたします。
西村)「あらいぐま大阪」はどんな活動を行っているのですか。
篠原)このボランティア活動は2011年の東日本大震災をきっかけに始まりました。その後、西日本豪雨(2018年)や熊本豪雨(2020年)などもあり、全国的に広まりました。わたしは、西日本豪雨のときに倉敷市真備町で初めて写真洗浄ボランティアに参加しました。写真洗浄という活動があるのは知っていましたがなかなか行く機会がなくて。真備町にはボランティアで入っていたので、写真洗浄ボランティアに一度行ってみようと始めました。
西村)被災者が大切にしている写真を洗浄する体験をして、どう思いましたか。
篠原)そんなに難しくなくて、やりやすいボランティアでした。とても手間がかかる作業なので、たくさんの人の手が必要だと思いました。思い出を守ることができるので、やりがいがあると思います。
西村)篠原さんはなぜ代表になって、大阪で活動しようと思ったのですか。
篠原)真備町に毎週通えないので、写真を送ってもらったり、持ち帰ったりすることができれば、大阪でもできると思いました。呼びかけたところ、トントン拍子で話が進み、毎週活動ができるように。自分がやりたかったことをやったら、みなさんが集まってくれたんです。
西村)毎週日曜日に大阪市阿倍野区の桃ケ池公園市民活動センターで写真洗浄会が開催されています。先月行われた「あらいぐま大阪」の写真洗浄会にわたしも参加してきました。そのようすをお聞きください。
音声・西村)「あらいぐま大阪」の活動場所にやってきました。きょうの参加メンバーは約10人。多くが大学生です。みなさん作業を進めています。篠原さん、わたし初めてなのでやり方を教えてください。
音声・篠原)アルバムが濡れてしまった場合は、早く乾かすことが大事。濡れたままにしておくとどんどん劣化が進んで、インクが溶けて何が映っているかわからなくなります。アルバムが乾いたら、写真を剥がします。次に剥がした写真を洗い流して干します。洗い残りや水滴の汚れをエタノールでふいて綺麗にして、ポケットアルバムに入れてお返しします。
音声・西村)きょうは、どんな作業をするのですか。
音声・篠原)きょうは、アルバムの台紙から写真を剥がす作業です。
音声・西村)どちらの被災地の写真ですか。
音声・篠原)昨年9月の奥能登豪雨で被災した輪島の写真を大阪で預かったものです。
音声・西村)こちらの写真はかわいらしい男の子が写っています。保育園の写真でしょうか。水に濡れて粒がついています。これはカビですか?
音声・篠原)台紙が黒くなっている部分はカビです。黒や緑になっています。粒はインクが溶けた状態で乾いたものです。台紙の糊に写真を貼っていくタイプのアルバムは、糊にカビができます。まず台紙から写真を剥がすためにフィルムをカッターナイフで切ります。このときに裏の写真を切ってしまわないように、フィルムだけを切ってください。
音声・西村)力を入れすぎると裏の写真まで切ってしまうんですね。フィルムをやさしく切って、カッターナイフの先の部分を写真の下に滑り込ませて優しく剥がしていきます。最初の写真を剥がしているところですが、間に黒い粒々が予想以上に多くついています......今取れました!
音声・篠原)簡単に剥がれる場合もありますし、このように台紙が一緒に付いてきてしまうことも。なるべく写真を守って作業してください。
音声・西村)家族の思い出が伝わってきて、すごく温かい気持ちになります。カッターで大切にフィルムを切っています。
西村)アルバムの汚れ具合がすごくかったです。白いアルバムが泥と水に浸かってシワシワになっていて、ページも張り付いていました。写真の汚れを丁寧に取り除いていくと見えてくる表情があるんです。不器用なわたしに務まるのか心配でしたが、篠原さんが優しく丁寧に教えてくれました。ありがとうございました。
篠原)こちらこそありがとうございます。
西村)台紙も波打っていて汚れもすごいのですが、丁寧に剥がす作業は大変ですね。
篠原)そうですね。より多くの人に手伝ってもらえたらと思います。
西村)どの作業が一番大変ですか。
篠原)状態によりますが、西村さんに体験してもらった、アルバムから写真を剥がす作業は時間がかかります。最初の干す作業は、なかなか乾きにくいので大変かもしれません。みなさんに手伝ってもらう工程ではないのですが。
西村)アルバムが泥に浸かってしまったら、すぐに干しておいた方が写真の再生には効果的なのですね。
篠原)汚れてビニール袋に入れてしまう人が多いですが、濡れた状態のまま泥を落としてからすぐに干してください。ページが重ならないように広げて干すと写真を守ることができます。
西村)わたしが取材に行った日は、追手門学院大学の学生さんたちが参加していました。学生さんにお話を聞きました。
音声・西村)写真洗浄のボランティアに参加するのは何回目ですか。
音声・学生A)2回目です。
音声・西村)何がきっかけでこのボランティアを知ったのですか。
音声・学生A)大学のボランティアの部活で存在を知って、やりがいがあって、楽しそうと思って参加しました。写真が手元に帰ってきたときにうれしいと思ってもらえるようにやっています。
音声・西村)実際に被災地には行ったことはありますか。
音声・学生B)被災地に行ったことはないのですが、行ったことがなくても、被災者に対して何かできるのがいいなと思って。少しでも力になれたらと参加しています。
西村)もうひとり、お話を伺ったのは、「あらいぐま大阪」で2年以上、写真洗浄ボランティアを続けている西川利子さんです。西川さんは、自分自身の家族の思い出を重ねながら作業を行っているそうです。
音声・西川さん)写真洗浄をしていると無になれるんです。この写真、多分幼稚園の運動会だと思うんですけど、"うちの娘の運動会もこんなんやったな..."と。わたしも思い出すきっかけになる。きっとこのアルバムの持ち主もこれが帰ってきたら、被害にあう前の暮らしを思い出して、先に進む小さなきっかけになるんじゃないかなと思います。
音声・西村)一番印象的だった写真は。
音声・西川さん)生まれたばかりの赤ちゃんの写真がいっぱいあって。おっぱいをあげている写真があったんです。その赤ちゃんが大きくなっていたら、これは絶対残しておいてあげたいなと思いました。
西村)作業している人にも思いがあるんですよね。西川さんは60代。この日は大学生が多かったのですが、いつもどんな人が参加しているのですか。
篠原)SNSを見て、個人で参加してくれる人もいますし、最近は大学生が団体で参加してくれています。よく来てくれる小学校2年生の女の子もいます。座って手作業ができるので、高齢者もたくさん参加しています。
西村)お孫さんと、おじいちゃん・おばあちゃんが一緒に参加することもできるのですね。被災地に行きたいけど行けない人が、大阪できるというのも良いですね。どうやってこの写真を預かるのですか。
篠原)能登半島地震や奥能登豪雨で被災したアルバムは、「あらいぐま能登」からアウトソーシングで預かったり、直接持ち主から送ってもらったりしています。現場作業に入っているボランティア団体から声をかけてもらってつながることもあります。
西村)洗浄後のアルバムを持ってきてもらいました。こんなに綺麗になるんですね!泥をウェットティッシュで拭いて、枠が白くなっている部分はあるのですが、ここまで綺麗になるのなら捨てない方が良いですね。返却したときの持ち主の反応はいかがですか。
篠原)高齢者は写真に対する思いが強く、「生きてきた証。本当にありがとう」と言ってくれます。「これから生きていく糧になる」と言ってもらったこともあります。
西村)写真につけられていた付箋からアルバムを作った人、撮影した人のお子さんへの愛情も伝わってきます。写真は心の復興に欠かせないものですね。
篠原)やりがいがあります。写真が水に濡れたり、泥をかぶったりすると捨てしまう人が本当に多いのですが、このように残せるので、捨てないでほしいです。捨てることはいつでもできます。捨ててしまったら終わりなのでぜひ残してほしいです。
西村)ありがとうございます。写真洗浄ボランティア「あらいぐま大阪」に参加したい人はインスタグラムとFacebookで情報発信しているので、「あらいぐま大阪」で検索してみてください。篠原さんどうもありがとうございました。