第1531回「災害時に役立つポリ袋クッキング」
ゲスト:NPO法人ミラクルウィッシュ 代表 益田紗希子さん

西村)災害によって電気やガスなどのライフラインが断たれると、いつも通りに料理をすることが難しくなります。しかし、災害時にこそ、温かく美味しい食事を食べることが健康や心の安心につながります。
きょうは、防災活動に加えて、災害時に役立つ「ポリ袋クッキング」の普及活動にも力を入れているNPO法人ミラクルフィッシュ 代表 益田紗希子さんにスタジオにお越しいただきました。
 
益田)よろしくお願いいたします。
 
西村)益田さんは普段の料理にもポリ袋を活用されているそうですね。ポリ袋クッキングの魅力は何ですか。
 
益田)洗い物が減ることです。主婦にとってはありがたいですよね。時短にもなりますし、災害時にも役に立ちます。
 
西村)電気やガスが使えなくなってもカセットコンロがあれば、料理を作ることができるのですね。益田さんは昨日もポリ袋調理をしたそうですが、何を作ったのですか。
 
益田)手羽先を作りました。よく作ります。
 
西村)手羽先は、圧力鍋で作るイメージがあります。
 
益田)家族はポリ袋で作る方が好きみたいで。袋で作ったか鍋で作ったかわかるみたいです。
 
西村)味の違いがあるのですか。
 
益田)ポリ袋で作るとお肉が柔らかくなるんです。
 
西村)益田さんは、どんなきっかけでこのポリ袋クッキングを始めたのですか。
 
益田)元々料理に興味はなかったのですが、コロナ禍にみんなで防災クッキングをやろうということになって。オンラインで料理はやったことがなかったんですけど、まずは自分ができるようになって、それを伝えていこうとはじめました。
 
西村)そこから試して、今、レシピはどれぐらいあるんですか。
 
益田)今は45ぐらいのレシピがあります。
 
西村)ポリ袋でいろんな料理が作れるのですね。
 
益田)普段フライパンで作っているものをポリ袋で作ってみることもあります。オムライスやオムレツも卵とご飯を一緒に袋の中で炊くだけでできるんです。
 
西村)ポリ袋というと、スーパーにある半透明の袋が思い浮かびますが、どんな袋でも良いのですか。
 
益田)ゴミ袋などにつかう袋は低密度で、お湯に入れると溶ける素材のものがほとんど。ポリ袋で料理をする場合は「高密度ポリエチレン」という専用の袋を使ってください。湯煎調理が可能かを買う前に確認してください。岩谷マテリアルの「アイラップ」が有名ですが、ほかのメーカーからもいろいろな種類が売られています。お湯に入れるときは、耐熱皿を必ず底に敷いてください。熱に強いとはいえ、直接火にあたると破れることがあります。
 
西村)地震でお皿が割れたり、どこにあるかわからなくなったりした場合は、かわりに準備しておくと良いものはありますか。
 
益田)布巾や金属製のザルでも問題ありません。
 
西村)鍋とセットにして置いておくと良いですね。お鍋の大きさはどれくらいが良いですか。
 
益田)深い鍋がおすすめです。パスタを茹でたり、カレーを作ったりするような深い鍋なら美味しく調理することができます。
 
西村)カセットコンロとボンベも必要ですね。使用期限もチェックしておきましょう。今、スタジオにご飯が用意されています。スタッフがポリ袋でご飯を炊いてくれました。暖かいご飯がポリ袋の中に入っています。ホカホカです!早速ハサミで切ってみますね。
 
益田)切るときはコツがあります。くくったところのすぐ下を切ってください。
 
西村)空気をぬいて上の方でくくってくれています。(パチッとハサミで袋をカット)結び目の真下を切りました。炊きたてのいい香りがします。少しほぐして...炊飯器で炊いたご飯と全然変わらない良い香り!いただきます!
 
(炊き立てのご飯を試食)
 
益田)味はどうですか?
 
西村)美味しい!
 
益田)すごい!スタッフさん上手に炊けましたね。
 
西村)ちゃんとお米の甘みもあります。ポリ袋で調理するともっと硬くなるかと思いましたが、これは良いですね!災害時にもキャンプにも使えますね。
 
益田)キャンプで使う人も多いです。火さえあれば調理できるので。
 
西村)鍋の中にレトルトカレーも一緒に入れて同時に調理することもできますね。このお米の炊き方をおしえてください。
 
益田)無洗米でも普段使っているお米でも大丈夫です。水は1合に対して200ml入れて、炊飯器と同じで、浸水時間をとってください。
 
西村)米とお水をポリ袋に入れて、しばらく置いておくのですね。
 
益田)30分ぐらい置いてください。その後、お湯につけて弱火で30分。お湯からあげたあと、10分ぐらい蒸らすと、さらに美味しくなりますよ。
 
西村)想像以上に美味しく炊けていしました。袋から直接食べるので、洗い物もいらない。これは水が使えないときも良いですね。
 
益田)少量の水で料理することができます。
 
西村)ミラクルウッシュのホームページからレシピをダウンロードすることができます。わたしは娘と一緒にフルーツゼリーを作りました。みかんの缶詰と粉寒天で簡単に作ることができて、とても美味しかったです。娘はポリ袋にみかんと粉寒天を入れて、踊りながらシェイクしていました。ほかにはどんなものが作れるんですか。
 
益田)子どもに人気なのは蒸しパンです。ホットケーキミックスと水や牛乳で作ることができます。トッピングにチョコレートや抹茶パウダー入れてもいいですね。ぜひやってみてほしいです。
 
西村)ホームページにいろいろなメニューが載っています。肉じゃがや魚の煮付け、丼物もありました。興味が湧いてきた人はぜひチェックしてください。
 
益田)ほかにも料理研究家が出しているポリ袋クッキングの本もたくさんあります。作りたくなるレシピがいっぱいあるのでぜひ調べて作ってみてください。普段からやらないと、災害が起きたときにいきなりやるのは難しいです。平時から時短料理としてやってみてください。
 
西村)普段やってみてわかったことはありますか。
 
益田)最初の頃は、ご飯がベタベタになったり、硬くなったりして食べられないこともありました。お米の種類を変えたらうまく炊けなくなったことも。水の吸い方が違うのだと思います。
 
西村)季節によっても変わるかもしれません。
 
益田)みんなが同じように炊けることを目指していますが、練習しないと難しいと日々感じます。今でも失敗することもあります。
 
西村)やりながら学んでいくということですね。改めて災害時の備えとして、益田さんが推奨していることはありますか。
 
益田)まずは、カセットコンロ、ボンベ、水、普段から食べているもの備えておいてください。お子さんの好きなものは少し多目に買って、食べたら新しく同じだけの量を買う"ローリングストック"を心がけてください。
 
西村)在宅避難ができる家なら、多めに備えておく方が良いですね。
 
益田)家が一番安心できる場所だと思うので、電気・ガス・水道が使えなくても、1週間生き延びることができるように備えをしておくと安心です。1週間分ぐらいは用意しておいてください。ポリ袋クッキングは、簡単にできるレシピがたくさんあるので、普段の生活で時短料理として取り入れてみてください。
 
西村)災害時に役立つポリ袋クッキングを教えていただきました。益田さん、ありがとうございました。

第1530回「阪神・淡路大震災31年【6】~地震火災への備え」
オンライン:NPO法人「日本防火技術者協会」理事長 関澤愛さん

西村)阪神・淡路大震災31年のシリーズ6回目のきょうは、地震火災についてです。阪神・淡路大震災では、285件の火災が発生しました。住宅が密集していた神戸市長田区を中心に、7000棟近い建物が焼失し、大勢の人が亡くなりました。地震火災のリスクと課題について、NPO法人「日本防火技術者協会」理事長 関澤愛さんに聞きます。
 
関澤)よろしくお願いいたします。
 
西村)地震火災は普通の火災とは違うのでしょうか。
 
関澤)平時は、1件の火災に何台ものポンプ車が駆け付けて火を消すことができますが、地震時には同時多発で火災が起きます。ポンプ車より火災件数の方が多いという状況になり、大規模火災になってしまう。当時、長田区の長田消防署にある4台のポンプ車に対して13件も火災が起きました。2件は消すことができましたが、のこり11件は1000平米以上に火が広がってしまいました。
 
西村)3倍以上の火災が起きてしまったのですね。神戸市全体ではどうでしたか。
 
関澤)神戸市全体では、ポンプ車40台に対して、約60件の火災が起きました。これは北区や西区など地震被害が少なかったところを含めた台数。被害が集中した海岸沿いの区ではポンプ車が圧倒的に少ない状況でした。
 
西村)普段なら火災は1日に何件ぐらい起きるのですか。
 
関澤)阪神・淡路大震災が起きた当時の神戸市では、1日の建物火災は2~3件程度。同時に発生するわけではなく時間をあけて出火するので、いろんな消防署から消防車が駆けつけて火を消すことができます。
 
西村)阪神・淡路大震災では、どのような理由で火災が発生したのですか。
 
関澤)地震が発生した5時46分から6時までの15分の間に多数の火災が発生しました。建物の倒壊、損壊に伴うガス管の破断や損傷によってガスが漏れ、それに着火して火災が発生。7時以降~翌日は、電気に関係した火災が多かったです。電気器具の配線が断線、損傷すると発火しやすくなります。電気ストーブや観賞魚用ヒーターが転倒して、近くの可燃物に着火して火災が起きる。翌日~2日後に停電が回復したときに電気が通じたことによって、火災が起きることもあります。阪神・大震災以降、通電火災という呼び名で注目されるようになりました。
 
西村)阪神・淡路大震災が起こった1月は寒いですし、布団やこたつ布団など燃えやすいものが多いですね。
 
関澤)暖房器具も出火を増やす要因になったと思います。
 
西村)阪神・淡路大震災のときは、火が燃え続けている時間も長かったのでしょうか。
 
関澤)大規模火災になったので、なかなか消防が駆けつけることができず、消防隊が渋滞で火災現場に到着できないことも。翌日以降まで消火に時間がかかりました。
 
西村)普段なら、十分に水を使うことができますが、断水で水が使えないですしね。
 
関澤)断水になると消火栓も使えません。当時の神戸市には防火水槽も少なかったので、それが消火の困難につながっていました。火災が広がった理由は、建物の倒壊にもあります。道が封鎖されて、消防車が駆け付けたくても火災現場に到達できず、ホースを伸ばしたくても伸ばせない。建物の倒壊が消火活動を困難にしました。
 
西村)火災による延焼が指摘されているのが、木造密集地。去年11月の大分県佐賀関の火災も住宅密集地が被害に遭ってしまいました。関西には、こうした危険な密集地の6割が集中しています。なぜ木造密集地では、火災の被害が広がりやすいのですか。
 
関澤)古い木造住宅が多く集まっていて、壁、建物の外観に木造部分が多く、着火して延焼しやすくなっている。古い木造は倒壊しやすく、燃えやすい。木造同士が非常に接近しているので、火災が一件起きたら延焼しやすい。佐賀関の火災も密集した街区だったので、延焼も早く、消防隊も中に入っていけなかったのです。
 
西村)木造密集地で火災があちらこちらで起きると消火活動も難しくなりますか。
 
関澤)平常時なら、消火栓も使えるし、ポンプ車もたくさん集まってくるので、包囲作戦をとって消すことができますが、地震時は、1件の火災にポンプ車が1~2台しか行けない、水も足りない、最初に倒壊した建物で延焼が始まると手がつけられなくなる。佐賀関の場合は、強風で飛び火し、最初の段階で急速に延焼したことで大規模火災になりました。
 
西村)対策はできるのでしょうか。
 
関澤)国が指定する「地震時に著しく危険な密集市街地」は、この10年で減少しました。ただそれは木造密集市街地のわずかな部分。大規模火災が起きた糸魚川市も、能登半島地震の輪島市も、佐賀関もすべて木造密集市街地です。全国にはまだ対策されていない木造密集市街地がいたるところにあります。
 
西村)数がカウントされていない場所でも火災が起こると危険な場所がまだまだあるということですか。
 
関澤)国も自治体も手をこまねいているわけではありません。根本的な改善のためには、木造密集市街地を全面的に不燃化することが基本的な対策ですが、住民に納得してもらい、合意を得て進めるには時間も労力もかかります。
 
西村)なぜ住民の合意を得るのが難しいのですか。
 
関澤)想像してみてください。「今住んでいるところに新築の鉄筋コンクリートの家を建ててください」と言われたら。しかも「自分のお金で建ててください」と言われてすぐに「はい」とは言えませんよね。リタイアした人たちが多いし、すぐに合意を得ることは難しいです。
 
西村)金銭的にも難しいですし、住み慣れた土地を離れてしまうと、近所付き合いもなくなってしまうかもしれないし。
 
関澤)国や自治体では、現在2つの方策で事業を行っていいます。ひとつは、木造密集市街地同士の街区間の延焼を防ぐために、道路のすぐ脇にある建物を不燃化して、延焼遮断帯を作って、街区間の延焼を防ぐこと。もうひとつは、木造密集市街地の中には二項道路(4m未満の道路)が多数あるのですが、拡幅整備を補助する狭あい道路拡幅促進整備事業があります。道が広がると消防車が通れるようになります。全面不燃化は道遠いですが、道路を広げるなどできるところから取り組みが行われています。
 
西村)少しずつ進んでいる地域もあるのですね。わたしたちは地震火災について、どんなことに気をつけたら良いでしょうか。
 
関澤)木造密集市街地の安全は国や自治体が進める公助。公助だけではたりません。地震時は、ポンプ車の数よりも火災件数が多くなります。地域にいるわたしたちが少しでも火災件数を減らすための努力をしなければなりません。ひとつは出火防止。耐震自動消火装置付きの安全器具や感震ブレーカーの使用、調理器具のスイッチやガスの元栓を閉めるなどのとっさの火の始末。各家庭での火を出さない努力が求められます。万が一、火災が起きた時、大規模な火災にしないためには、初期消火をする必要があります。一家にひとつは消火器を備えておくこと。小さい火であれば消火器で消すことができるので、消防署の負担を減らすとことができます。それでも火災が起きて火が広がった場合は避難が必要。最寄りの小・中学校の体育館ではなく、火災から安全で、熱からも影響を受けにくい広場や公園に避難しましょう。各自治体で指定されている広域避難場所の場所をふたつ以上覚えて、どこから火災が迫ってきても安全な方向に逃げられるように備えておきましょう。
 
西村)詳しく教えてくだり、ありがとうございました。

第1529回「阪神・淡路大震災31年【5】~口腔ケア」
ゲスト:ときわ病院歯科口腔外科部長 足立了平さん

西村)阪神・淡路大震災31年のシリーズ5回目のきょうは、災害関連死を防ぐ「口腔ケア」についてお伝えします。ゲストはときわ病院 歯科口腔外科部長で、兵庫県保険医協会 副理事長も務めている足立了平さんです。
 
足立)よろしくお願いいたします。
 
西村)阪神・淡路大震災の発災当時、足立さんはどんな活動をしていたのですか。
 
足立)わたしは神戸市中央区で被災しました。当時勤務していた長田区の市民病院が被災し、診療ができないので避難所を回っていました。避難所は水が不足していたので、歯磨きや入れ歯の掃除ができない状況。虫歯や歯周病の予防のために、歯ブラシや歯磨き粉を配っていました。
 
西村)被災者に歯ブラシを渡したときはどんな反応でしたか。
 
足立)「こんなときになぜ歯磨きをしないといけないのか」と強い言葉で追い返されたことも。避難所で肺炎が多いことは内科の先生から聞いていましたが、肺炎の原因が口の中の細菌が原因でおこる誤嚥性肺炎ということは、わかっていませんでした。
 
西村)誤嚥性肺炎は、お正月に高齢者が餅を詰まらせて亡くなる病気というイメージがあります。
 
足立)口の中の唾液を誤嚥することもあります。唾液の中にはたくさんの細菌がいます。歯磨きができないと細菌の数は増えます。細菌を含んだ唾液を誤嚥してしまったときに、体力が落ちている人は肺炎を起こします。それを誤嚥性肺炎といいます。
 
西村)当時、肺炎で亡くなる被災者が多いことはわかっていたけど、それが誤嚥性肺炎ということはわからなかったのですね。
 
足立)口のケアをしっかりしていれば肺炎が減るとわかったのは、1999年のこと。当時は誤嚥性肺炎は、口とは関係のない病気と思っていました。
 
西村)誤嚥性肺炎は、高齢者の病気というイメージがありますが、災害時はどうですか。
 
足立)災害関連死の中で最も多い疾患が肺炎。阪神・淡路大震災では4分の1の人が肺炎で亡くなりました。肺炎の多くが誤嚥性肺炎といわれています。普段も誤嚥性肺炎で亡くなる高齢者が多いですが、災害時は若い人でも体力が低下した人、持病がある人が誤嚥性肺炎で亡くなっていて、普段よりも平均年齢が下がることがわかっています。
 
西村)高齢者はなぜ誤嚥性肺炎になってしまうのですか。
 
足立)若い人に比べて体力が落ちている、飲み込む筋力が落ちている、口の中が汚れたままになっている、という理由があります。高齢者は、虫歯になったら歯科医院に行きますが、普段から磨いたり、歯のケアをしたりする意識が低い。災害時は水がないので歯磨きができないと思い込んでいる人が多いと思います。
 
西村)水が配られても、「歯磨きに使って良いのか...」と思ってしまいそう。
 
足立)「貴重な水を歯磨きや入れ歯の掃除に使うなんて」と。これは東日本大震災、能登半島の支援に行ったときにも同じでした。
 
西村)災害時の口腔ケアで重要なことは何でしょうか。
 
足立)自分で磨くセルフケアは重要ですが、避難所で歯磨きがきちんとできる環境を整えることも大事。体育館や学校の教室には、水場がほとんどありません。運動場の真ん中に自衛隊が水場を作ってくれますが、電気や屋根がないことが多い。雨が降ったら使い勝手が悪いので、明るいうちに1回歯磨きに行く程度、という人がほとんどでした。避難所に使い勝手の良い近場の水場を作ること。公助として国や自治体がしっかり取り組んで欲しいですね。
 
西村)わたしたちができることは何ですか。
 
足立)普段からしっかり歯磨きをしておくこと。災害時には、口腔ケアがおろそかになりますが、歯磨きは虫歯や歯周病の予防・治療ではなくて、肺炎から命を守るためのケアだということを知ってほしいです。
 
西村)歯医者さんは痛いし治療費も高い。少々の痛みだったら我慢しようと思ってしまいます。
 
足立)それが一番よくない。痛くなってからではなく、普段からケアのために歯科医院を受診してほしいです。3~4ヶ月に一度は検査、クリーニングをすることによって虫歯や歯周病が見つかります。
 
西村)命を守るために日頃から歯医者さんでケアすることが大切なのですね。虫歯を抱えたまま被災して、水のない避難所に行ったらどうなってしまうのだろう...と思います。
 
足立)口腔ケアをしないと肺炎になることを理解してほしい。体力の低下も肺炎の原因になります。初期の避難所では、冷えたおにぎりしか出きません。歯がなければなかなか食べることができません。普段から食べられる、飲める口を整備しておくことがサバイバルを生き抜く自助になります。東日本大震災や能登半島地震では、誤嚥性肺炎という言葉は知っていても、口の中の菌が原因で起こる肺炎だとは知らない人が多かった。普段から口腔ケアをしっかりしていれば、災害関連死は少なかったと思います。口の中のケアを普段からしっかりしておくことで、しっかり食べられる口を作っておいてほしいです。
 
西村)口腔ケアグッズも備えておくことが大切ですね。
 
足立)歯ブラシだけではなく、歯間ブラシやデンタルフロス、液体歯磨も備えておきましょう。液体歯磨きは、水ですすぐ必要がないので罪悪感が少ないと思います。
 
西村)液体歯磨きは、平時でも便利ですね。
 
足立)避難所では、液体歯磨きの使い方がわからない人もいました。支援物資の中に使い方がわからないグッズが山積みされて、もったいない状況がありました。入口にアルコール消毒薬と口腔ケアの液体があって、手を消毒している人も。指導する専門家が必要だと思います。
 
西村)避難所だけではなく、在宅避難をしている人のところにも、くまなく回れるように国の対策をしっかりしてほしいですね。
 
足立)在宅避難をしている人は、体力が落ちている人が多く、東日本大震災後の調査では災害関連死が増えている。肺炎で亡くなった人が増えたと予想しています。指定避難所は自治体の支援がありますが、在宅避難者には支援物資が遅れます。入れ歯を持ち出せなかったという報道も。阪神・淡路大地震のときは、入れ歯がない人が食べることに困ったという話もありました。
 
西村)教訓を生かして、平時から口腔ケアをしていきましょう。足立さんありがとうございました。

第1528回「阪神・淡路大震災31年【4】~落下物への対策」
ゲスト:アウトドア防災ガイド あんどうりすさん

西村)阪神・淡路大震災31年のシリーズ4回目の特集は落下物への対策です。
きょうは、兵庫県立大学大学院で、家具類の転倒・落下・移動に関する調査・研究をしたアウトドア防災ガイドのあんどうりすさんにスタジオにお越しいただきました。
 
あんどう)よろしくお願いいたします。
 
西村)あんどうさんは、なぜ家具類の転倒・落下・移動に関する調査研究をしたのですか。
 
あんどう)防災のレクチャーをしているときに、「賃貸なので家具固定ができない」という悩みが多かったんです。賃借人でも家具固定できるように、助成金などの政策について研究しているときに、「どれぐらいの人が、どんな家具で亡くなったのか」について調べようしましたが、国はデータを持っていませんでした。家具で何人亡くなったかわからないままでは、論文が書けないので調べました。新聞記事や遺族集、証言集などあらゆるデータを探しました。
 
西村)ひとつひとつ、あんどうさんが調べていったのですか。
 
あんどう)別の先生たちが調べたデータも参考にしました。阪神・淡路大震災については、大阪公立大学の生田先生が約7000件のデータから家具で亡くなった人は33人という数字を出していました。それに加えて阪神・淡路大震災以降の大阪北部地震、熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震などの地震も含め、死者が出ている地震についてはすべて調べました。
 
西村)大変だったのではないですか。
 
あんどう)「家具で死なないための対策」を研究しているのに、どれだけの人が家具で死んでいるのかがわからなくて悔しかった。遺族集を読んでいると本当につらくて。何とかしなければという想いでした。
 
西村)この調査をしてどんなことがわかりましたか。
 
あんどう)大きくふたつのことがわかりました。一つは、阪神・淡路大震災以降の人が亡くなった地震で、少なくとも48人が家具の転倒・移動・落下で死亡しているということです。
 
西村)48人もいるのですね。
 
あんどう)そのうち、阪神・淡路大震災以外の死者は15人。15人がどのような家具で亡くなったのかわかりますか。すごくびっくりしました。
 
西村)大きなタンスかなと思いました。
 
あんどう)たんす、食器棚、本棚あたりかなと思いますよね。その内、9人が亡くなった原因は、本の落下だったんです。
 
西村)辞書や子どもの教科書は重いですよね。
 
あんどう)2009年の静岡県内で発生した駿河湾地震(最大震度6弱)で、亡くなった43歳の人は、天井まで積まれた1000冊以上の本や本を入れた衣装ケースが落ちてきて窒息死しました。
 
西村)圧死ではなく窒息死だったのですね。
 
あんどう)本の落下で亡くなった人の死因はほとんどが窒息死だそうです。たくさんの本は人の命を奪うこともあるんです。胆振東部地震でも4人が家具で亡くなっていますが、その内3人が本の落下により亡くなっています。大阪北部地震でも本の落下で亡くなっている人がいます。
 
西村)本は重いので、しっかりと対策をしておかないといけないですね。
 
あんどう)自分の体重と同じくらいの重さのものが体に乗ることによって、呼吸ができなくなります。落下対策をしてください。
 
西村)本の落下で死亡した人の年代について、データは出ていますか。
 
あんどう)本の落下によって亡くなった9人のうち8人が30~50代。若い人たちが多いです。震度6強以上になるとたんすが一緒に倒れてくるので、家具による圧死が多くなりますが、震度5弱~6弱でも本の落下だけで亡くなってしまいます。
 
西村)震度5弱でも本の下敷きになって亡くなってしまうのですね。
 
あんどう)寝ている部屋には、落ちてくるものを置かないようしてください。
 
西村)先月、青森でも地震がありました。そのときのデータは出ていますか。
 
あんどう)そのときは図書館で本がたくさん落下しました。過去の地震でも図書館で本の落下がありましたが、夜中の地震が多かったので死者は出ていません。本の固定は非常に難しく、対策をしていても落下してしまいます。
 
西村)昼間に自分が図書館にいるときに地震が起こったらどうしようと思います。
 
あんどう)緊急地震速報がきたら、すぐに本から離れましょう。
 
西村)図書館に行ったら、もし今地震が起こったらどこに逃げるか、子どもたちと話しておいた方がいいですね。
 
あんどう)それはとても大事なこと。寝ている部屋では、本は下の方に置く、ロッカーに入れて扉を締めるなど、本が落下しないように対策をしてください。
 
西村)娘が保育園に通っているのですが、保育や学校現場ではどうですか。
 
あんどう)本が落ちてくることを子どもたちに教育してほしいです。保育園ではタンスの下で子どもが寝ている場合もあります。子どもたちが寝ている部屋には物を置かないようにしましょう。
 
西村)保育園では、避難経路になる階段に本棚があります。本棚の本が全部飛び出してきたら逃げるのが大変だと思います。
 
あんどう)逃げられなくなります。体重と同じ重さの本が体にのると窒息死します。子どもたちの体重は軽いので心配です。
 
西村)どんな対策をしたら良いですか。
 
あんどう)東京消防庁による3つの対策は、「本を減らす」「レイアウトを工夫する」「固定する」です。下の方に重たい物を置く。寝室や移動経路に本を置かない。本棚を固定しているだけでは、本は落下してきてしまう可能性があります。固定をするためにいろいろなグッズがありますが、震度7クラスや長周期の揺れが起きると難しいかもしれません。
 
西村)これを機に本の落下防止対策をしっかりとしていきたいと思います。
 
あんどう)本の落下で亡くなっている人が多く、後世に伝えられていないことがつらかったので、これからもみなさんと一緒に落下物対策を伝えていきたいと思っています。今回、本の落下が原因で亡くなった人には、30~50代や一人暮らしの人が多かったことがわかりました。一人暮らしの人6人全員が本の落下で亡くなっていたんです。発見までに時間がかかっていました。一人暮らしで狭い部屋だった可能性もあります。一人暮らしの人は、ぜひ落下物対策をしてください。
 
西村)あんどうさん、どうもありがとうございました。

第1527回「阪神・淡路大震災31年【3】~家具固定」
ゲスト:国際災害レスキューナース 辻直美さん

西村)MBSラジオでは今月、防災・減災プロジェクト「ラジオがとなりに」キャンペーンを行っています。この番組では、阪神・淡路大震災の教訓から、地震への備えについて考えます。
きょうは、国際災害レスキューナースの辻直美さんにスタジオにお越しいただきました。
 
辻)よろしくお願いいたします。
 
西村)今から31年前の1月17日、阪神・淡路大震災が発生したとき、辻さんはどこで何をしていましたか。
 
辻)看護師になって5年目でした。吹田の病院に勤めていて、前日は15時半から夜中1時半までの夜勤でした。3時半まで病棟にいて家に帰りました。寒い日だったので、こたつとストーブをつけて、5時半までうたた寝をしていたんです。ここで寝ていたら父に怒られると思い、消火を確認して、2階の自室に戻ってベッドに入った途端、ドーンと揺れました。
 
西村)2階の部屋で阪神・淡路大震災の揺れを経験したのですね。
 
辻)あんな揺れは感じたことがなかったです。下からドンッと突き上げられて、揺れている間にいろんな物が落ちる、倒れる、移動する、飛ぶ。もうすごかったです。防災のことを少し勉強していたので、タンスや本棚が倒れたときに重なり合って三角形(ゴールデントライアングルゾーン)になるようにしていたのですが、背の高い本棚が倒れてきました。体育座りになって布団をかぶって、ダンゴムシのポーズをしていたのですが、ベッドの先に置いていたテレビデオ(約14kg)が弧を描くように飛んできて、顔を骨折しました。全壊でしたが家族は全員無事。母と父の部屋はタンスの下に新聞紙をかまして、上にダンボールを置いてタンスが倒れてこないようにしていました。
 
西村)備えをしていてよかったですね。その後どうしたのですか。
 
辻)母に「病院に戻りなさい」と言われて。
 
西村)顔を骨折しているのに!?
 
辻)「病院が大変なことになっているから行きなさい」と。急いで病院に行くと病院はぐちゃぐちゃでした。点滴の瓶のボトルは落ちて割れていて、いろんなものが倒れて水は流れっぱなし。あちこちでガラスが割れていて、自家発電がまだ動いていませんでした。
 
西村)地震から何時間後ぐらいに到着したのですか。
 
辻)30分かかってないと思います。電気で動く点滴もうまく作動しないので手動で行いました。想定していた状態ではありませんでした。
 
西村)病院の地震への備えはできていなかったのですか。
 
辻)避難訓練はしていましたが、まず病棟のナースの数が少なかった。夜勤なので3人しかいなかった。2人が助産師、1人が看護師。入院している人、お産を控えている人、婦人科でオペを控えている人、内科の患者など診なければならない人がたくさんいるのに、スタッフが少なすぎてトリアージができない。何からやればいいのかがわからない。そのような訓練はできてなかったです。
 
西村)そこに辻さんが駆け付けたのですね。
 
辻)当時働いていた病院は、神戸にボランティアで行くのではなく、神戸から患者を受け入れる形で支援をしていました。
 
西村)辻さんがその後、神戸に行ったことは?
 
辻)仲良くしていたドクターやナースにボランティアに誘われて、一度は行っておきたかったので、歩いて行きました。地震から3日目でした。
 
西村)町はどんな様子でしたか。
 
辻)神戸に近づくほどにぐちゃぐちゃで。毛布でくるまって外に呆然と立ち尽くしている人がいて、瓦礫も全然片付けられていなかったです。
 
西村)歩いて向かう中で、印象に残っていることはありますか。
 
辻)当時水を備蓄してる人はそんなにいなかったので、飲む水がなく、ペットボトルの水が売られていました。日に日に値段が上がっていったんです。最初、吹田で見たときは150円。当時水は100円でしたが、神戸に近づくにつれて、200円、300円、1000円~5000円と上がっていき、最大8000円ぐらいで売っていました。
 
西村)そんなに!それだけ水が大切だったのですね。阪神・淡路大震災から辻さんが学んだ教訓は。
 
辻)前もって備えること。災害を自分ごとに捉えるためには、あのとき自分がそこにいたらどうするか。何を準備しておけば良いかを常に考えるようになりました。
 
西村)わたしたちが考えておくべきポイントは何ですか。
 
辻)地震が起きたとき、ものは、落ちる、倒れる、移動する、飛ぶということを想定してください。防災は被災ゼロになるためにやるわけではありません。経験したことのない大きな地震が来ても、日常生活に戻りやすくするために減災すること。わたしも打ち所が悪かったら死んでいたかもしれない。それは紙一重。みんな「ちゃんと備えておけばよかった」と言います。
 
西村)できるときにできることをやっておきたいと思います。どんな備えをすれば良いのでしょう
 
辻)家の中で死なない、怪我をしないようにするためには、まず家具の固定。簡単なのにみんなしません。重いものは下、軽いものは上に置くのが基本なのですが、これができていません。自分の手が届く範囲に使うものをどんどん入れたら、次は上に置いてしまう。
 
西村)わたしの実家は、阪神・淡路大震災当時からある背の高い食器棚を使っているのですが、上にホットプレートがのっています。
 
辻)上にお酒を置いている家もありますよね。食器棚の下はしゃがんで物を取るのが面倒くさいので、どうでもいいものが入っていることが多いです。
 
西村)我が家は、一番下にタッパーが入ってます...。
 
辻)軽いタッパーやキッチンペーパーでは、重しになりません。下には重いもの、真ん中には普段使うもの、上には当たっても痛くないものをしまいましょう。家具の手前に差し込む耐震版というグッズもあります。新聞紙でも構いません。家具が倒れてこないように壁の方に少し倒して、手前に新聞色を固めていれる。重厚なタンスの上には大体"有田みかん"と書いているダンボールが置いてありましたよね。
 
西村)天井との隙間ができないようにダンボールが置いてあったのですね。
 
辻)昔の人は、エビデンスはよくわからないけど、生活の知恵でそうしていたのだと思います。
 
西村)ほかにも、阪神・淡路大震災を経験して気づいたことはありますか。
 
辻)友人が高級なカバンを集めるのが趣味でした。趣味で集めているから収納はせずにズラっと並べていました。それが落ちてきて埋まってしまったそうです。
 
西村)棚の中に収納するお片づけも防災につながるのですね。
 
辻)彼女は避難所では、そのカバンは使わずに「軽くて便利」と、スポーツバックを使っていたそう。カバンを闇雲に収集しないで、飾っても1~2個にすると言っていました。就寝時に頭に落ちてこないように飾っているそうです。
 
西村)キッチンで見せる収納というのがありますよね。包丁をマグネットにくっつける収納はドキドキします...。
 
辻)飛んできて危険です。
 
西村)どのように収納したら良いのでしょう。
 
辻)見せないこと。外に出すものは、下に耐震ジェルをつけて動かないようにする。基本的にわたしはものを使ったらシンクの下に収納しています。
 
西村)ものを片付けるのが一番だと思うのですが、部屋の模様替えをするときに気をつけることがあれば教えてください。
 
辻)まずスーパー安全地帯を作ってください。何も飛んでこない、落ちてこない場所です。たとえば、リビングのテーブルの下。この時期、日本酒や梅酒、ビールとかストックがたくさんテーブルの下にあるかもしれません。
 
西村)テーブルの上に乗ったままかもしれませんね。
 
辻)リビングのテーブル周りをキレイにすることを心がけてください。特にテーブルの下と上はその人の心のありようだと思っています。わたしは、今はキレイな部屋を保っていますが、昔は片付けができなかったんです。買い物が大好きで、買ってきた服はどんどん椅子に乗せていくので、地層のようになっていました。重さで雪崩が起きていたほどです。
 
西村)でも片付けができるようになったのですね。
 
辻)苦い思いをしたからです。
 
西村)うちの息子も娘もなかなかお片付けをしてくれなくて、散らかっています...。
 
辻)それは片付けがメリットにつながっていないから。面倒くさいことになっているからだと思います。子どもが小さかったときは、おもちゃが散らかっていました。そのときにルールを決めたんです。お片付け用の蓋付きの箱を買って。ご飯を食べるとき、出かけるとき、寝るときの3回は、絶対片付けると決めました。自分のマイボックスに入れるという癖をつけると意外と片付けてくれます。朝起きたときも気持ちがいい。寝ているときに被災しても、ものを踏んで足を怪我することはありません。
 
西村)レゴを踏んだとき痛いですよね...。
 
辻)それが災害時、ブラックアウトしていたら、何を踏むかわかりません。テーブルにたくさん食器が残っていたら落ちたら大変。そのルールを決めると、箱の中にいつもあるおもちゃがでてきます。それはリビングに必要ないので元の場所に戻します。
 
西村)南海トラフ巨大地震に向けて、家族みんなでお片づけをすることを今年の目標にしたいと思います。辻さんありがとうございました。

第1525回「阪神・淡路大震災31年【2】~最期の地で追悼音楽会」
取材報告:亘佐和子プロデューサー

西村)きょうは、阪神・淡路大震災31年のシリーズ2回目。「亡くなった土地で、追悼の音楽会」というテーマでお送りします。亘佐和子プロデューサーの報告です。
 
亘)よろしくお願いいたします。12月20日に「加藤貴光折り鶴平和音楽会in夙川」が開催され、取材に行ってきました。加藤貴光というのは、震災で亡くなった学生さんの名前。貴光さんは、神戸大学法学部の2年生だったのですが、西宮市の夙川にあるマンションが倒壊して亡くなりました。広島県出身で、国連の職員になって世界の平和に貢献したいという夢を持っていました。
 
西村)志半ばで亡くなられてしまったんですよね。
 
亘)「ネットワーク1・17」では一昨年、「ネットワーク1・17スペシャル~即死の真相」という特別番組を放送し、貴光さんのことを伝えました。阪神・淡路大震災で亡くなった人は即死がほとんどだったという通説を改めて検証。早く救助に入れば助かる命があった可能性が高いということを伝える内容でした。この番組の中で、加藤貴光さんの上の部屋に住んでいた人の証言、「地震当日の午前9時ごろまで、貴光さんの部屋から壁をトントン叩き助けを求める音が聞こえていた」を伝えたんです。
 
西村)貴光さんはすぐに亡くなったのではなく、数時間生きておられた可能性があるということですね。
 
亘)そうです。この番組の取材の過程で、わたしは当時のことを知る人を探して、夙川の周辺を歩き回りました。それが今回の「加藤貴光折り鶴平和音楽会in夙川」の開催につながりました。
 
西村)どういうことですか。
 
亘)貴光さんが住んでいたのは、夙川の「マンションN」という建物。そこから数百メートルのところに「みんなげんきジム」という子ども向けの体操教室があるんです。そのジムを運営している米田和正さんに出会いました。米田さんは貴光さんのことはご存じなかったのですが、「ネットワーク1・17スペシャル~即死の真相」を聞いて大きなショックを受けたというんです。米田さんの話です。
 
音声・米田さん)朝の5時46分に揺れて、近所をまわって7時過ぎぐらいに1kmほど行ったところに母親の様子を見に行きました。家がガタっとしていましたが母親は大丈夫でした。行くときに右手に「マンションN」が見えていて、帰りも「マンションN」が見えていたんです。もし助けに行っていたら、貴光さんはもっと早く引っ張り出されていたかもしれない。あの時間、行きも帰りも(マンションを)見ていた。でも(助けに)行かなかった。今喋っていても胸が痛くなる。なんで何もできなかったのだろうと。あそこに救助を求める人がいたということを思い返して、それからずっと抱え込んでしまいました。
 
西村)救助に行かなかったと悔やんでいるのですね。
 
亘)たくさんの家が倒壊して、みんな自分のことで精一杯だったので仕方ないことなのですが、米田さんは「貴光さんがまだ生きていたら助けられた可能性があった。なんで自分は救助に行かなかったんだろう」と感じたのです。番組が終わった後に広島にいる加藤貴光さんの母親のりつこさんに連絡を取りました。そこから2人の交流が始まったんです。加藤りつこさんは、語り部として志半ばで震災の犠牲になった息子の貴光さんのことをずっと語ってきました。その延長線上に「加藤貴光折り鶴平和音楽会」があります。この音楽会は、今から7年前に貴光さんのことを知った「Viento」という熊本・阿蘇の音楽デュオが、「貴光さんの名前を掲げた音楽会をしたい」とりつこさんに声をかけたのがきっかけで始まりました。これまで毎年1回、貴光さんの誕生日である12月20日頃に貴光さんの地元の広島と「Viento」の地元の熊本で交互に開催されてきました。そこで、「ネットワーク1・.17スペシャル」で加藤りつこさんと交流が始まった夙川の米田さんが、「一度、夙川で音楽会をやりませんか」と声をかけたんです。
 
西村)「ネットワーク1・17スペシャル」がきっかけをつくったということでしょうか。
 
亘)全く想定外ですが、ご縁をつないで、それが夙川での音楽会の開催につながったと言えるかもしれません。今回の会場の夙川公民館は、貴光さんが亡くなったマンションの向かい側。「この場所で音楽会を開くのは、りつこさんにとって辛いことではないのか」と、提案した米田さんもわたしも当日まで気になっていました。音楽会が始まる直前に、りつこさんに気持ちを聞いてみました。
 
音声・加藤さん)今までは、夙川には来たいと思えなかった。行かなければ、という気持ちで来ていたんですが、きょうからわたし変われそう。こんなにあたたかい夙川は30年目で初めてです。こんな気持ちでニコニコ笑いながら夙川へ来るなんて全くなかった。音楽会が開催できて、これまでに出会ったたくさんの人がチケット買って来てくださって。そのあたたかさが夙川に溢れていて。だから亡くなった現場を見ても、今までは涙がボロボロ流れていたんですが、きょう行ってみたら涙は出ませんでした。貴光が導いてくれたからここがある。貴光が亡くなったあとわたしが笑顔で過ごせるように、「夙川に来てくれ」って貴光が言ってくれている気がして、今この夙川にいます。
 
亘)震災30年の歳月、この間に積み重ねられてきた人のつながりを感じました。音楽会のチケットは前売りの200枚が完売。当日は補助席もたくさん並べられました。阿蘇の風を運んできたようなVientoさんの演奏、広島で戦争と平和の問題にずっと取り組んでいる詩人・アーサー・ビナードさんの原爆ドームを主人公にした絵本の朗読など、とても充実した内容の音楽会でした。西村さんはどうでしたか。
 
西村)本当に温かな気持ちに包まれた音楽会でした。音楽やお話を聞いて、貴光さんをとても近くに感じましたし、わたしも貴光さんの願いを一緒に叶えたいと思いました。きょう聞いたお話や歌を家族に伝えたいと強く思いました。
 
亘)音楽会では「親愛なる母上様」という曲が演奏されました。Vientoとハーモニカ奏者の岡直弥さんが演奏しています。この曲は、貴光さんが大学に入学したときに母親のりつこさんに宛てた手紙が元になっています。一部読んでみます。
 
あなたが私に生命を与えてくださってから、
早いものでもう20年になります。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること。
今、私は、この翼で大空へ翔び立とうとしています。

 
お母さんへの感謝と決意と希望にあふれたお手紙なんです。この手紙に感動した奥野勝利さんという作曲家が曲をつけました。奥野さん自身が歌っていましたが、3年前に亡くなって、今回の音楽会では、歌詞はなしで、奥野さんと親しかったVientoさんと岡直弥さんが演奏することになりました。
 
西村)歌はなくてもメッセージが伝わってきて思わず涙があふれてきます。
 
亘)とても温かい雰囲気でした。貴光さんを思いながら、命や生きること、平和について、それぞれが考える良い時間になったと思います。
 
西村)わたしはひとりで行ったのですが、コンサートが終わってから語り合いたいと思いました。また来年もぜひ開催してほしいですね。
 
亘)この音楽会が終わった後に、りつこさんに話を聞きました。
 
音声・加藤さん)1月17日の午前5時46分に地震が起きて、3時間近く助けを求めていたという証言を聞いたとき、本当にかわいそうなことをしたと。家族が誰ひとり寄り添ってやれなかった。夙川に来るのがすごくつらかったんですけど、きょうはみなさんが寄り添ってくださって、ここでコンサートをしていただいたことにすごく感謝しています。
 
音声・亘)貴光さんのお誕生日は、これまでどんな日でしたか。
 
音声・加藤さん)悲しい日です。誕生日はものすごく悲しい。命日と同じくらい悲しい。12月20日が近づくと胸がギュッとなって沈んでしまうんですけど。こんな晴れやかに感動しながら迎えた誕生日は初めてでした。
 
西村)つらい悲しみの中で、想いを伝え続けてきたからですね。本当にいい1日になりましたね。
 
亘)そうですね。亡くなった子どもの誕生日はとてもつらいと、遺族からよく聞きます。誕生日に、亡くなった場所で音楽会をするのは、厳しいことだと思いますが、震災30年という節目に、夙川がりつこさんにとって新たな意味を持つようになった。その一部分を、この番組がお手伝いできてよかったなと思います。
 
西村)もうすぐ阪神・淡路大震災31年を迎えます。災害の持つさまざまな側面や新たに見えてくることをこれからも伝えていきたいです。亘佐和子プロデューサーの報告でした。

第1524回「阪神・淡路大震災31年【1】~1.17のつどい」
電話:「1.17のつどい」実行委員長 藤本真一さん

西村)阪神・淡路大震災の発生から来月で31年。毎年1月17日は、神戸三宮の東遊園地で「1.17のつどい」が開かれ、大勢の人が灯籠に手を合わせて、亡くなった方々を悼みます。このつどいの実行委員長 藤本真一さんにお話を聞きます。
 
藤本)よろしくお願いいたします。
 
西村)来年の「1.17のつどい」はどんなものになりそうですか。
 
藤本)震災30年という大きな節目を越え、例年通りに開催したいと準備しているところです。今年は1月17日が土曜日なので、いつも平日で来ることができない社会人、子どもたちにも参加してもらえると期待しています。
 
西村)「1.17のつどい」は、前日から明かりを灯していますよね。
 
藤本)1月15日、16日に準備する中で、たくさんの人に携わってほしいので、1月16日夕方5時46分に紙灯籠を灯して黙とうします。「希望の灯り」というガス灯を分けて、1個ずつ灯籠のろうそくに灯します。
 
西村)「希望の灯り」は、阪神・淡路大震災で亡くなった人々を追悼する灯りですね。
 
藤本)はい。24時間365日灯し続けています。
 
西村)「希望の灯り」を分灯して、紙灯籠に点灯して、前日1月16日の夕方5時46分に黙とうを捧げ、地震が発生した17日早朝5時46分に黙とうを捧げるのですね。
 
藤本)1月17日の夕方5時46分も黙とうします。計3回黙とうします。
 
西村)早朝に行くことが難しいとい人も黙とうできますね。
 
藤本)たくさんの人に参加してほしいので、機会を増やしています。
 
西村)「1.17のつどい」は、神戸市が開催していると思っている人もいるかもしれません。
 
藤本)神戸市や兵庫県にも協力はしてもらっていますが、基本的には市民で自主的にしている行事。神戸の人だけではなく、全国各地のみなさんに参加して協力してもらっています。状況に応じてお手伝いしてもらいながら運営しています。
 
西村)どんなお手伝いができますか。
 
藤本)15日、16日は竹灯籠を並べ、水を入れたり、ろうそくを浮かべたり。当日はろうそくを配るお手伝いや呼びかけをします。18日は片付けなどです。
 
西村)来年の「1.17のつどい」は何か特徴はありますか。
 
藤本)この数年間、会場の東遊園地の工事やコロナ禍でいろいろ制限がありましたが、それらが全て終わったので久々にいつも通り開催することができます。
 
西村)若い世代もお手伝いに参加しているのですか。
 
藤本)今回からは、「1.17リーダーズ」という若者のチームを作って組織化。現役の大学生たちに当日のボランティアだけではなく、準備や片付けから参加してもらっています。
 
西村)阪神・淡路大震災を経験していない若い世代が「1.17リーダーズ」として活躍しているのですね。何人ぐらいいるのですか。
 
藤本)現役の学生約30人です。
 
西村)どんなことをしているのですか。
 
藤本)みんな「1.17のつどい」にほとんど参加したことがないので、まずは参加することを一番の目標にしています。今回は土曜日なので、震災のモニュメントを巡るツアーも企画。竹灯籠の数が少なくなりつつあるのでみんなで竹灯籠を作りに行きました。「1.17のつどい」を今後長く続けていくために、課題になりそうなことを若い人たちと一緒に考えて実践しています。
 
西村)竹灯籠を一緒に作りに行ったんですね。どちらまで行ったのですか。
 
藤本)神戸市の多井畑の竹林です。高齢化で作業が難しくなっているところが多いです。竹を斜めにカットする作業、積み込み作業は若い人たちでもできるので、作業を細分化して竹灯籠を作りました。先日8人で行ったのですが、200~300本ぐらいできたので、年明けにもう1度行く予定。仕組みを作りながら長く続けていきたいです。
 
西村)竹灯籠を作った学生からどんな感想がありましたか。
 
藤本)「これだったらわたしたちもお手伝いできる」という声がありました。大きな1本の長い竹を切り倒して、使える部分をカットしていくので、学生ができない作業もある。できる作業もあるので話し合いながらやっていきます。
 
西村)ほかにどんな活動をしているのですか。
  
 藤本)参加することを一番の目標にしていて、企画も任せています。失敗してもいいので、まずはやってみることが大事。竹灯籠に並べるろうそくをつくるイベントなどを考えています。SNS等での告知も若い人たちに動いてもらっています。
 
西村)藤本さんやボランティアのみなさんと一緒に、去年、能登半島の被災地に行きましたね。「1.17リーダーズ」のみなさんと今年は行ったのですか。
 
藤本)能登のキリコ祭りのボランティアに呼びかけた際、中学生から大学生まで約80人集まりましたが、みんなボランティアをしたことがなくて。わたしは最初、「1.17のつどい」を手伝って欲しいとは思っていなかったのですが、キリコ祭りの後に、大阪・関西万博の会場で発表する企画も行いました。20~30人集まった人たちが「1.17のつどい」もやりたいと。キリコ祭りから続けている学生プラス、「1.17のつどい」もやってみたいという学生が集まって流れを作っていて、面白いなと思っています。学生たちで、ああだこうだ言いながら企画を作っている様子を見ていると、時代の移り変わりを感じますね。
 
西村)高齢化や過疎化が進む石川県・輪島市町野町曽々木という地区で、能登半島地震が起こりました。避難で人が少なくなって、キリコ祭りが開催できなくなって、藤本さんが神戸からボランティアを募ってお手伝いに行ったのですね。今年で2回目になります。「1.17リーダーズ」の大学生と藤本さんは、お祭りの後も能登の被災地と関わり続けているのですか。
 
藤本)キリコ祭りのお手伝いに行こうと言い出したのもボランティアの大学生たちだったんです。僕は、お手伝いしたいという大学生を応援したい気持ちで。
 
西村)41歳の藤本さんは、若い世代にどんなことを引き継いでいきたいですか。
 
藤本)40歳までは若い人たちと一緒にやろうという流れでしたが、40歳を超えて、今はどちらかというと先生的な立場で、若い子たちの頑張りをアドバイス、サポートする形になりつつあります。僕ができることを全うしよう思っています。
 
西村)「1.17リーダーズ」の大学生からはどんな質問がありますか。
 
藤本)「1.17のつどい」に参加したことない人、阪神・淡路大震災のときは生まれていない人ばかりでみんな学んでいるところ。打ち合わせをする中で、僕はアドバイスをしているだけで、まだ質問が来る段階には至ってないかもしれません。
 
西村)今、灯籠で作る文字を募集中とのこと。詳しく教えてください。
 
 藤本)この文字公募は、わたしが代表になってからスタートしました。みなさんで考えて作っていきたいので、文字を募集することに。1.17という文字は竹灯籠でかたどって、公募した文字は紙灯籠で灯します。震災30年の昨年度と震災31年の今年は状況も思うことも違うので、今に思う気持ちを文字に変えて応募してほしいですね。それを全国に発信します。
 
西村)今年は「よりそう」という4文字でした。来年は何の文字になるのでしょう。文字数の制限はありますか。
 
藤本)1~4文字。並べて型取ることができる文字でお願いします。
 
西村)文字の募集のほかに、ボランティアも募集しているのですね。
 
藤本)1月16日の準備、1月17日当日、1月18日の片付けのボランティアを募集しています。申し込み不要です。東遊園地のボランティア受付のテントで受付すれば参加できます。
 
西村)会場に行けなくても何かできることはありますか。
 
藤本)1月17日という日に阪神・淡路大震災のことを忘れずに伝える。思い返す日にしてほしいです。近年、まだまだ災害が起きています。会場に来てくれたらうれしいですが、テレビやラジオを聞きながらあの日を思い返す1日にしてほしいです。
 
西村)藤本さん、どうもありがとうございました。

第1523回「災害時のフレイル予防」
オンライン:東京大学 高齢社会総合研究機構 教授 飯島勝矢さん

西村)災害後、避難所で生活を送る高齢者は、筋力や体力が低下しやすくなります。その状態をフレイルといいます。このフレイルを放置すると、要介護状態、災害関連死につながることもあり、注意が必要です。
きょうは、災害時のフレイル予防について、東京大学 高齢社会総合研究機構 機構長、未来ビジョン研究センター 教授 飯島勝矢さんに聞きます。
 
飯島)よろしくお願いいたします。
 
西村)フレイルとはどんな状態ですか。
 
飯島)フレイルは日本語で虚弱という意味。フレイルは、健康な状態と要介護状態の中間の段階です。高齢になると体が衰えるだけではなく、社会性、地域とのつながりも弱くなり、自立度が落ちやすくなります。
 
西村)過去の災害でも高齢者のフレイルが問題になっていましたか。
 
飯島)日本は災害が多い国ですが、フレイルは歴史が浅いです。過去の大きな災害を振り返るとフレイルに関連した状態が多くありました。わたしは、阪神・淡路大震災の被災地で、医療班として現場で救護・医療活動をする中で、いろんな人と出会ってきました。突然生活が変わってどん底にいる人、避難所で不自由な生活をしている人、家族を失って心に穴が開いてしまった人など、心身ともに落ち込んでしまう人が多くいました。
 
西村)それは、表情や会話からも感じ取れましたか。
 
飯島)はい。何十年住んできた家が壊れて、一瞬で思い出や家族を失ってしまったあとは、医学的な問題以上に心のケアが重要です。
 
西村)阪神・淡路大震災当時の避難所では、高齢者はどんな様子で生活していましたか。
 
飯島)寒い時期に起こった大震災だったので、大きな体育館や教室で震えながらストーブや毛布にくるまっていると心が折れてしまう。みんなで声を掛け合って、一歩ずつ前向きな気持ちを取り戻していました。
 
西村)高齢者のみなさんの体調はどう変化しましたか。
 
飯島)毎日飲んでいた薬がなくなって、血圧のデータが悪くなる人もいました。冬場は感染症が流行りやすいので、いかに体調をきちんと維持できるのかが問われます。
 
西村)冬場は、寒いですし...。
 
飯島)高齢者はお手洗いが近くなります。これまでは、暖かい自宅でお手洗いに行っていたけど、避難所では、体育館の外の仮設トイレに行くことになります。衛生的な問題も発生します。お手洗いに行きたくなると、ほかの人に配慮しなければならないので、水分を控えてしまう。そうすると、血液がドロドロになって、脳梗塞や心筋梗塞、足の静脈に血栓ができるエコノミークラス症候群などの怖い病気も起こりやすくなります。
 
西村)トイレ以外に動かなくなってしまう原因は何がありますか。
 
飯島)環境の変化、寒さ、家族を失った虚無感で、体を動かそうという気持ちにならない。暖かい時間帯も頑張れる気持ちになれません。
 
西村)元気がない高齢者がいたら、「わたしが物資を取ってくるね。おばあちゃんそこに座っといて」と言ってしまいそう。
 
飯島)避難所には子ども、若い人もたくさんいます。元気な若い人が過剰に手助けをし過ぎると、高齢者の生活が不活発になります。最低限のことは支援して、高齢者にも動いてもらいましょう。
 
西村)声をかけて「一緒にやりましょう」というのも大切なんですね。
 
飯島)高齢者は、お孫さん、お子さん世代からの声はエネルギーになります。
 
西村)それを続けると、高齢者のフレイルを予防することができますか。
 
飯島)はい。予防できると思います。災害時は、体を動かさなくなって活動量が減り、筋肉の衰えが加速してしまうので。
 
西村)フレイルを予防するためにはどうすれば良いですか。
 
飯島)フレイル予防には3つの柱があります。「栄養」「身体活動」「人とのつながり」どれかひとつだけではなく、これら3つの柱を総合的に組み合わせながら全体的に底上げすることがポイントです。
 
西村)栄養、運動、社会参加を合わせてやっていくためには、具体的にどんなことをすれば良いですか。
 
飯島)複数人数でお喋りをして、昼ご飯が終わってからは、避難所の周りを散歩したり、みんなで掃除をしながら体を動かしたりする。夕ご飯も複数人数でワイワイと食べる。避難所という環境では、そのような工夫をすると良いと思います。
 
西村)お弁当を1人で食べるのではなく、「一緒に食べませんか?」と声かけをしてみんなでワイワイと食べるのは良いですね。
 
飯島)1人で冷たいお弁当を食べると半分ぐらいしか食べられないけど、5~6人でワイワイと食べると会話がおかずとなって、全部食べられたという高齢女性もいました。どんな雰囲気で食べるのかも大事です。
 
西村)1人で食べていると、今後の不安や楽しくないことを考えながら食べてしまいそうですね。能登半島地震の被災地で、知人が仮設住宅に住んでいるのですが、毎週木曜日にみんなでお茶会やお散歩をしたり、花壇のお手入れをしたりしているそう。これもフレイル予防につながりますか。
 
飯島)フレイル予防は、決まった運動を定期的にやらなければならないということはありません。みんなで花壇の手入れなどをしながら、しゃがんだり立ったりすると運動にもなる。共通の価値観を持って達成感を得るとこともできる。そのような取り組みは素晴らしいと思います。
 
西村)避難所だけではなく、その後の生活でも大切ですね。
 
飯島)避難所では急に生活環境が変わります。生活がおとなしくなると、筋肉を失ってしまいます。みんなで声を掛け合って、いろいろなことに取り組むと結果的に体を動かすことになります。筋肉だけはなく、口の衰えについても気をつけましょう。しっかり噛んで食べる、飲み込む、滑舌よく話すためには、口周りの筋肉が必要です。災害時は、口の筋肉の衰えが進みやすい。普段から歯医者さんに行って、定期的にお口のメインテナンスをしてもらうと同時に、災害時のときは、口の中を綺麗にして、みんなでしっかり嚙んで食べることを心がけましょう。
 
西村)みんなでお茶会をしてよく喋ると良いですね。歌うのも効果的ですか。
 
飯島)歌は非常に効果的です。楽しいですし、大きい声でお腹から体全体を使って歌うと全身運動にもなると思います。
 
西村)オーラルフレイル(口の機能低下)を防ぐためにも、歯医者に通う、喋る、歌うなどに気をつけて、フレイル予防していきましょう。
飯島さん、どうもありがとうございました。

第1522回「片付けながら災害に備える"防災お片付け"」
オンライン:Nice Life代表・防災士・整理収納アドバイザー 熊田明美さん

西村)12月に入り、大掃除のシーズンがやってきました。おうちを片付けながら一緒に防災もできる「防災お片付け」というのがあるそうなんです。
きょうは、「防災お片付け」を提唱する熊田明美さんにくわしく教えてもらいます。
   
熊田)よろしくお願いいたします。
   
西村)「防災お片付け」は、普通のお片付けとどう違うのでしょうか。
 
熊田)「防災お片付け」は、3つの視点でお片付けをします。
「家の中が安全かどうか」「災害時に備えた整理整頓」「ローリングストックで備蓄」の3点です。
 
「家の中が安全かどうか」
怪我をしないように家具家電の転倒防止、落下防止を行います。怪我をしない目線でいろいろなところを見てください。背の高い家具、冷蔵庫、食器棚が大地震のときに倒れてこないか。電子レンジ、オーブントースター、テレビなどが落下しないか。それらを固定します。
 
「災害時に備えた整理整頓」
家の中に物が散乱しないようにする。避難するとき怪我をしないように床に物を置かない。重いものは下に収納する。物を見直して、防災備蓄品を収納します。
 
「ローリングストックで備蓄」
普段から食べ慣れている食品や使い慣れている日用消耗品を在庫数を決めて保管、備蓄すること。これは在宅避難のときにも役立ちます。

 
西村)この3つの視点で「防災お片付け」をすると、どんなことが良くなりますか。
 
熊田)防災の視点でお片づけをすると、災害への備えになるだけではなく、普段の生活がスムーズ、快適になります。ものが適正量になり、管理しやすくなるからです。
 
西村)良いことずくめですね。
 
熊田)そのほかにも、怪我のリスクが減り、家事効率がアップします。在庫数を把握することで、余分なものを買わなくなり節約にもつながります。
 
西村)大掃除をしていると同じものが2つあるなんてことも。おもちゃが散らばっていると、ブロックを踏んで怪我をすることもあります。怪我のリスクを減らすことが大切ですね。では、お片づけについて場所ごとに教えてください。まずは、玄関のお片付けはどこに気をつけたら良いですか。
 
熊田)玄関は、外に出るときや帰宅するときに使う出入口であり、避難口。できるだけ物を減らしてすっきりさせることが大切。ポイントは、傘を減らすこと。傘立てが陶器だと割れることもあり、傘が散乱しているとつまずいて危険です。
 
西村)確かに。うちにも傘がたくさんあります。
 
熊田)晴雨兼用傘を1人1本で十分。
 
西村)ついコンビニでビニール傘を買ってしまって、傘が増えてしまいます。この機会に傘を見直そうと思います。靴もなかなか捨てられませんよね...。
 
熊田)古い靴は怪我のリスクがあります。靴底に溝がない靴を履いていると、雨の日に滑って転んで怪我をすることも。古い靴は見直して処分しましょう。
 
西村)靴箱を見直しましょう。我が家は子どものサイズアウトした靴がそのまま置いてあります。自分の靴も含めて見直していきたいと思います。廊下はいかがですか。
 
熊田)廊下は、物を搬入・収納しやすい場所。玄関や廊下に水などを収納すると搬入・収納が楽で見直しも楽。日常的に外出するときに携帯もできて便利です。
 
西村)熊田さんは備蓄用の水を玄関や廊下に置いているのですか。
 
熊田)我が家は玄関の靴を減らして、靴箱の一部に防災用品を入れています。
 
西村)なるほど。靴箱はさっと取り出すことができて良いですね。
 
熊田)ただし、注意点があります。水は高いところに置かないこと。ペットボトルが落下したときに、ペットボトルが破裂してしまう危険があります。缶の場合、落下して人に当たると危険です。
 
西村)次に思いつくのがリビング。リビングのお片付けのポイントを教えてください。
 
熊田)吊るすタイプの照明は素材を確認しましょう。
 
西村)シャンデリアを飾っている家もありますよね。
 
熊田)今は、樹脂製の割れないシャンデリアもあります。リビングに紐で吊るすライトはコードクリップを使って紐を短くすると、照明同士が当たって割れるのを防ぐことができます。
 
西村)ぜひチェックしておこうと思います。リビングには大きなテレビがあります。
 
熊田)最近のテレビは大型化しています。テレビは地震のときに倒れて割れる・壊れることを想定してください。固定しましょう。おもちゃなどは、棚に入れておけば大丈夫と思っている人も多いですが、災害時は飛び出してくると考えて対策をしましょう。
 
西村)我が家もおもちゃ箱が引き出しタイプ。ブロックやプラレールなど硬いものがたくさんあるので、飛び出したら大変。どうしたら良いでしょう。
 
熊田)衝撃を吸収してくれる柔らかい素材の収納グッズにおもちゃや雑貨などを入れて、滑り止めシートなどで対策します。
 
西村)リビングのソファでも対策できることはありますか。
 
熊田)ソファには、頭を守れるようにクッションや座布団を多めに置いておきましょう。大地震のときにすぐに頭を守ることができます。家族の人数分を置いておくことをおすすめします。写真や絵画を飾っている場合は、ガラス素材を使ってないかをチェック。ガラスは割れて危険なので、アクリル樹脂など割れない素材に変更しましょう。
 
西村)キッチンの注意点はありますか。
 
熊田)キッチンはかなり危険な場所だと思ってください。冷蔵庫が倒れてくるし、食器棚が倒れて、中の食器が割れてしまう危険性もあります。転倒防止グッズなどで対策しましょう。さらに、フライパンや鍋を減らすのもポイント。ガスコンロとかIHコンロに同時に火にかけられるのは2~3口。同じようなサイズのフライパンや鍋は減らしましょう。そこへ出しっぱなしの調味料、瓶の調味料などを入れると瓶が割れるリスクを減らすことができます。
 
西村)確かにコンロの周りにいろいろ置いてしまいます。棚の中にしまっておくことが大切なんですね。
 
熊田)物を出しっぱなしにすると飛んできて、下に落ちると割れてしまう。怪我のリスクがあります。
  
西村)包丁をマグネットで付けたり、お気に入りの鍋を飾ったりする"見せる収納"もありますが、なるべくしまっておいた方が良いですね。
 
熊田)防災の観点からはしまっておいた方が安全。割れやすいものは飛び出さないようにする。耐震グッズで固定する。扉に耐震ラッチがついているかも確認してください。耐震ラッチは大きな揺れで扉が開かないようにロックする部品のこと。初めから付いている食器棚もありますし、後から付けられるものもあります。
 
西村)食器棚を買い換えるというときはチェックします。トイレに何か置いておくと良いものはありますか。
 
熊田)トイレは大地震のときに閉じ込められるリスクがあります。窓のないトイレでは停電対策として、灯を備えておきましょう。そのほかは非常用トイレ。凝固剤と大きめのビニール袋、飲み水も常備しておくと安心。
 
西村)なぜ飲み水が必要なのですか。
 
熊田)トイレに長時間閉じ込められたときのためです。夏場だと熱中症などのリスクがあります。トイレは、大地震のとき大きな揺れでドアの枠がゆがんで、ドアが開かなくなることがあります。
 
西村)年末は、このような防災目線でお片付けするとまた違った大掃除になりそうですね。
 
熊田)食品庫を掃除するときは、賞味期限が近い備蓄品を食べたり、カセットガスコンロで調理したりすると良いと思います。
 
西村)これをきっかけに家族で防災コミュニケーションをとりましょう。熊田さんどうもありがとうございました。

第1521回「避難時の感染症対策」
オンライン:白鷗大学 教育学部 教授 岡田晴恵さん

西村)各地で感染が急拡大しているインフルエンザ。空気が乾燥して気温が低くなるこの時期はインフルエンザやコロナなどの感染症が広がりやすく、十分な注意が必要です。もし今、大きな地震が発生したら、避難所ではどのようなことに気をつけたら良いのでしょうか。
きょうは、コロナなどの感染症に詳しい白鷗大学教育学部 教授 岡田晴恵さんに伺います。
 
岡田)よろしくお願いいたします。
 
西村)インフルエンザが急拡大しています。今、大きな災害が起こるとどうなりますか。
 
岡田)避難所には人がたくさん集まるので、インフルエンザ、ノロ、コロナが流行りやすくなります。インフルエンザは、高熱、頭痛、全身の倦怠感などの症状が出ます。
 
西村)しっかりと感染対策をしないといけませんね。
 
岡田)人が集まるということは感染者も紛れています。避難所では、十分に換気ができません。災害で命が助かっても感染症で病気になってしまいます。
 
西村)助かった命をつなぐために感染症対策をしっかりしましょう。インフルエンザが流行しています。今年は例年より早いですか。
 
岡田)1ヶ月ぐらい流行が早いです。来月12月の半ばくらいからピークになると予想されています。
 
西村)まだまだ気が抜けませんね。避難所での感染症対策について教えてください。
 
岡田)手洗い・うがいが基本。避難所には十分な水がありません。初期は消毒用アルコールで手をふくこともなかなかできないので、事前にワクチンを打っておくと良いです。ワクチンは死亡・重症化のリスクを下げます。高齢者は重症化を阻止するためにコロナワクチンの定期接種をおすすめします。
 
西村)早めのワクチン対策も必要ですね。ワクチンのほかに用意しておいた方がいいものはありますか。
 
岡田)非常用持ち出し袋には、消毒用アルコールシート、液体、不織布マスクを数枚。子どもには、アセトアミノフェンの解熱剤も必要です。
 
西村)なぜアセトアミノフェンの解熱剤が必要なのですか。
 
岡田)インフルエンザは、15歳未満の子どもには合併症を防ぐために、アセトアミノフェンの解熱剤が推奨されています。大人の薬を飲ませるわけにはいきません。口の中を衛生的に保つことも大事。わたしは歯磨きセットのほかに液体歯磨きを持ち出し袋に入れています。口腔内を清潔にするとインフルエンザの予防になります。
 
西村)非常用持ち出し袋には、アルコール消毒液や不織布マスク、子どもがいる家庭は、アセトアミノフェン成分の解熱剤、常備薬、口腔ケアグッズ、マウスウォッシュ。水も一緒に入れておくといいですね。
 
岡田)血圧の薬など毎日飲む薬がある人は、多めにもらっておきましょう。避難所が混んでいるなら、自宅避難や車中避難をして人を分散させることも大事。一箇所に集中しないように。
 
西村)インフルエンザ、コロナ以外でも災害時に気をつけたい感染症はありますか。
 
岡田)破傷風です。東日本大震災では、避難所で60歳以上10人に破傷風がありました。破傷風菌は、世界中の土壌にいます。地震や豪雨災害では、泥まみれの怪我が多いです。泥水の中で怪我をすると、破傷風菌が泥と一緒に傷から体内に入ってきて、破傷風という病気になります。傷がでてでたとき、この泥を洗い流すキレイな水が避難所にはありません。傷を洗い流す水もない状況で、医療の救援が来るまで、何時間も待っている間に破傷風菌が体の中で発芽して、神経毒素を作るんです。
 
西村)恐ろしいいですね。東日本大震災の津波被害で破傷風が広がったことが想像できます。
 
岡田)真っ黒な泥水の津波にのまれてけがをして、破傷風を発症した人がいました。豪雨災害や地震は、泥まみれの怪我がつきものです。
 
西村)災害時はみんなが怪我をしているから、「擦り傷ぐらいなら大丈夫」と我慢をしてしまう人もいそうです。
 
岡田)呂律が回らない、顔がこわばるなどの初期症状が出ていても、避難所では「もっとひどい人もいるから...」と我慢してひどくなった事例もありました。
 
西村)破傷風の症状について詳しく教えてください。
 
岡田)頭痛、呂律が回らなくなるなどの初期症状があります。治療が遅れると、全身の筋肉がけいれん性の強い硬直をおこして、最後は呼吸困難になって窒息死することもあります。
 
西村)そんなに怖い病気なのですか。
 
岡田)平時でも100人前後の破傷風の患者が毎年確認されています。治療できる環境がある平時でも致死率は10~20%。災害時では適切な医療が受けられず、薬もワクチンも不足します。重症化のリスクを想定しなければなりません。
 
西村)断水してキレイな水もないと傷を放置してしまう人もいますよね。
 
岡田)破傷風ワクチンは事前に打つことができます。子どもたちは5種混合ワクチンで接種済です。後の世代は、3種混合ワクチン(破傷風・百日咳・ジフテリア)で接種済。東日本大震災のときの破傷風患者10例はすべて中高年でした。これには理由があって。破傷風のワクチンは、1968年に定期接種になっています。1968年以前に生まれの人は、破傷風ワクチン無接種で育った世代。免疫がないために東日本大震災のときは、この世代に多くの破傷風患者が出てしまったのです。さらに、1975~1981年は3種混合ワクチンが中止に。1981年以前生まれの人は、破傷風ワクチン未接種の人が多いので、任意で打つことが必要です。
 
西村)今からでも打つことができるのですね。
 
岡田)わたしは、1963年生まれなので、東日本大震災後にその報告を見て驚いて、すぐに打ちに行きました。母子手帳を見たこともなかったので。1968年以前、1981年以前生まれでワクチンを打ってない人は、破傷風ワクチンを一般病院で打つことができます。ワクチンは3回打ちます。まず1回目を打って、約3~8週間間隔を置いて、もう1回打つ、その後、半年以上間隔を空けてもう1回。3回接種で基礎免疫ができます。半年~1年かかります。
 
西村)結構長い時間がかかりますね。
 
岡田)破傷風ワクチンの接種は、事前にできる災害対策のひとつです。
 
西村)南海トラフ地震への備えとしても大事ですね。
 
岡田)子どもの頃に破傷風や3種混合のワクチン、4~5種混合のワクチンを受けた人でも、接種完了から10年以上経つとワクチン免疫が低くなっています。30歳以上になると免疫力が低下してくるので、10年ごとぐらいに破傷風ワクチンを追加接種していくと良いです。未接種の人は、まず3回を半年から1年かけて打ってください。
 
西村)岡田さん、どうもありがとうございました。