第1561回「紀伊半島大水害15年」
取材報告:早川紗世ディレクター

西村)15年前の9月に発生した「紀伊半島大水害」。台風12号の影響で、紀伊半島を中心に集中豪雨が続き、和歌山県内では、河川の氾濫や土砂災害が多く発生しました。この水害で和歌山、三重、奈良の3県で、88人の死者・行方不明者が出ています。
きょうは、"紀伊半島大水害の教訓を未来に伝えたい"と願う遺族と地盤災害に詳しい専門家のインタビューを中心にお届けします。
取材報告は、番組ディレクターの早川紗世さんです。
 
早川)よろしくお願いします。今回取材を受けてくれたのは、岩渕三千生さんです。紀伊半島大水害で父親の三邦さんと中学生の甥・絋明さんを亡くしました。三重県・紀宝町にある岩渕さんの自宅は熊野川から直線距離で700mほどの場所にあります。新築したばかりだった美容室兼自宅は床上浸水したそうです。当時のようすを聞きました。
 
音声・岩渕さん)夜中の3時ぐらいに「おーい、おーい」言うて、「どうしたんよ」って言ったら「水が流れてきやる」と言うから(外を)見たら、最初は10cmぐらいやってんけど、30分で60~70cmくらい一気に水かさが上がったんです。嫁の店のところから水がいっぱい入ってくるし。隣の和室の畳を上げて。リビングも水がいっぱい。熊野川が氾濫して...。
 
音声・早川)この辺りに住んでいる人は、熊野川が氾濫するなんて思っていなかった?
 
音声・岩渕さん)誰も思っていないですわ。床上10cmぐらいやったんで、どうにかこうにか朝6時から嫁の兄貴とかみんな呼んで。まだそのときは水道が使えたんで、店の掃除や和室やリビングの掃除をやってたんです。気になったんで、家(実家)に電話してんけど、電話に出なかったんですよ。
 
早川)岩渕さんの実家は、自宅から車で20分ほどの和歌山県・那智勝浦町にあって、当時、実家には岩渕さんの両親と甥の絋明さんの3人がいたそうです。岩渕さんは、集中豪雨の翌日、昼過ぎに知人からの電話で実家の状況を知りました。
 
音声・岩渕さん)「おいちゃんとこの家に木が刺さってる」と電話がかかってきて。行ったら、ぐしゃぐしゃで...道路が。途中まで行ったら、「ここからは車で行けん」と言われて、そこから1人で歩いて行って。奥へ行けば行くほど、悲惨な光景。この世にない地獄絵っていうんかな。家まで行ったらぐしゃぐしゃで。両親は僕の本家の方にいて。その時に絋明が流されたと聞いたんです。(父親に)「どんなんやったん?」と聞いたら、那智川が氾濫しそうで、家の中に水が入ってきそうやったんで、土嚢袋を玄関のとこに置きかけてんけど、もうこれ以上してもあかん思って、家の中へ入って、2階へ行ったけど、服が濡れてるから、3人とも下へ降りてきて、着替えてるときに、いきなりバリバリと水が入ってきて、天井まで一気に水が上がって、流されそうになった。3人は窓の桟のところに捕まってたらしいんやけど。「大丈夫か!大丈夫か!」と言いながら、ばあさんが流されそうになったのを絋明が助けて。3人でおったんやけど、木が来て、木にばたれて(打たれて)絋明が流された、と親父は言うてました。2人は水位が下がってきたので、本家の方へ歩いて避難したみたいです。
 
西村)着替えをしようと1階に降りてきたところに、土砂が流れ込んできたんですね。もしそのまま2階にいたら、絋明さんは助かっていたのでしょうか。
 
早川)「2階にいたら、おそらく助かっていただろう」と岩渕さんは言っていました。実家のすぐ近くを流れる那智川が氾濫したことで、1階部分に木や土砂が大量に流れ込んできたんです。ただ、2階部分は流されずにほぼそのまま残っていました。孫の絋明さんが流されるのを目の当たりにした三邦さんは憔悴して、自分を責め続けていたそうです。
 
音声・岩渕さん)親父はすごい気丈でね。消防団の団長もしよったんで、気強くて。そんな人が何言ってるかわからない。魂抜けとった。あんな親父を見たのは初めてやったんで、何て言うてええんか。「絋明おらんようになった。俺のせいや」と自分を責めて。逃げるのが遅かったのか、一瞬の判断やと思います。体が濡れてなくて着替えに行かなかったら、2階でおったら3人は助かってますわ。みんなで下へ降りてきた時に流された。僕は絋明の捜索をしました。1人で山を歩いて。うまいこといったら3日以内やったら生きているかと思って。
 
早川)無事でいてほしいという家族の願いは叶わず、1週間後、絋明さんの遺体が発見されました。そして、水害からおよそ1ヶ月後、絋明さんの遺品を探していた三邦さんが心筋梗塞で亡くなりました。心労と疲労が重なった災害関連死でした。
 
西村)三邦さんは絋明さんの何を探していたのですか。
 
早川)野球に打ち込んでいた絋明さんのユニフォームとグローブをずっと探していたそうです。岩渕さんの実家があった場所は現在、紀伊半島大水害の記念碑と那智谷で命を落とした29人の名前が刻まれた石碑が建てられています。当時、地盤災害の合同調査団のメンバーとして、現地の調査をした和歌山大学 客員教授 後誠介さんに、その場所で話を聞きました。
 
音声・後さん)ここは昔から大きな岩を伴う土石流が多発している場所です。
 
音声・早川)後先生が15年前に現地を初めて見たとき、どのような感想を持ちましたか。
 
音声・後さん)災害の後、那智詣や観光に来る人をガイドするガイドさんが困っていたんです。「なぜ恐竜の卵みたいな大きな岩がある?」と尋ねられるそうです。土石流で50cm~1mの岩がたくさん流れてきている。今はキレイに取り除かれていますけど。「あれは何?」という質問がいっぱいあって、ガイドさんたちに災害の勉強をしてもらったことがあります。長い雨で土地に水が溜まって、そこに1時間100mmを超えるような集中豪雨が降った。それで地面が耐えられなくなって、あちこちで土石流が起こって。土石流の土石が川に流れ込むと川がせき止められたり、浅くなったりします。埋め立てられたような状態になって、大量の水があふれて、雨が上がっても川が浅くなっているので、なかなか水が引かずに救助が大変だったんです。
 
音声・早川)那智川が溢れたのですか?
 
音声・後さん)はい。3m50cmを超えるところまで水が来ました。被害に遭った人の話では、水の中に浸かっている間にポケットが重くなってくるそう。服のポケットに泥がいっぱい入って重くなるから泥を手で掻き出して軽くする。荷物の中にも泥が入ってくる状況です。
 
西村)那智川が溢れて、一時、周辺は4m近くまで浸水したんですね。助かった人のエピソードからも浸水した後の避難がどれだけ大変かがわかります。那智勝浦町で亡くなった人は29人。最も大きな被害が出た場所でした。
 
早川)当時は、那智勝浦町で発生した土砂災害のほかに、深層崩壊という現象も発生しました。深層崩壊とは、山の斜面が岩盤ごと崩れ落ちてしまう現象のこと。後先生に詳しく聞きました。
 
音声・後さん)深層崩壊と言われる大規模な斜面崩壊は、田辺市の山間部や奈良県などで多発しました。この地域には付加体という地質の大地があります。付加体とは、海のプレートが沈み込む深海でできて、陸化したところ。海のプレートが沈み込む場所でできたので、その沈み込みに伴って、積もっていた地層が複雑に変形したり、岩石の中に割れ目ができたりする特徴があります。これらの構造によって、地下深くまで岩石が弱くなっているところがあり、深層崩壊が発生します。
 
音声・早川)その弱くなった部分が全て雨を含んで滑り落ちた、というイメージですか。
 
音声・後さん)そうです。深層崩壊が起こったところは、そのような地質構造の要因があります。
 
音声・早川)紀伊半島に多い地質なのですか。
 
音声・後さん)付加体という海洋プレートの沈み込み出てきた地質はたくさんあります。紀伊半島、四国、九州にもあります。
 
音声・早川)どこで深層崩壊が起こってもおかしくはない、ということですか。
 
音声・後さん)付加体があるところは、深層崩壊が起こるリスクがあります。
 
西村)紀伊半島の中でも、地質によって、深層崩壊が起こりやすい場所と、土砂災害が起こりやすい場所があるのですね。
 
早川)紀伊半島の地質を調べると、大昔から大雨に伴う深層崩壊や土砂災害が何度も発生しているそうです。「これからの災害対策には、地質学的なアプローチも必要」と後さんは話します。
 
音声・早川)15年前の紀伊半島大水害、先生が考える教訓は。
 
音声・後さん)今から137年前に明治の紀伊半島大水害が起こりました。この時は地形図がなかったので、地形という視点から調査したり、記録を残したりすることができなかった。今から73年前に昭和の紀伊半島大水害が起こりました。この時は、地形図はあるけど、地質図は十分ではなかった。明治の大水害や昭和の大水害の記録・教訓を後世に伝える資料の中には、地形や地質視点のものは残せなかったわけです。その後、技術が進歩して、研究の蓄積があり、地形図は詳しくなり、今やスマホのアプリで見ることができますし、地質図は体系的になりました。デジタル化されて使いやすくなりました。つまり、15年前の紀伊半島大水害について、ようやく大地の特性という視点から、広い地域の調査がされることになったのです。これまで伝えられてきた災害の記憶や記録に加えて、大地の成り立ちや特性、気象観測など新しい知識を取り入れて、防災に対する意識・知識をバージョンアップしながら、啓発を進めていくことが大切です。
 
早川)9月4日で紀伊半島大水害から15年が経ちます。父親と甥を亡くした岩渕さんは、一周忌の際の不思議な出来事と、リスナーのみなさんにどうしても伝えたいとことを話してくれました。
 
音声・岩渕さん)どえらい大雨でね。テント潰れてんから。その次の年も、次も3連続。雨がピタッと止まった。お坊さんに聞いてんけど、"涙雨"は悪い雨じゃないと。(亡くなった人が)「忘れなんなよ」って言うてる。
 
音声・早川)紀伊半島大水害の教訓を、次の世代に残すならどんなことを伝えたいですか。
 
音声・岩渕さん)雨が降ったら逃げよう。今はスマホ・テレビ・ラジオで情報はいくらでも入ってくる。15年前は自分の判断で逃げるしかなかった。今はいくらでも情報を得ることができるから、それで逃げ遅れるはもってのほか。「過去にはこんな災害ない」ではない。今と昔と雨の量が違う。自分の命は自分で守るしかない。もし何もなかったらそれでいい。「ああよかったね」で。逃げずに死んだら最悪やで。
 
西村)空振りでもいいから、明るいうちに雨が弱いうちに安全な場所に避難する。もしくは2階にとどまっておく。それが次の災害から命を守る経験になっていくんですよね。
 
早川)大雨が降って、周辺道路が冠水してからの避難は、ほぼ不可能に近いとみなさんおっしゃいます。台風や豪雨は、事前にわかる災害なので、早めの避難を心がけてほしいです。
 
西村)きょうは、15年前に発生した紀伊半島大水害について、早川紗世ディレクターの取材報告でした。ありがとうございました。